一万字の『仕返し』を、アナタに

ソルティ

一万字の『仕返し』を、アナタに

「――海谷くん」

「――はい、清花さやか先輩」


 夕焼け差し込む放課後。

 黄昏に染まり上がった部室。

 頬に朱色を浮かべて佇む、黒髪の文学少女。

 交差する視線。心地よい静寂。微かな吐息と鼓動。

 もしこれが映画のワンシーンなら、さぞ銀幕に映える感動的な場面であったに違いない。


「もし、また一万字の短編を書けたら……私にエッチなことをしてもいいですよ?」

「……はぁ」


 だがしかし。僕の目の前にいる女性の手にかかれば、せっかくの良い雰囲気も十秒でご覧の有様である。

 この人が雰囲気をぶち壊すのも、僕をからかおうとするのも平常運転なので、まったくもって期待はしていなかったが。


「あれ? 海谷くん、なんか反応鈍くないですか? 前にこうやってからかったときは、もっと可愛く慌ててくれたのに」


 僕の薄い反応に頬を膨らませる彼女の名前は、桜川清花さくらがわさやか

 ここ長月学園文芸部の部長。小説の執筆と他人をからかうことが三度の飯より大好きな、僕の一つ上の先輩である。


 そして、僕の名前は海谷紡うみたにつむぐ

 文芸部所属の二年生。こうして日々先輩の玩具としてからかわれる運命にある、憐れな子羊だ。


「あのですね。文芸部が僕と先輩の二人だけになってから、どれだけ経つと思ってるんですか。流石に耐性もつきますよ」


 桜川清花と海谷紡。文芸部の扉を放課後叩くのは、今のところこの二名だけだ。

 これを他人に言うと、「なんでそんな美人がいるのに他の部員がいないんだよ」とよく突っ込まれるのだけど、それにはもちろん理由がある。


「もう。スランプに突入した辺りから、海谷くんはなんだか冷たいですねえ。これが倦怠期ってやつですか」

「誰と誰が倦怠期ですか。……そんなに誰かを弄りたいなら、入部条件を緩めればいいじゃないですか」

「いーえ、それは駄目です。入部希望の生徒は、一万字以内の短編を持ってくること。この条件を変えるつもりはありません」


 そう。これが部員の集まらない理由。即ち、長月学園文芸部鉄の掟――「文芸部に入部希望の生徒は、一万字以内の短編を提出すること」である。


「ただでさえ文芸部は、やる気のない生徒の溜まり場になりやすいんですから。それにこの条件を緩めたら、私目当ての男子が殺到しちゃいますよ?」

「自分で言いますか、それ。まあ、実際そうなるでしょうけど」


 学校は勉学のためだけの場ではない、という校風が特徴である長月学園では、全生徒に部活動への参加が義務付けられている。そして文化系の部活というのは往々にして、部活動をやりたくない生徒達の絶好の溜まり場となり得てしまう。


 その対策として先輩が打ち立てたのが、先の鉄の掟である。「来年はちゃんと新入部員を入れろよ」という担当教師からのありがたいお小言と引き換えに、文芸部は今のような平穏を手に入れたというわけだ。


 もっとも数ヶ月前からひどいスランプに陥り、すっかり読み専になってしまっている僕に、やる気のない生徒達を馬鹿にする資格などない。元から読書家だったとはいえ、先輩目当てで入部したのは僕も同じだし。


