幕間 悪魔の隣に立つ者の憂鬱

 曇天。


 今朝は快晴だったにも関わらず時間が経つにつれ雲量を増やしていく空は、まるで次第に悪くなっている現状を映し出す鏡のようだった。そこに利点を無理やりこじつけるならば、例えまた空が光ったとしても眩しさに目を瞑る必要が無いといった所だろうか。


 そんな空を見上げて、浩介はしみじみと考える。


 件の光から数時間。よくもまあこんなに事態が転がったものだな、と。


 つい数時間前まで平和だった日常は、この世界に存在すらしていなかった未曾有の存在によって崩された。未だ多くの人間が自らのスタンスを決めあぐね、個人でない組織すらも有効的な一手を打てないでいる。後手に回るのは悪手だと感じつつも、何処か現実を正しく受け止めきれない弱さが決断を鈍らせるのだろう。15年前の大災害により、政府からの避難要請には従う暗黙の了解が出来ていたために避難だけは完了したものの、根本的な解決には至らない。


 今はパニックから導く者に従うだろうが、冷静になれば不満も募るだろう。危機を正しく捉えられる者が全てではないのだ。むしろ少数派のはずだ。不当に地下で不便な生活を強いられていると感じる民衆が果たしてどれだけいるのか。その数と政府の対応次第では未来人という分かりやすい脅威の前で最悪の展開を見る事になる。


 日本の場合、人口1億数千万に対して自衛隊が25万といったところ。比率で言えば先進国の中で最低水準にあるこの国だが、果たして暴動その他を抑えながら未来のロボットと戦えるのだろうか。どうやら軽装備だった歩兵ユニットなら俺達にも奇襲でなんとか勝てたが、600年も先の技術で作った武器なんて想像するだけで恐ろしい。


 シェルターにしたってそうだ。その設備があったのもただの偶然に過ぎない。かつての大災害への対策として、戦争を想定して、偶々造られていたに過ぎないのだ。その奇跡みたいな歯車の噛み合いによって何とか安全地帯に国民の避難が出来ているが、それが無ければ市街地でゲリラ戦を延々と繰り返されていたかもしれない。


 きっと戦争なんて起きないだとか、人類の滅亡なんてありえないだとか考えている者が大半なのだろうが、それこそありえない。もう既に賽は投げられたのだ。今後、それこそ数日の内に致命的な対立を現代と未来は起こすだろう。


 確信に近い思いが俺の中には渦巻いていた。


「どうかしたのかい?」


 英治が俺を見て疑問を飛ばす。きっと俺の中にある不安や恐怖を英治なりに読み取ったのだろう。そういえばコイツは昔からこういう事にも聡い奴だった。


 俺の中にあったそれが消え、今度は別の思考が俺を支配する。


 きっと、この少年こそが世界の命運を握っているのだろう。時間跳躍を実現させるだろう少年。未来の頭脳から求められるほどの知性の持ち主。まるでこの世界の主人公とでも言える彼を、何度羨んだことか。他の誰も及ぶことの無い高みにある知能、他の誰も邪魔することの出来ない強固な自我。一貫したその主義さえも、俺を魅了して止まない。


 別に彼の全てを理解している訳では無い。俺は英治の過去の全てを正しく知っている訳ではないのだ。美優はきっと分かっていないだろうが、かつて彼と父親の誠一さんが話してくれた事にはかなりの脚色がされている。歳若い俺達に聞かせるべきではないと判断したのか、ただ純粋に話したくなかったのかは分からない。しかし、俺達が知るよりも彼の闇は大きい。英治は隠しているつもりだろうが、それなりに長く付き合ってきた俺だ。話していたよりも現実が酷い事くらいは察しがつく。


 人間の悪によって穢れた天才。負の感情を湛えて屈折した神童。絶望を知り、地獄を見てその在り方を変えた化け物。


 三善光輝が言っていた悪魔というのは、成る程、的を射ている。もはや人間に帰属意識を持たず、善も悪も無関係で、ただエゴをもってその生き方を守り続ける。


 その生き方はきっと罪深く、それ故に強い。掌に収まる大切な何かの為に他の全てを犠牲に出来るその精神は、正気を保った人間の持てるものじゃないのだ。


 惑い、願い、叶わず、狂い、絶望した果てに導き出したその答えが脆いはずもない。


 妄執、執念。狂気に汚染されたそれが彼の本質。それこそが『楠木英治』なのだと、俺は考えている。


 きっと彼は時代に1人存在するかどうかという、歴史の転換点(ターニングポイント)を背負う『本物』なのだ。どれだけ凡人が手を伸ばしても届かない、世界に選ばれた唯一無二の『本物』の存在。別に俺達凡人を偽物と定義するつもりな訳じゃない。しかし、理屈はどうあれ彼は本物と呼ぶに相応しい。


