第6話 「異変」

 



 マリちゃんが不治の病になってしまった、と知らされたのは、ヤスミンの喰人祭が終わってから半年たった頃だった。

 

 だんだんと寂しくなっていく景色の中で、金木製の花だけが鮮やかに色付き、その匂やかな香りが、薄い雲のなびく空にまで届きそうな程だった。

 

 桜並木の道にへばり付いていた汚物は、もうすっかり片付いて、奇麗になっていたけれども、木に張り付いたヤスミンの五つ子の眼球は、まだ残っていた。

 

 張り付いて取れないらしく、充血し、乾ききったそのたくさんの眼球が、僕のことを憎らしげに眺めていた。もう小鳥たちもその眼球をついばむことはしないようだった。

 

 その光景を見て、僕は少し悲しくなった。あの春の日の、やさしく温かい光景が思い出されて、目に涙が浮かんできた。

 

 あの時の、ヤスミンの肝臓は、もう片付けられてしまっていた。様々な臓器がすっかり片付けられてしまって、殺風景になった道を一人で歩きながら、僕はマリちゃんが入院している病院に向かった。


 面会に来た僕を、彼女はやさしい微笑みで迎えてくれた。

「来てくれたんだね。ありがとう」

 と、彼女は言う。


「……治るの? その、君の、病気」

 僕が恐る恐るそう聞くと、彼女は首を横に振った。

 しばらく僕らは、病室にたった二人きりで、無言で手を握ったままだった。

 それから何時間もこうしていた。そのうち、陽が沈んで、月明かりが差し込んできた。病室の窓から、都会の夜景がグロテスクに煌めいていた。



「……ねえ、私、持ってきたの」

 と、マリちゃんは言って、カバンの中から、一枚の絵画を取り出した。

「これは、あの時の」

「私の、一番の傑作なの。アナタとの思いでも兼ねて。私、ずっとこれをお守りにしているの」



 彼女が大切そうに握っていた絵画は、例の、喰人祭の絵で、何度見ても、その生々しさに慣れるというようなことは無かったし、芸術的だとも思ったし、これを見るとき、必ずといって良いほど、血のような潮の匂いがするような気がしたのだった。


「いつ見ても、その絵は、本当にきれいだ。君の魂が乗り移ったみたいだよ」

「うふふ、嬉しい。私ね、この世界に喰人祭があって本当に良かったと思っているの。どれだけ見た目が残酷でも、それはこの世界のどこかに美しさが生まれているからこそ、残酷に見えるだけだと思うの。結局、ぜんぶ対比なの。白と黒の対比、光と闇、生と死の対比。たくさんの色があるんだよ。私、アナタと一緒に、はじめて喰人祭を見た日から、生命に執着しなくなったんだ。だから、生きたい人が生きられる世界。死にたい人が死ねる世界。結局、それが世界の均衡を保つには一番いい世界なの」


「対になり得るものがあってこそ、世界は本来的な在り方でいられる」

「そう。対比なんだよ。色も、形も、感情も、ぜんぶ対比なんだよ」


 マリちゃんは、その儚い肉体に、病を宿しているとは思えないほどの気迫で、僕にその事実を語ってくれた。すべては対比によって成り立っている。


 彼女の内側から発せられた鮮やかな光が、僕の外側をやさしく包み込んでくるような感覚になった。

 

 

 気が付くと、窓の外の月は、建物の影からその姿の全貌を現して、病室に僕らの影を長く映し出すほど力強い光となっていた。マリちゃんの肉体が、ひどく艶めかしく思えた。


「一つに、なろう…………僕の命は、君の中に、溶け込むんだ」

 僕は言った。

 彼女は、僕が言い放ったその言葉に、力強くうなずいた。



 次の日、僕は、喰人祭に応募した。

 つまり、僕とマリちゃんが、喰人祭の当事者となるのである。

 


 僕の肉体は、移転装置へ流れ込み、エントロピーとして天空に映し出されることになるのだ。そうして、マリちゃんも、同じような存在となって、天空に上り、僕の命を喰らう。

 

 僕はずっと昔から、なんだかこの日が来るのを知っていたような気がしていた。

 喰人祭には毎回、多数の応募者が集まる。

 

 残念ながら上手くマッチングがはかれないという人もいる。しかしながら、僕らはお互いにお互いのことをよく知っていたし、実行委員にもその旨を伝えていたので、マッチングについては問題ないようだ。

 

 しかし、面接がある、というので僕は会場に向かった。ほとんどの質問事項は把握していたし、僕のように喰人祭を調べまくっている人というのはあまりいないので、それも問題ないようだった。ただ、こんどの喰人祭は異例で、なんとトーテム博士が来日し、面接会場に居合わせていたのだ。僕は面接の時、トーテム博士から、

「世界の、残酷さの本質とはいったい何だとお考えでしょうか」

 という質問をされた。だから僕は、


「はい。世界には『残酷』なものは存在しません。ただ…………世界の均衡を保っている生と死の……その対比の、どちらか一方にだけ注目し、もう一方には目を向けないとき、人類は今見ているものを残酷と呼ぶのです」



 と、答えた。緊張していたので、間違ったことを言ってしまったかもしれないと思ったが、結果は合格だった。そうして、晴れて僕とマリちゃんは、喰人祭の当事者として、天空で交わることができるのである。

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