世界の始まる日

こたろうくん

リソナとソナス

 永い、永い眠りからリソナは目覚めた。

 誰も居ないその“塔”は、大きすぎる彼女のためだけの揺り籠だった。

 星が誕生し、成長し、やがてそこに命を与えんと願った時、その“塔”は生まれる。

 誰が創り、そして星に与えたか、それを知るものは此処には居ない。

 ただ誰かが、何かが、孤独なる星の切なる願いを聞き入れて贈った、それがこの世にとって初めての優しさであった。

 優しき揺り籠から目覚めたその少女の名はリソナ。

 誰も居ないその“塔”で生まれ、ただ一つだけある白銀の“卵”より出でた彼女はその名を誰に教わるでも、何かに学ぶでもなく知っていた。

 そしてリソナを宿し、育み、生み出した揺り籠たるその“塔”は最後の役目を果たす。

 行く先を知らぬ我が子、リソナへとその道を示すという役目。

 暗く、淀んだそこに明かりが灯ると、そこには道があった。

 だがそれを道と知らぬリソナは踏み出すことは無かった。

 故に、淀みを払う風が吹き、そしてそれは躊躇うリソナの小さな背中を優しく押した。

 “塔”がその役目を終える。

 リソナは遂にその一歩を踏み出した。

 彼女はその大きすぎる揺り籠から出て行くことを決めたのである。

 長い、長い道をリソナは歩いた。

 母たる“塔”の見えざるその手に引かれるように、押されるように。迷うことの無い一本道を歩き続ける。

 いつか疲れ、進むことに迷いながらも、リソナは道の先に待つ“なにか”を目指し、“塔”の願いと共に歩き続けた。

 そして遂に、その道の“終わり”がやって来る。

 “塔”が、母が灯す明かりとは違う温かな光。しかし同時に、リソナの知らぬ、未知なる光。

 リソナはそれに恐怖し、その足を止めてしまいそうになる。

 その未知なる光が壁となり、吹き込む風がそのまま向かい風となって立ちはだかる。

 だが、その温かく恐ろしい光の先から、向かい風に乗ってリソナの耳へと“音”が届いた。

 音の無い“塔”の、母の中では聞く事の無い初めての“音”にリソナは惹かれ、そして彼女は再び足を進ませた。

 リソナは“塔”の温度の無い光と静寂による慣れ親しんだ抱擁から遂に抜け出て、新たなる“星”が抱擁。温かな光とその音に抱かれる。

 そして彼女が目にするのは青く澄み渡る空と、そこを流れる白い雲。そしてその側に浮かんだ、温かな光を振らせる丸い輝き、太陽だった。

 その反対側には何処までも続く土と岩の地平が広がり、そこから風が吹き、リソナの髪を撫でて行く。それは“星”の、新たに母となるもののまだ何も無い、しかし優しい手だった。


 ――今までありがとう。


 その時初めて、リソナは振り返る。

 見上げるばかりの、小さな彼女にはあまりに大きすぎる揺り籠。母なる、“塔”。

 リソナのその想いを受け止めた“塔”は遂にその役目を終える。

 開かれた扉は重く、そして固く閉ざされた。

 白銀に輝いていたその“塔”は瞬く間にくすみ、ひび割れて行った。

 もうそれは“塔”でも、母でも無い。

 リソナはまた前を向く。

 辛くとも、迷えども、時に恐怖し立ち止まろうとも、いつかまた歩き出せる。“塔”から、母から子へ伝えられた想い、願い、期待。

 それを胸に宿し、それを“力”にリソナは“星”の上を歩き出した。

 それは“塔”のように真っ直ぐな道ではない。背を押す風ばかりではない。

 道は何処へでも、幾らでも枝分かれ伸びていて、行く先が遮られていることすらある。

 風は時に背を押しもするけれど、それは急かしつけるかのような勢いの時もあって、向かい風になる時もある。

 リソナはそんな苦しいことばかりの歩みに挫けそうになる。挫けて、立ち止まり、座ってしまう時もあった。

 けれど彼女はまた立ち上がった。歩き出した。

 座る度に立ち上がり、立ち止まる度に歩き出した。何度も、何度でも。それを繰り返した。

 土と、岩しか無い。何も無い“星”の上をリソナは歩き続けた。

 その内、リソナは何故自分が歩くのかそれを疑問に思った。

 託された想いがある。けれど何故、自分は歩くのだろう。

 立ち止まっても良い。迷っても良い。けれど必ずまた歩き出す。

 どうして?