「でも、せめて文字数ぐらいは緩和しても」

「駄目でーす。どうしても変えたかったら、海谷くんが部長になってから変えてくださーい。そ・れ・と・も……海谷くんは、嫌ですか? 私と二人きりで部活するの」


 向かい合った姿勢からぐいっと懐に入られ、悪戯っぽく顔をのぞき込まれる。僕がこの話題を出すと決まって先輩は、こうやって話しをはぐらかそうとしてくるのだ。

 そして憐れな子羊である僕は、それに対抗する手段など当然持ち合わせていないわけで。


「私は好きですよ? 海谷くんと二人きりで過ごす、この時間が」

「っ、ま、またそうやってからかおうとして。僕はもう、そんな冗談で慌てたりなんかしませんよ」

「むう、やっぱり冷たい。いま言ったこともさっきのことも、私的にはそこそこ本気だったんですけどねえ?」


 ドキッとさせられる発言に思わず目を逸らした僕を、先輩がニヤニヤと愉しそうに見つめる。至近距離から漂ってきた甘い香りに、情けなくも更に胸が弾んでしまう。


 上目遣いの潤んだ瞳。身長にしては大きめな双丘。差し込んだ夕焼けのせいで赤らんで見える、小悪魔っぽい表情。


 慌てふためいたりしない、なんて強がっては見たものの、健全な男子高校生ならこの状況で平静でいられるわけがない。それをやってくるのが、自分の思い人ともなれば尚更だ。


「……よし! 今日も海谷くんの可愛い顔が見れたところで、そろそろ帰りましょうか! 私、一日一回は海谷くんのことをからかわないと、満足できない体なので!」

「そ、そんなしょうもないこと、元気いっぱいに言わないでくださいよ。まったく――」


 ――まったく、なぜ僕はこんな人に惚れてしまったのだろうか。

 最初は、正直に言って見た目に惹かれただけだった。自分の肩と同じぐらいの身長に大きめの胸、黒髪ロングに黒タイツの先輩属性。そんな性癖にドストライクの少女とお近づきになりたい一心で、一年前の僕は一万字の短編執筆に挑んだのだ。


 しかし、そうして入部して以降も幾度か執筆に挑戦していくうちに、僕は創作の難しさと先輩のすごさを思い知った。


 なにしろ、こちらが頭を捻りに捻ってようやく三千字程度を出力するうちに、先輩は短編一本をしれっと完結させていたりするのだ。しかもその内容も、百人が読み比べれば九十九人が先輩の作品を選ぶだろうと断言できるほどに差があって。僕は悔しがることすら忘れて、唯々先輩を尊敬する他なかった。


 そして尊敬は、いつしか憧れに。憧れは、いつしか恋慕に。


 だって、仕方ないだろう? 元々見た目がドストライクだったのに、そんなすごいところまで見せつけられてしまったら、誰だって落ちる。僕だって落ちる。というか、今も絶賛落下中だ。


「あれ、海谷くん、まだ顔が赤くないですか? もしかして、想像しちゃいました? 私にエッチなことをするところ」

「……黙秘権を行使します」

「へーえ? いつもみたいに否定はしないんですね? これはもしかすると、本気で貞操の危機だったりしますか、私?」

「っああもう! いいから帰りましょう! もうすぐ下校時刻ですよ!」


 ああ、くそ。からかわれただけだって分かりきっているのに、まだドキドキが収まらない。

 生意気な先輩を、不意打ちで思い切り抱きしめて黙らせたいという童貞丸出しの妄想が、収まってくれない。


「ふふ、はーい。ではでは、今日も駅まで一緒に帰りましょうか。手を繋ぎたくなったら、いつでも言ってくださいねー」


 もはや言い返すことさえできず、心底愉しそうにこちらを見上げる先輩と隣り合って歩く。すでに校内に生徒はほとんど残っておらず、外で練習に勤しむ部活動の掛け声だけが黄昏色の廊下に響いている。


 勇気を出して手を繋ぎたいと言ったら、先輩はどんな反応を示すのだろうか。

 僕がスランプを克服して、本当にまた一万字の短編を書き上げてきたら、流石の先輩も慌てて言い訳をするのだろうか。それとも本当に『そういうこと』を、させてくれるのだろうか。


