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 太陽が西のプリット山脈の向こうへと沈んでいく。その山脈を越えた先には西の隣国レンドリア王国があるが、彼の国もこの物語には関係はない。

 大陸の南側から異教徒が攻め上って来ているが、それもまだこの頃はさして問題ではなかった。本当に異教徒、Kon-Boo教の脅威が認識されるようになるのはさらに半世紀ほど先のことである……

 雲ひとつない快晴の空は夕焼けで橙に染まり、照りつける夕陽は野原や森林を色鮮やかに彩った。

 昼の間に金髪の射手と茶髪の剣士は都市の南のロエーヌ川のほとりまで移動していた。ゆるやかな川の流れの水面で、光の粒が踊っている。

 ヘズンは何度も弓を確認していた。しなやかで丈夫な最高級の木材として扱われるニンナの木で作られた彼専用の長弓、アンドルディースである。扱うのが難しい長弓を、彼は馬の上からでも正確に狙い撃つことができる。

 一方のエルが持つのは一メートル二十センチの長さを持つ長剣グラム。アルト家に伝わる双剣の一本で、もう一本は兄ゼイの持つホウズであった。

 余談と言えば余談だが、グラムもホウズもノエリアの名前ではなく今はヴェーレン王国が支配する北のアッシナ半島で語り継がれる神話に登場する剣の名前である。

 「もうそろそろかな」エルが西日を眺めて言った。

 ヘズンは矢筒の中の矢を取り出した。「完全に暗くなってからだ」

 程なくしてオレンジの空は群青にその支配権を譲り渡し、それも夜の暗闇へと吸い込まれて消えていく。空に点々と浮かぶ輝きは一つ二つと増えていき、いつの間にか漆黒の夜空に無数の星が浮かんで様々な色の光を投げかけた。

 「行こう」イスンの街を囲う高い城壁の上に灯り出した灯りを見てヘズンは立ち上がった。矢筒の蓋を閉めると川にそのまま飛び込む。

 水しぶきが上がり、明るい金髪は黒い水面の下に消えた。

 エルも泳ぐのに邪魔なマントを置き、覚悟を決めて川に入った。夏先とは言えまだ川の水は冷たい。しかしエルにとって水の冷たさなど気にしている場合ではなかった。壁の上には見張りがおり、見つかった時点で作戦は失敗である。音を立てず、見つからないようになるべく潜って川の流れに沿って進んだ。

 ロエーヌ川の流れは目で見て感じるほどにはゆっくりではなく、息を吸うために何度か水面から頭を出す内に城壁はどんどん近づいてきた。船が通れないように格子が下ろされている。

 エルは一旦肺に空気を溜めれるだけ溜め、そのまま水中に潜った。格子の隙間は一メートルほどあり、人間が十分入れる大きさである。まさかこの水門の設計者は泳いで入るなんてことは想定はしていまい。

 格子に頭を打ち付けるのではないかと一瞬背筋が寒くなる思いをしたが、思ったよりもあっけなく水門は通過できた。次に水面から顔を上げたとき、既に壁を通り抜けて市街地に入っている。左右の家々には灯りが灯って夜の幻想的な街の姿を演出していた。

 エルの頭に、目の前を泳ぐヘズンのことが思い浮かんだ。彼に対するエルの評価はまだ定まっていない。そもそも騎士であることを誇りとするエルにとっては傭兵と言う仕事そのものに好感は抱きづらいだろう。金次第でいくらでも主義を変える傭兵が、アルト家の者として仕えた相手に忠義を尽くすエルの価値観と対立するのは当然だった。

 しかし傭兵と言う職業はともかく、ヘズン・アーガスと言う青年に対してエルは興味を持った。無愛想で、年齢の割にどこか物事を達観していて、傭兵のくせに金には興味が薄いように見える。