 これまで何度その本物に嫉妬し、挑み、そして敗れたか分からない。面と向かって勝負を挑んだ訳じゃない、何かを競い合った訳じゃない、それでも俺は自然と彼の後ろにいることを甘受していた。


 そうしてある時、俺と美優は命の危機に晒された。美優はともかくとして、俺はならず者に恨まれる理由もあった。事情はどうあれ俺は捕まり、未来を失いかけたのだ。それを救ったのが英治だった。命を投げ出し、力も無い癖に全てを蹂躙し、俺の窮地を楽々と引き裂いて挙句に、


「君の家の門限って2時間前だよね? 親御さんからそっちに遊びに行ってないかと電話がかかってきたよ。何とか誤魔化しておいたから帰って謝りなよ」


 と言われた。


 どうやらヤクザに襲われる事など彼にとっては些細な事らしいと知ったときには、深く落胆したものだ。自分が彼に勝つビジョンが、

 全く見えない理由が分かったからである。


 それからというもの、彼を超えたいと思いつつも彼を支える為に力を求めるようになった。美優も同じことを考えたらしく、体を鍛えるようになった。美優は強く、俺は賢くなろうとした。何でもそれなりに出来た俺は一芸特化を目指し、ハッカーとなった。運動センスのあった美優は武道を習い、武器を持った相手を完封する強さを得た。



 別に彼を崇拝している訳じゃない。隙あらば超えたいと思っている。敗北を受け入れ、甘んじて終わるつもりなど毛頭無い。けれど、彼が成す全てを隣で見ていたかった。彼が成す全ての手伝いがしたかった。


 そして何より、俺は英治の親友なのだから。


 俺は俺のやり方で英治を支え続ける。


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「ああ、それでKマートの監視カメラ映像だったか?」


 俺は鞄からタブレットを取り出して英治に渡した。帰路の途中、英治が突然Kマートの様子が知りたいと言い出したのだ。


 タブレットは権藤達を閉じ込めた薬局の様子を映し出しており、ちょうど三善達が突入しようとしていた。


「ありがとう。えーっと……ふむふむ。そろそろ頃合いだと思ったよ」


 英治は1人納得したそぶりを見せ、ポケットから覗くトランシーバーのスイッチを押した。


 ズンッ


 低く、鈍い振動が俺達の足元で起こる。普段なら気にならない程小さなもので、けれど今はとても違和感を主張するものだった。


「英治……?」


 俺は英治に問うが、彼は小さく首を振るばかり。スイッチを押す様子は俺しか見ておらず、むしろ見せられたような気さえする。


「多分、権藤達を救出する為に自衛隊が爆薬でも使ったんじゃないかな」


 突き詰めれば穴だらけのその理屈は、まるで俺だけに全く別のメッセージを届けようとしているようだった。


 俺は、ほんの僅かな時間瞑目して英治の行動の意味を理解する。


 あぁ、そういう事か。


 つまり、英治は権藤達を爆弾で吹き飛ばしたのだ。それも三善や自衛隊員がその場に駆けつけるタイミングで。


 恐らく、爆破したのは研究所にあった化学物質を利用した即席爆弾。ご丁寧に遠隔起動出来る仕様にしたんだな。バリケードの設置やらをした時には無かったから、その後に食料やらを集めた時に薬局周辺に配置したのだろう。思い返せば、乾パンを購入したのは俺達から体よく離れそれを取り付ける為だったのかもしれない。


 確かに、そういう事なら頑にその意図を言葉にしないのも理解できる。今日まで平和に生きていたであろうユキさんには刺激が強すぎる話だ。美優に伝えなかったのはきっと顔に出やすいからだろう。アイツ隠し事とか下手だし。腹芸なんてもってのほかだ。


 俺に伝えたのは事情を知る人間が1人くらい必要だったから、かな。もしかするとこの事が2人にバレた時のフォロー役が欲しかったのかもしれない。


 ……いや、美優とか隠し事されてたって分かると物凄い拗ねるから面倒くさいんだけど。だからこそなのかもしれないが、俺をナチュラルに巻き込むのはやめて欲しい。


 よく見れば、英治の目は若干の申し訳なさを含んでいた。面倒ごとを頼んでいる自覚はあるらしい。


 俺は肩を落として頷いた。それだけで了承の意思は伝わったようで、英治は少しだけ微笑んだ。


「はぁ、ったく……こういうところなんだよなぁ……」


 再び3人は歩き出し、俺は後ろからついていく。空一つ見えない曇り空を見上げてそう呟いた。


 英治は一般人が持つ道徳やら常識やらが色々足りない。それが必要な事ならば、というかそれほど必要で無くとも人を殺せる。非人道的な事をする事に躊躇いが無い。


『ただ自らの目的の為に』


 それだけが至上の命題であり、それ以外にはかなり無頓着だ。そんな親友が危なっかしく、頼りになり、羨ましい。


 俺達が研究所に着くまでに、三善達の話題が出ることはもう無かった。

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廻りゆく時の中で 佐伯リク @riku019

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