 無言のまま玄関まで辿り着き、潰れた外履きの踵を直し終えたとき。そんなことを不意に思った。


「海谷くん。さっきも言いましたけど……私、そこそこは本気ですからね?」

「……へ?」


 心を読んだかのようなタイミングで呟かれた台詞に、ハッとして顔を上げる。

 普段より少しトーンの落ちた先輩の声。それが、この人が真面目な話しをするときのクセのようなモノだと、一年間の付き合いから僕は学んでいた。

 校門と夕日をバックに佇む憧れの人せんぱいから、目が離せない。


「……なーんちゃって。海谷くんは本当にからかいがいがありますねえ。顔、また真っ赤になっちゃってますよ?」

「ゆ、夕日のせいでそう見えるだけですよ。っていうか先輩、絶対『一日一回』じゃ満足できなくなってるでしょ、僕のことからかうの」

「や、やだ、海谷くんったら。『一回だけじゃ満足できないんだろう?』だなんて。セクハラで訴えられても知りませんよ?」


 いつも通りのトーンに戻った先輩と、軽口を言い合いながら駅までの道を進む。

 僕をからかいながらときに楽しそうに、ときに愉しそうに笑う先輩は、悔しいことに世界で一番可愛いと思う。


 エロいことは、ひとまず置いといて。また一万字の短編を書き切って、絶対にこの人を慌てさせてやろう。

 好きな人と歩く幸せな時間の最中、僕は心の中で固く誓った。











「だあああっ! まったく進まねえええ!」


 ――なんて。そんなふうに格好つけてた時期が、僕にもありました。

 なんという軽はずみなことをしてくれたんだ、夕方の僕。誓った程度で小説が書けるようになるなら、今頃みんなプロ作家じゃないか。


 現在の時刻は午後十一時。六時に帰宅してから、夕食と入浴以外のすべての時間をPC画面さんとお見合いしながら過ごしていたので、大体四時間ぐらいは執筆活動に勤しんでいたことになる。


 だが、まあ自分でもびっくりするぐらい筆が進まない。現在僕が執筆しているのはSF短編なのだけど、なんとたったの千字も進んでいない。お見合いは大失敗である。


「いくらスランプでも、千字くらいは進むと思ったんだけどなあ」


 うん、正直に言うと舐めていた。「いくらスランプと言っても、一日三時間も執筆すれば千字は書けるだろう。それを繰り返せば一万字なんてあっという間だ」ぐらいに考えていた。


 実際、入部時に書いた一万字の短編は、悪戦苦闘しつつもそうして書き終えることができた。「初めての作品を完結させられるなんて、海谷くんは偉いですね!」と先輩に褒められ、すっかり天狗になっていたことをよく覚えている。


「……でも、先輩に見せるものを妥協はできない。もっと頑張らないと」


 例えば、これが完全に趣味としての作品だったのなら、僕もここまで思い悩まなかっただろう。多少の実力不足には目を瞑って、「とにかく最後まで書き切ること」を最大の目標にしていたはずだ。


 しかし、これは先輩に――自分の惚れた女性に見せるための作品である。

 従って誤字も、読み辛い改行も、センスが悪いと思われてしまうセリフも、すべてが許されない。他ならぬ自分自身のプライドが、「こんな出来損ないは許容できない」と、キーボードを叩く指にブレーキを掛ける。


 それこそが、僕の陥っているスランプの原因。先輩のことを好きになればなるほど進行する、まるで呪いのような悪循環。


 素人の創作において、妥協と言うのは非常に重要だ。「初めてにしては出来が良い」から妥協を繰り返しつつ作品を完結させていって、「素人にしては」「一年目にしては」と徐々にハードルを上げていくのが、なんだかんだで上達への一番の近道だと僕は思っている。


 ……思っているのだけど。


「改行の位置は、こっちの方が読みやすいか? 読点を打ち過ぎか? ああ、よく見たら同じような文末が続いてる。あれ、ここは漢字よりひらがな表記の方が――?」


 分かっているのだ。そんな細かいことを一々気にしてるから、筆が進まないのだということくらい。

 気づいているのだ。そういう部分は一旦最後まで書き切ってから、まとめて手直しした方が効率的だということぐらい。


 でも、できない。この作品を先輩に見せるのだと意識すると、どうしても小さな埃のような粗が気になってしまう。そして一度気になってしまうと、納得できるまで書いては消してを繰り返してしまう。


 こういうとき、数ヶ月前までは先輩にアドバイスをもらって添削していたわけだが、スランプに陥って以降はそれすらもできずにいる。まさに八方塞がりだ。


「……くそっ、やっぱり駄目だ。そもそも、SFって題材が僕には向いてないのか……?」


 思わず口をついたそんな弱音を消し去りたくて、ブンブンと首を横に振る。執筆が行き詰まると、「別の作品の方が良いのでは」とつい弱気になってしまうのは、僕の悪いクセだ。


「細かいところが気になるのは仕方ない。でもせめてもう少し……もう少しだけでも、スムーズに文章が浮かんでくれれば……」


 ああ、駄目だ。悪いクセだと自覚しているのに、どうしても弱気を振り切れない。

 入り組んだ道の先にはなにもないと知りながら、思考は一旦逃げ込んでしまった現実逃避という迷宮に、どんどん迷い込んでしまう。


 いまPC画面に映し出されたSF短編は、手持ちのアイデアの中では一番考えがまとまっている作品だ。主人公が宇宙探査から帰還すると、なぜか地球文明は失われていて――というありきたりな展開ではあるものの、少なくとも起承転結はしっかりしていると思う。プロットだって完成している。


