第3話 スタッフが美味しくいただ――けないものもある
「馨君はさ」
妻の声に、煮卵を箸で割っていた馨は「ん?」と言う。
「お箸の持ち方綺麗だよね」
「まぁそうかな」
「私はどうしても鉛筆持ちになっちゃうんだよね」
「じっと見てないと気付かないよ」
「そっか~」
梨帆は正しい持ち方に持ち直し、割った煮卵の欠けた黄味を掴んだが、ほろりとあっけなく皿に崩れ落ちる。
今日はいつも行くスーパーで、豚バラのブロックが安売りをしていたので、豚の角煮を作っていた。一緒に煮たゆで卵は、その表面に玉の油をくっつけて、艶々とてかっている。
「ところで梨帆さん」
「なんだね馨君」
「さっきから君、特売されてるんだけど」
「うぇい?」
なんのことじゃ? と梨帆は馨に指さされた自身の腰を見る。梨帆のエプロンには、先ほど剥がしたばかりの特売シールが、我が物顔でデデンと貼られている。梨帆はシールに手をやり、ビッと剥ぐ。
「……今日豚バラが特売だったんだよ」
「梨帆腹も特売する気?」
「売れるもんなら売りたいですけどねえ!」
梨帆は自らの腹をぐわしっと指で摘まんだ。なんの抵抗もなく摘まめる程度には、梨帆腹は今日も特盛りだ。
「太ってないって」
「でも摘まめる」
「ふにっとしてて好きだからいいよ。そのままで」
「そうです? まあお宅がそう言うんでしたら、やぶさかではありませんけど」
「照れてる」
「照れてない」
「そうだよね、照れてないよね」
これ以上何を言っても勝ち目はない。梨帆は下手な持ち方で掴んだ煮卵を、口に放り込む。
「最近さ、SNSでさ」
皿の縁についた練り辛子が、角煮で剥られる。思っていたよりもたっぷりと辛子がついてしまった。
「電子レンジレシピとか流行ってるんだよ」
「へぇ」
「これとこれとこれを入れて、あとはレンジでチンッとしたら出来上がる、みたいな」
「いいね」
「洗い物も少なく済むし」
「うん」
「……でも、ごめんね」
「え。これ電子レンジレシピなの?」
美味しいじゃん、と馨が続ける。角煮の横に添えていたほうれん草のおひたしも、美味しそうにパクパク食べている。
「ううん……鍋で作った」
「……ん? じゃあなんで謝ったの?」
梨帆は無言で立ち上がると、台所へ歩いていった。対面式になっているため、馨も首を伸ばせば梨帆が見える。
梨帆は電子レンジの前で立ち止まった。マジックショーのアシスタントのように、澄ました顔をして、電子レンジを指している。
パカリ。
電子レンジが開く。中を見て、馨は絶句した。
「……おお」
「でも中には面白半分の嘘の情報もあるから、気をつけようと思った今日でした」
電子レンジの中は、卵まみれだった。飛び散った半熟の白身や黄身がべったりと車庫内にへばりついている。
【誰でも簡単にレンジでゆで卵が出来る!】
なんていう投稿を信じた自分が馬鹿だったのだ。それか、梨帆は「誰でも」の中に含まれていなかったに違いない。
「……そうだね。掃除手伝おうか?」
「いや、一人でやる。けどこれどうしても見て欲しかった」
時間が経ち、取れにくくなってしまったが、それよりもどうしても見て欲しい欲が勝った。写真を送ることも出来たが、車庫内は暗く、上手く撮れなかったのだ。
それに、あまりにも悲惨なレンジを前に、掃除する意欲を持てなかったのもある。
「あと卵無駄にしてごめん……」
「そんなことはいいけど」
「いいや、これがもしテレビなら絶対に下にテロップで、『※スタッフが美味しくいただきました』って出てるやつだもんね!! でもさすがにこれは悪食を誇る月見里スタッフでも美味しく食べられないからさ!!」
「いいって。わかったって。食べよう」
「はい……」
席に戻った梨帆は、皿に残っていた角煮を無造作に口に入れた。
しかし先ほど辛子を大量に付けてしまっていたことを忘れていた梨帆は、派手に咽せることになった。
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