 今後彼とどう付き合っていくかも、考えた方が良いかな。そんなことを考えている間にエルは船着き場の桟橋へと近づいていた。

 船着き場には人っ子一人いない。反乱が起きてから水運がストップし、この船着き場の役割も無くなっているのだ。

 桟橋に手をかけて上がる。水から出たとき、エルはびしょ濡れになっていた。体中から水が木の桟橋に滴り落ちて水たまりを作る・服そのものが水を吸い込んで重くなっていた。

 ザバンと音がして黒い革服の青年が上がった。革ゆえにエルよりは水を吸っていないように見える。

 「水泳は楽しかったかい?」ぺったんこになった茶髪をかき回してエルが軽口を叩いた。

 「次からは服着て弓を抱えて水泳するのは願い下げだな」咳をしながらヘズンは答える。

 「君の考えた作戦だろう」エルはそう言ってけらけらと笑うと、服の水を絞って少しでも水分を落とそうとした。

 この時点では誰にも見つからず潜入することができた。ここから主力部隊が待機している西側の門を開く必要がある。

 「行くぞ。早く門を開こう」まだ水をまとわりつかせたまま、ヘズンは立ち上がった。

 イスンの町並みは王都ノエルを含む他のノエリアの都市と変わらない。石製、木製を問わず壁のように密集して立ち並び、石造りの通りは広く作られている。壁に囲まれた狭い空間になるべく多くの人口を詰め込むためのもので家はほとんど二階か三階まであり、見る者に圧迫感を与えるものだった。

 反乱軍によって夜間の外出が禁止されているのだろう。いつもな賑やかな通りに誰一人いない。これはヘズンたち侵入者にとってはディスアドバンテージだった。

 なるべく目立たないように、通りの壁際を歩く。しかし完璧にとは中々行かないもので、巡回中の兵士二人に見つかった。

 「おい、お前ら!」反乱軍の民兵二人は石槍一本しか持っていない。市民を威圧するには十分でも、軍隊や傭兵を相手にするには分が悪いだろう。

 「外出禁止令を破って出ているのか?」民兵は槍を片手に歩いてくる。

 逃げれば通報される。戦わずに行きたかったがここは仕方がないだろう。ヘズンは背中にかけたアンドルディースを手に取った。

 が、それに矢をつがえるよりも早く目の前で民兵二人はばたばたと横転した。見るとエルがいつの間にか彼らの後ろに立っている。すれ違いざまに二人とも真っ二つにしたのだ。

 剣がもはや見えない速さで動き、叫び声一つ上げずに倒れた兵士。エルの剣の腕前は実戦で証明されることとなった。

 「死体を片付けている暇はないな。さっさと行くぞ」

 エルの腕前に対する賛辞の言葉も何の感慨も口にしないでヘズンは先に進み出した。エルも剣を戻すと後を追う。

 幸いにもそれ以降敵と出会うことは無く西の城壁に近づくことができた。

 「どこで門を下ろすことができるんだ?」

 エルの問いにヘズンは西門の横を指した。「すぐ横の制御室に開閉に必要なハンドルがある。そこまで行こう」

 しかし十数人かの兵士が門を警備している。装備が貧相とは言え弓持ちもおり、数は無視できない。

 「かわして行くかい?」エルが尋ねる。

 「あの数を相手取れるか?」

 「うーん、どうだろう」

 「よし、正面突破だ」

 エルは苦笑寸前の表情でバディに視線を向けた。だがそれも一瞬のことで腰の愛刀を音もなく素早く抜き構える。ヘズンも今度こそアンドルディースに弓をつがえ、引き絞る。

 「後ろは頼むよ」

 「誤射はしないようにする」

 「了解」

 次の瞬間、エルはヘズンの隣から消えた。門までの距離三十メートルを瞬く間に詰め、最初の一人が絶叫を上げて倒れるまでに数秒とかからなかった。

 最初の一撃で周囲の三人が倒れた。そのままエルは剣を振り回す。周りには雑に振り回しているようにすら見えるがその実ガードの薄い場所を正確に狙っているのだ。それも正面の敵だけではなく横や後ろまでカバーしている。エルを取り囲んだ民兵は瞬く間に鮮血を撒き散らして固い地面と接吻することとなった。

 目の前で一瞬で数人が切り刻まれる光景を見てその周りの民兵たちが恐怖したのは無理もないだろう。だがそれで足を止めてエルの次の獲物となるのもまた無理もないことだった。

 目にも留まらぬスピードで動き回り、剣士の半径一メートル以内に入った人間は漏れ無く血の華を宙に咲かせて絶命することとなる。

 しかし一人の兵士がたまたまエルの攻撃を弾いた。それは本当にたまたまで、その兵士は自分が弾いた攻撃にも関わらず後ろによろめいて尻餅をついた。だがこれが一瞬だけエルの動きを止め、弓兵がエルの背後から狙い撃とうとする。