 歩いた先には何がある。見えるのは変わらない青空と太陽。そして土と岩の地平。

 歩いて、歩き続ける先には何も無い。

 “星”には何も無い。

 リソナはそれを可哀想だと思った。

 しかし歩くだけではこの“星”に何も与えることは出来ない。リソナにはその術はなにも無かった。

 それが悔しくて、悲しくて、リソナはその時初めて涙を流した。

 しかしそれは何も無い土の上に落ち、ただ消えて行くだけのものでしかなかった。

 ――リソナは歩き続ける。

 自らの歩く理由を、何故だ何故と考えながら、そしてただ歩き続けた。

 何も無い“星”の上を、何も無いリソナは歩く。

 歩いて歩いて、歩いたその先には何がある?

 何も無い“星”を行く、何も無いリソナが行く先には果たして何も無いのか。

 そしてリソナは思い出す。あの時、“塔”から、母から、揺り籠から自らを巣立たせてくれたものを。

 それはこの“音”だったことを。

 風に乗り、今一度リソナの耳へと到ったその“音”を求め、リソナは歩いた。

 時に焦り、初めて走ることをしながら、そうして転んだりしながら、リソナは遂に己の歩く理由をそれに見つけた。


 この“音”は何?

 この“音”は何処?

 この“音”は――


 ――“星”には何も無かった。

 しかし“星”は“塔”が授けてくれた、何も無いリソナを見ている内にまた一つ、ある願いを懐いた。

 自分には何も無い。けれど、この子には何かを与えたい。

 叶わない願いかもしれない。それでも必死に何かを求めるリソナを初めて憐れんだ“星”は強く願った。

 願いとは、それを叶えるのは誰か、何かか?