 でも、他になにかないものだろうか。

 スランプ中の僕にも書くことができて。

 もっと好きな人に見せるのに相応しくて。

 あのいつでも余裕綽々の先輩を動揺させられる。

 そんな、今の僕にぴったりな都合の良い作品が――






「――


 あった。あったよ。

 今考えていた条件を全部満たしてくれる――作品を、なんと僕は思いついてしまった。

 逃げ込んだ思考の迷宮の奥で、僕は禁断の秘宝を見つけてしまったのだ。


「い、いやいやいや! 流石にこれは……!」


 先ほど以上にブンブンと首を振りながら、自分の考えを否定する。首の骨がピキリと軋んで、口から小さな呻きが漏れた。

 客観的に見ると、今の僕は相当おかしな奴だと思う。いつの間にか零時を過ぎ理性が働かなくなってきていたとはいえ、まさかこんな馬鹿なことを思いついてしまうなんて。深夜テンションって恐ろしい。


「でも……これなら、。一万字でも二万字でも、絶対に書ける」


 それは、迷宮に潜む悪魔の囁きだった。

 確かにこのアイデアは、僕の望むすべての条件を満たしている。これならば、僕は今すぐにでも執筆に取りかかって、数時間後の登校時刻までに一万字を書き切る自信がある。


 だがしかし。このアイデアには、とんでもないデメリットが存在する。

 もし、先輩がこの掟破りのアイデアを認めてくれなかったら――僕は先輩と、二度と普通に接することができなくなってしまうかもしれない。

 もう二度と、先輩の世界一可愛い笑顔を、見ることができなくなるかもしれない。


「……どうする、どうする。これまでの先輩の態度からして、たぶん大丈夫だとは思うけど……でも……うーん…………いけるか…………だめか…………いや……いけるのか……?」


 僕は悩んだ。

 今まで生きてきた中で一番、そしてこれからの人生においても、これ以上に悩むことはないだろうというぐらい悩みまくった。お見合い中だったPC画面さんも呆れてスリープモードに入ってしまうくらい、本気の本気で悩みまくった。


 悩んで、悩んで、悩んで。

 悩んで悩んで悩んで。「悩むぐらいならとりあえず書いてみよう」と手を動かし始めてからも、とにかく悩んで悩んで悩みまくって――











「……へ? い、一万字の作品を書き上げたって……昨日の今日でもうですか!?」


 悩んだ末に、僕は『ソレ』を書き終えていた。

 気づいたときには、もう朝日が昇っていた。徹夜明けのボーッとした頭で登校して、授業を受けて、そしたらいつの間にか放課後になっていた。

 先輩の驚いた声を聞いてようやく覚醒するまで、半分は眠っていたようなものだ。


「ふ、ふーん。そんなに急いで書いてきたってことは、よっぽど私とエッチなことがしたかったんですね、海谷くん。純粋そうな顔してむっつりなんですから、もう」

「いや、うん、まあ、その……と、とりあえず読んでもらえますか、先輩。エッチ云々は、この際どうでもいいので」

「……? ま、まあ良いですけど……?」 


 どうやら先輩も、僕の様子が普段と違うことに気づいたようだ。僕が予想以上の早さで短編を書き上げた驚きも合わさって、その表情からいつものような余裕は感じられない。


 でも、余裕がないのは僕も同じだった。

 いったい昨日の僕は、なにを思ってこんなものを書き上げてしまったのか。深夜テンションにも限度があるだろう。なにが「禁断の秘宝を見つけた」だ格好つけやがって。こんなもの秘宝でもなんでもなくて、ただの黒歴史だ馬鹿野郎。


「……あの、海谷くん? なにやら渋い顔をしているところ申し訳ないんですけど、その書き上げた短編とやらはどこに? もしかして、文芸部の共有フォルダにもう入ってたり?」

「い、いいえ。今回はプリントアウトしてきたので……こちらになります」


 言いながら僕は、後ろ手に隠し持っていた『ソレ』を先輩に差し出した。

 怪訝そうに首を傾げながら、『ソレ』に手を伸ばす先輩。当然だろう。僕と先輩の作品はネット環境があればいつでも見られるように、部の共有フォルダに保存されることが大半だ。それらをわざわざプリントアウトする必要性はほとんどない。