 その兵士の頭を横から一本の矢が刺し貫いた。お陰でエルは隙を突かれることもなく再び戦闘を再開できた。

 ヘズンは数十メートルの距離からエルと戦う敵の中で誰がエルにとって脅威となるかを瞬時に見分け、これまた瞬時に弓を撃ち放っていた。特に弓兵はそのほとんどがヘズンの餌食となったのである。

 最後の一人が情けない声を上げて倒されたとき、エルの周囲は死体まみれになっていた。だが当座の目的はここで死体の山を築き上げることではない。

 西門のすぐ横にある制御室には巨大なハンドルがあった。

 「それを回せ、早く!」後から入って来たヘズンが急かした。騒ぎを聞き付けた反乱軍の兵士たちが集まってきている。

 エルは急いでハンドルを回した。ガラガラと鎖の音が響き、上げられていた跳ね橋が下げられていく。すぐに水堀の上に橋がかけられ、西門は開けられた。

 夜闇に紛れて門の近くで待機していた兵士たちの前に進路が開かれる。

 「突撃!」

 四百人の兵士が立ち上がり、剣や槍、クロスボウを構えて一斉に突撃した。城壁の上から矢が降り注ぎ、数人の兵士は門を前にして倒れる。下からも矢が打ち上げられ。絶叫しながら水堀まで転落する反乱軍もいた。

 ノエリア王国軍一個大隊の兵力が橋を押し渡って城門からイスン市内へと突入した。少し前までエルが戦った場所は、今や王国軍と反乱軍の戦場となっている。この混線で弓やクロスボウが使えるはずもなく、弓兵たちも短剣を握って突撃した。

 数において反乱軍は決して不利ではない。だが軍隊の武器の質や練度において圧倒的に劣っていた。しかも指揮官のエルが先頭に立って反乱軍の兵士をばたばたと斬り倒すものだから自然と兵士たちの士気も上がるのである。

 程なく狭い門の近くでの激戦は広い通りへと移動し、クロスボウや弓の攻撃も始まった。

 ヘズンが三十人ほどの弩兵を引き連れて通りを進んでいると、前から反乱軍の部隊が現れた。統率もなく、ばらばらに突進してくる。

 「構えろ!俺の号令で撃て!」ヘズンはすぐに命令を下し、自らも弓に矢をつがえた。他の兵士もそれぞれにクロスボウを構え、狙いを定める。

 「撃て!」

 飛び出した矢の雨は反乱軍の兵士を一瞬でばたばたと倒し、一斉射撃の恐怖に反乱軍は逃げ出した。剣や槍を持った兵士たちがその後を追う。

 王国軍が城壁内に入った時点で反乱軍に勝機などなく、その後朝まで掃討戦が続いた。反乱軍の抵抗はしぶとかったが勝敗を覆すことができるわけでもなく、東の空が明るくなり始める頃、東側の城壁の上に追い詰められた最後の反乱軍がやっと降伏した。残り二十人程度まで撃ち減らされての降伏である。

 「終わったな」一晩戦い、のしかかる疲労にエルはため息をついた。愛刀グラムにはべっとりと血糊が塗られている。返り血を浴びた彼自身の姿はいつもの長身の美青年とはまるで別人だった。

 ヘズンは城壁の壁の上に上り、東の方を眺めている。向こうの空はすでに明るく、白い霧の向こうから朝日が顔を出そうとしている。

 「ヘズン、お疲れ様」

 エルは言葉に最大限の労いの気持ちを込めた。

 金髪の傭兵は疲れたように頷いただけで、何も答えず壁を降りると、エルの肩をぽんと叩いて歩いて行った。

 やっぱり不思議な雰囲気のある人だ。エルが傭兵の背中を見て物思いに耽っていると、すぐに後ろから声がした。

 「アルト中佐」

 士官の事務的な声がエルの思考を中断させる。

 「捕らえた者の処遇はどうなさいますか?」

 「王都に連れていく。それと、兵には略奪をしないよう厳命しろ」

 「は?」

 「命令だ。略奪は許さないと」

 士官は一礼して去っていった。

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北暦世界-金髪傭兵の物語 フェルディナント @Rinne0225

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