第7話 「そして完結へ」



 桜の季節になった。喰人祭の当日だ。

 小鳥のさえずりが聞こえる。花壇に咲いている花たちの匂いがする。暖かく、やさしい春風が吹いている。その風は、目の前の少女の髪の毛をふわりと揺らす。



「とうとう、この日が来たんだね」

 と、マリちゃんが言った。


「……うん。今まで、よく持ちこたえてくれたね」

「……うん。だって、私、この日までは死ねないから」


 トーテム博士の指導の下で、僕らは、ヒエロニムス型の生命移転装置がある地下へと連れてこられた。近未来的な装置の宝庫であるこの地下室は、当事者と実行委員以外は、立ち入り禁止だったので、僕の胸は躍った。


「いよいよだね」

 と、彼女は言う。そのあまりに緊張した表情を、僕はうっとり眺めていた。

「準備はよろしいでしょうか。もう、移転してしまえば、後戻りはできません。引き返すなら今の内です」


 トーテム博士が、言う。

「心は決めていました。始めてください」

 僕のその言葉に、トーテム博士は頷いた。




 場面は切り替わった。どうやら僕は、遥か上空にいるようだ。見物客のざわめきが、ずっと下の方から聞こえてくる。



 僕の体は巨大になっていて、そうして服は着ていなかった。しばらく浮遊していると、向かい側から、非常に美しい女性がやってきた。マリちゃんだ。


 しばらく僕らは、ただ黙ってお互いの瞳をジッと見つめていた。

 この祭礼が終われば、僕の命は尽きてしまうんだという感情になって、すごく感慨深い。目の前の、まるで女神のように美しい少女に、その命を捧げるのである。


 そう考えると、脈拍が上がった。気が狂いそうなほど、興奮した。

 桜の花びらが、下の方で鮮やかに舞う。ただ、ただ、温かい春の光景に、僕はこの世のすべての残酷さを感じ取った。

 

 

 一点の曇りも、寸分の狂いもない春の光景。僕はどうしてか、この光景がすごくグロテスクに思えて、早くこの桜の花の一枚一枚を、鮮血で染め上げなくてはならないという謎の焦燥感に駆り立てられた。そうして目の前で、艶やかな体を示しているマリちゃんを、巨大な腕でギュっと抱き寄せた。


「ごめんね、いただくね」

 と彼女は悲しい声でそう言った。


 直後に、僕の首筋に凄まじい痛みがほとばしった。

 マリちゃんが噛みついた僕の首筋から、ドバっと勢いよく鮮血が噴き出し、地上に降り注ぎ、予想通り桜の花びらを血で染め上げた。


 薄れゆく意識の中で目にしたその光景は、幼い頃に見たあの光景よりも、ヤスミンの時に見たあの残酷な景色よりも、もっとずっと美しい光景だった。



 巨大になった僕らの体が、天空で密着し、血で体がヌメヌメと滑り、こすれる度に彼女の肉体を感じた。彼女の中の巨大な生命を感じ、ときおり漏らす彼女の喘ぎ声が、天へと響き渡った。柔らかな唇の奥にある小さな歯が、僕の首筋をえぐると、鮮血は再び雨のように降り注いだ。その都度、観客は悲鳴を上げた。


「ねえ、見えている? 去年までは、私たち、あの民衆のうちの一人だったのよ」

「ああ、見えているよ。残酷さの欠片も知らない連中が、こうして興味本位で、僕らの喰人祭を眺めている。その小さな頭の、小さな意識で、必死に僕らのしている行為を理解しようと試みる。まるで、愚かに見えるし、汚らしく見えるよ」

「ねえ。ほんとにね」


 彼女は微笑む。でも、今の僕たちは、きっと何よりも美しいのだろう。

 何よりも美しく、そうして何よりも残酷なのだろう。


 彼女は、その微かに微笑んだ唇から、僕の血を垂れ流している。これが移転なのだ。素晴らしい生命の紡ぎあいなのだ。その神聖さは、実際に天空で、喰人祭を繰り広げる僕らにしか理解できないのだ。



「……愛している」



 マリちゃんは、僕に向かってそう言った。


 小さな唇が、僕の胸に触れた。


 僕の胸は、マリちゃんの艶美な唇よって、瞬く間に噛み裂かれ、僕の脈打つ心臓や、肺や、大腸や小腸が露わになった。


 再び、民衆が恐怖の悲鳴をはり上げたのを僕らは聞いた。

 歓喜めいた、奇声めいた不可解なそのざわめき。


 その音の下で、僕は、彼女に喰われ続けた。痛みが、そのまま快楽に変わってしまって、僕は天に向かって絶叫した。


 空に向かって咆哮する僕を、彼女はギュっと抱きしめた。

 きつく抱き寄せられたので、かろうじてぶら下がっていた僕の小腸が、ダラリと落ちて、桜の木の枝に引っかかった。


 全てが輝いて見えた。

 全ての景色が鮮やかに見えた。

「…………アナタが、私と、対の存在になってくれたから、私の世界は色を増したんだよ」


 儚げな表情で、さらにうっとりとした表情で、彼女は言う。

「マリちゃん……今、君の世界は、どんな風に見える? 色を増したのかい? 君の世界が、色を増すって、いったい、どんな感覚なの?」


 彼女は答える。

 返り血に染まったその唇を必死に動かしながら、





「あのね、あのね、えっとね、春の風の中を飛んでいる小鳥さんもね、潰れて張り裂けた、血と膿の塊をついばんでいる小鳥さんもね、どっちも見ていてうれしい気持ちになるってことなんだよ! 

 

 あのね、あのね、世界が色を増すっていうのはね、私の、傷の無いこの肉体もね、アナタの張り裂けた体の内臓もね、どっちも見ていてうれし気持ちになるってことなんだよ? 

 

 アナタっていう存在から発せられた鮮やかな世界が、残酷さを伝って、私の心の内側に入り込んでくるってことなんだよ! 


 とてもすごいことなんだよ! あのね、アナタの命が、私の命の中に流れ込んで、それはとても残酷なんだよ? 

 

 でもね、でも、その残酷と残酷の中にある美しさを感じ取れるってことなんだよ?」





 脈打つ心臓が、僕の胸からポロリと落ちて、桜の木に突き刺ささり、弾けた。民衆から、「グロい! グロい!」という悲鳴が聞こえた。




民衆は、何も理解していないようだった。

この僕らの芸術を、この命の本来の残酷さを。



(完)

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天空の喰人祭 あきたけ @Akitake

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