 では、なぜ僕がこの短編をプリントアウトしてきたかといえば……まあ、あれだ。

 病院でナースさんに注射をされるとき。たとえどれだけ怖くても、注射針の行方が気になってチラチラ見てしまうタイプなのだ、僕は。


「ええと、その。手を離してもらえますか、海谷くん。紙、破れちゃいますよ?」

「ど、どうしても読みますか、先輩。突然気が変わったりは?」

「い、いやいやいや! 読んで欲しいって言ったの、海谷くんですよね!? いやまあ、ここまできたら私も絶対に読みたいですけど!」

「そ、そうですよね、はい。……ど、どうぞ……!」


 もはやこれまで。覚悟を決めて、強く握りすぎて皺の寄った紙の束から手を離す。

 もう僕には、「なんなんですか、もう……」と文句を言いながら皺を伸ばす先輩を、祈りながら見つめることしかできない。


「えーと、なになに。タイトルは――」


 いったい、この期に及んでなにを祈るのかって?

 そりゃあ、もちろん決まっている。


「一万字の仕返しを、アナタに」


 この、一万字の思いを込めた『仕返し』が――どうか成功しますように。

 大好きな先輩の心に、どうか届きますように。




          *




 僕がアナタのことを知ったのは、入学してから三日目のことでした。

 二年生の先輩に、めちゃくちゃ可愛い人がいるらしい。中学時代からの悪友にそそのかされ、その人がいるというクラスに足を運んだ僕は、すぐに気づきました。


 その「めちゃくちゃ可愛い人」と言うのが、窓際の席で読書をするアナタだということに。

 自分がアナタのことを、一瞬で好きになってしまったということに。


 でもそのときの僕は、あくまでアナタの外見に惚れただけでした。

 僕がアナタのことを本当の意味で好きになったのは、アナタのいる部活に入部したあとのことです。


「文章っていうのは、所詮は記号の羅列でしかないんです。でも、だからこそ。その『でしかない』ことが現実以上の感動を生み出せるって、とっても素敵なことだと思いませんか?」


 その言葉を聞くまでの僕は、「なにかを本気で好きになること」に躊躇していました。「何事もほどほどが一番だ」と自分に言い訳をしながら、色々なことに手を抜いて生きてきました。


 だからこそ。僕はアナタの、「自分の好きなことを、確かな自信を持って肯定する姿」に、どうしようもなく惹かれたのです。

 惹かれて、恋い焦がれて。いつの間にか僕は、アナタのことが本気で好きになっていました。




          *




「あ、あの……海谷くん、これは……!?」

「いや、その……見ての通りです、はい」


 そう。これこそが、僕の思いついてしまった短編。

 余裕綽々の先輩を慌てさせるために、僕が考え出した『仕返し』。

 即ち――たっぷり一万字をかけて綴った、清花先輩へのラブレターである。




          *




 僕は、アナタの書いた物語が好きです。

 アナタの創った世界の住人は全員が生き生きとしていて、いつも僕を楽しませてくれます。いつか自分もこんな物語を生み出したいと、怠惰な僕にやる気を与えてくれます。


 僕は、アナタの容姿が好きです。

 容姿よりも中身の方が大事。という人がたまにいますが、僕は違います。どっちも大事です。あまり詳しく語ると生々しくなるので控えますが、顔も、体も、表情も、僕はアナタのすべてが好きです。


 僕は、アナタの性格が好きです。

 なんだかんだで僕は、アナタにからかわれるのが好きです。いや正確に言うと、僕をからかうアナタの愉しそうな笑顔が好きです。世界で一番可愛いと思います。

 どれだけ恥ずかしい思いをしようと、その笑顔を見るとすべて許してしまいます。惚れた弱み、というやつです。


 僕は、アナタが好きです。

 元々、アナタが卒業するまでには絶対に告白しようと思っていましたが、もう気持ちを抑えられそうにありません。だから今回のことは、きっと良い機会だったのだと思います。


 何度でも言います。何度でも書きます。

 僕は、アナタのことが好きです。

 海谷紡は、桜川清花さんのことが、大好きです。


 僕と、付き合ってください。




          *




「な……なななな、な……!?」

「え、えーっとですね……どうやってスランプを乗り越えて一万字を書き切ろうかと悩んだ末に、うっかり思いついてしまいまして、はい」


 ――なんでこんなモノを書いたんですか!?