 “星”は願った。強く願った。

 願うリソナのその願いを叶えたいと。強く、強く願った。

 そしてリソナの願いの成就こそを願った“星”は、遂にそれを叶えた。

 リソナの願いが叶った。

 しかし、同時に“星”は悲しんだ。

 “音”を求め、歩き続けたリソナが出逢ったのは一人の少年であった。

 ソナスというその少年には角があり、爪があり、牙があった。

 背には翅と翼が、そして鱗に覆われた尾があった。

 ソナスの姿はとても醜いものであった。

 “星”はリソナの願いを叶えるという願いを叶えたが、その願いによりリソナに授けることが出来たのは、彼女とはまるで似ていないソナスであった。

 “星”は悲しんだ。とても悲しんだ。

 何故自分は“塔”を授けてくれた誰か、何かのように出来ないのか。

 リソナを授けてくれた“塔”のように出来ないのか。

 やがて、ずっと空に浮かんでいた太陽の輝きは遙か彼方の地平へと沈んでしまう。

 すると世界から光が失われ、代わりに暗い夜が訪れた。初めての夜であった。

 しかし悲しむ“星”とは裏腹に、リソナは自らの前に現れたソナスに喜んだ。

 そしてソナスも喜んだ。喜んで、彼は“音”を奏でた。

 ソナスには沢山のものがあった。

 角があり、爪があり、牙があり。

 背には翅と翼が、そして鱗に覆われた尾があった。

 それに“音”も。

 そしてソナスはそれを、“音”をリソナにあげたいと思った。

 自分にはこんなにも沢山のものがある。

 何も無いというリソナにソナスは“音”をあげた。

 ソナスに習い、リソナも“音”を奏でた。

 二人の“音”はやがて“星”の悲しみを和らげ、そして“希望”を授け夜空に月を浮かべた。

 夜へと変わった世界で二人は“音”を奏で、悲しむ“星”を癒そうとした。

 和らげども、決して晴れないその悲しみをどうしたら晴らすことができるだろうと二人は考えた。

 するとソナスは思い付く。


 ――僕がリソナに“音”をあげたように、この“星”にも素敵なものをあげよう。


 しかし“星”は二人のように“音”を奏でない。

 与えられるものとは何か、二人は考えた。

 月だけが照らす夜闇の中で、二人はその月を見上げる。

 見上げながら、考えながら二人は“音”を奏で続けていた。

 その“音”は風に乗り、“星”に、その全てに響き渡って行く。

 二人は願った。

 リソナはソナスと出逢ったように、ソナスはリソナと出逢ったように、この“星”にも共にあるべき何かを与えたいと。

 “音”は響く。

 ソナスの“音”をリソナが奏でるとその“音”はただソナスが奏でるそれよりもずっと綺麗で、そして力強いものとなる。

 ソナスの“音”は願いを乗せて、リソナの“音”はそれを強くする。

 やがて月の下で並び立ち“音”を奏でる二人の間の地面が小石を持ち上げて押し退けた。

 それに気付いた二人がそこを見下ろすと、土と石しかなかった地面に小さな緑の芽がその姿を覗かせていた。

 二人の願いを“音”が叶えたのであった。

 そしてソナスはその芽を育てようと言った。

 芽を育て、大きな樹にして、それを“星”への贈り物にしようと。

 リソナは肯き、芽を育てるための方法を考えた。

 “音”は芽を与えただけ、現れた小さな芽はそれ以上“音”では育たなかった。

 どれだけ長く“音”を奏でようとも芽は大きくならない。

 ソナスはいつまでも奏でた、想いを込め、一生懸命に。

 リソナも奏でた、今一度願いを叶えよと願いながら。

 しかし芽は育つことはなかった。

 遂には若々しく緑に潤っていた芽が萎れ始めた。

 時を同じくして、“音”を奏で続けていたソナスは“音”を奏でることが出来なくなった。

 奏で続けることに苦痛が伴い、“音”はソナスの意思とは裏腹に奏でられることを許さなかった。

 ソナスが“音”を奏でなければ、リソナはそれを強くすることが出来ない。

 願いは叶わなかった。

 それどころか芽は枯れ、ソナスは塞ぎ込んでしまった。

 これだけ沢山のものを持っているのに、これだけ沢山のものを与えてくれた母である“星”には何も与えることが出来ないのかと。

 そんなソナスの姿と想いを感じたリソナは悲しんだ。

 自分には何も無く、誰にも、何にも、何も与えることの出来ないと悔しさに胸が痛んだ。

 悲しさが辛く、痛みが苦しく、やがて再びリソナの眼から涙が零れ落ちた。

 乾いた地面を潤すことも出来ない、ほんの小さな一滴の涙。

 しかしそれは萎れた芽へと落ちて、するとリソナの涙を受けたその芽が見る間にもその青さを取り戻し始めた。

 二人は驚いて、若々しく蘇って行く芽を見詰める。

 芽には想いでも、願いでもない、必要なものはそんなものではないのだとソナスは気付いた。

 ソナスはリソナに手を引かれ、また立ち上がった。そして歩き出す。彼にとってそれは“音”を奏でることだった。

 痛くとも苦しくとも、それを乗り越える“力”が自分たちにはある。

 ソナスは再び“音”を奏でた、それはとても苦しそうで痛そうであったが、リソナが共に奏でることで美しい“音”へと変わる。

 今までよりも美しく、そして力強く変わる。

 “星”のための願い。芽のための願い。

 誰かへの、何かへの願い。

 二人の“音”はそれを乗せ、そして遂に届けた。

 月を大きな雲が覆い隠すと、そこから雫が落ち始める。

 この世に初めての雨が降った。

 その雨を受けた芽はぐんと大きくなって行き、幹は太く枝を分け、沢山の葉をつけた。

 やがて花が咲き、散る頃、そこには大きな実が成った。

 そしてその頃には土と岩しかなかった大地の多くが緑に覆われようとしていた。

 樹だけでなく草花が繁り、何もなかった“星”を潤した。

 悲しんでいた“星”は喜び、すると月が彼方へと沈み、代わりに沈んでいた太陽がその姿を再び現した。

 初めての夜明けを迎えた世界。

 リソナとソナスはそれを見詰めながら“音”を奏で続けた。二人でずっと、いつまでも。

 ソナスは自らの持つものをもっと色々なものに与えたいと言い、リソナはそれに応えた。

 涙は雨と共に大きな海を創り。

 角と牙と爪、鱗と尻尾は獣となり、大地を駆けた。

 翅は小さき虫となり、木々や草花を育んだ。

 翼は大空を自由に飛ぶ鳥になった。

 “星”は遂に孤独ではなくなった。

 二人は喜ぶ“星”とその世界を見て喜んだ。

 このために生まれてきた来たのだと、遂に二人は辿り着いた。

 二人は初めての“笑顔”を浮かべる。

 辛いこと、苦しいこと、悲しいこと。全てを知り、受け入れて咲いたその笑顔の花は何よりも美しいものであった。

 そして最後に、リソナがソナスへと与えたものがあった。

 それは二人のこれまでの結晶だった。

 ソナスと同じ角を持ち、リソナのように綺麗な“音”を奏でるもの。

 そしてそれが奏でる“音”は意味を持ち、“音”は“謳”となり、いつしか“歌”や“詩”へとその在り方を変えていった。

 始めに“塔”がその役割を終えた。

 そして次に“星”が眠りについた。

 最後にリソナとソナスが還った。

 “塔”はただそこに在るだけの景観として世界を見守り。

 “星”は自らに住まうものたちの“うた”を子守歌に眠る。


 ――そこは多くの命が暮らす世界。

 願いにより紡がれた、全てが一つに繋がる世界。

 苦難に満ちながらも、悲しみを繰り返しながらも、それでも愛を絶やさない優しさを捨てない世界。

 けれど、いつかは終わりを迎える世界。


 倒れても、挫けても。

 諦めても、立ち止まっても。

 その度に、起き上がることを止めないで。

 その度に、また歩き出すことを止めないで。


 その先にきっと希望はある。希望は生まれる。

 その希望から生まれた、あなたたち全てのものにわたしたちは願う。


 ――どうか、叶いますように

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