 先輩の「な」連呼が恐らくはそういう意味だろうと推察して、僕は正直に答える。


 総文字数、一万字ジャスト。一万五千字程度になってしまったものを添削し、誤字がないか入念にチェックし、段落分けや読点の位置、言葉選びにも時間が許す限り悩み続け。そうして完成した作品が、こちらになります。お気に召していただけたでしょうか。


「ば……ばばばば、ば……!?」

「は、はい。自分でもそう思います。本当に恐いですね、深夜テンションって」


 ――馬鹿じゃないんですか、あなた!?

 先輩の「ば」連呼が恐らくはそういう意味だろうと推察して、僕は再び正直に答える。


 うん。本当に、自分でもどうかしていると思う。いつかは気持ちを伝えようと思っていたとはいえ、まさかこんな形で告白することになるなんて。

 まあでも、元はと言えばそれもこれも、先輩が「エッチなことをしてあげます」なんて軽はずみに言い出したのが原因だ。自業自得だと諦めて、どうか僕の気持ちを受け止めて欲しい。


「っ~~~!!! ちょ、ちょっと待ってくださいっ……! い、いま、いま落ち着きますから……!」


 すーはーすーはーと、顔を耳まで真っ赤に染めて深呼吸を繰り替えす先輩。今まで僕は、僕のことをからかっているときの先輩が一番可愛いと思っていたのだけど、どうやらそれは早計だったようだ。


「……初めて見ましたけど、照れてる先輩って滅茶苦茶可愛いですね。もっと好きになりました」

「は、はあっ!? い、いまそんなこと言わないでくださいよお! っていうか、ついさっきまでは弱気だったくせに、なんでそんなに開き直ってるんですか、もおおおおおおおおおっ!」


 いやだって、もう読まれちゃった以上、今更あたふたしても仕方ないし。

 先輩が予想以上の反応を見せてくれたおかげで、僕の方は逆に落ち着いてしまったのだ。


 というか、あれだな。

 動揺してあたふたしてる先輩って、マジで可愛いな。

 一日一回は相手をからかわないと満足できない。そんな先輩の気持ちえすっけが、今こそ理解できた気がした。


「……それで、先輩。どうでしょうか。僕の気持ちは、伝わりましたか?」

「…………はあああああああああああああ…………」


 大きな大きな溜め息をつきながら、先輩は力なくその場にしゃがみ込んだ。

 これは……どういう意味なのだろうか。あまりに馬鹿馬鹿しすぎて、あきれ果ててしまったということなのだろうか。

 それとも――


「――です」

「……え?」

「……合格ですって、そう言ってるんですよ。まったく」


 どこか観念したように呟きながら、一歩こちらに近づくようにして立ち上がった先輩。咄嗟に反応することができず、思わず固まってしまう。

 すぐにでも抱き寄せられるほどの至近距離。潤んだ上目遣いの瞳が、僕をジッと見つめている。


「……海谷くん。目、瞑ってください」

「え、あの、先輩?」


 先輩の両手が、僕の頬を優しく包む。

 いつになく真面目で、それでいて色っぽい先輩の顔が、近づいてくる。

 頬が朱色に見えるのは……きっと夕日のせいだけではないだろう。




 ――ちゅっ。




 僕の思いついた、一万字の『仕返し』。

 その返答代わりの口づけエッチなことは、時間にして一秒にも満たないソフトキスだった。

 恥ずかしそうに、そしてどこか申し訳なさそうに、先輩が呟く。


「……ごめんなさい。ここまで早く、しかもこんな素敵なものを読ませられるなんて、思ってもいなかったので。今は、これで勘弁してください」

「……先輩」

「は、はい」

「大好きです」

「……ばか」


 ――こうして。

 完全にノリと勢いだけで行われた僕の一世一代の『仕返し』は、見事大成功のうちに幕を閉じた。

 本当なら、付き合い始めてから分かった先輩の新たな可愛さを、この場を借りて余すことなく語り尽くしたいけど……残念ながらそれはできそうにない。


 だって、先輩の可愛いところなんて。

 たとえ文字数制限が二万だろうが三万だろうが、絶対に語り尽くせないのだから。

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