第26話 皇太子誕生

皇太子アドリアンが誕生したのはクロードとバルが会ってから数日後のことだ。


 同時に第二皇子のリュディガーが新しい騎士団の総長となることが発表される。


 皇子の支持勢力の子息が主な団員であり、北方辺境の護衛が主な任務であるという。


 潜在的な危険な連中をひとまとめにして、遠く過酷な地に飛ばしてしまうという露骨な人事に貴族たちは大いに驚く。


 慎重すぎて臆病者だとこっそり陰口を叩かれてきた当代皇帝らしからぬ決断だったからだ。




「ちくしょう、どうして俺が……俺の祖父は公爵だぞ」




 リュディガーはとても悔しがったが、もはや誰も取り合わない。


 何かにつけて「自分の父は皇帝だ」「自分の祖父は公爵だ」と言うから嫌う者が多いのに、誰にも指摘されなかった男の悲哀がある。


 彼の母は夫に抗議したし、父に訴えたが両方からの反応は冷淡だった。




「余の決定に異を唱えるのであれば、そなたであっても罪に問わねばならぬぞ」




 夫たる皇帝は厳しい顔をして言い、彼女を青ざめさせる。




「これ以上文句を言うと反逆罪になる。お前も息子も処刑され、公爵家は取り潰される。当然私も処刑だ」




 父たる公爵からは具体的な未来を提示され、彼女は絶句してしまった。


 もう少しで手に入るはずだったものの大きさを追うよりも、今持っている全てを失う恐怖が勝ったのか、第一妃はこの日より大人しくなる。




「もっと早く気づいてくれたら、苦労は少なかったのに」




 皇帝は内心ぼやいたが、大過なく終わったことで満足することにした。


 忙しくなったのはアドリアン陣営である。


 皇太子となった以上、皇帝の代理人としての権限を持ち、それに応じた職務が課せられるのだ。


 覚えることは山ほど増える上に、今回の場合は支持してくれた者たちに礼を言って回らなければならない。


 もちろん皇族と臣下という形だから、庶民の絵本に出てくる「褒めてつかわす」という内容だが。


 新しい皇太子の誕生に喜び、お祝いの言葉を並べ、贈り物を持ってきた貴族たちへの対応を済ませたアドリアンは、個別に礼を言うべき存在を私室に呼び寄せる。


 呼んだのはクロード、マヌエル、バル、ミーナ、将軍、魔術長官の六名だった。


 皇太子アドリアンの私室はあまり広くなく、調度品も質素である。




(皇族ならもう少し豪華なくらいでちょうどいい気がするが)




 とバルですら思ったほどだ。




「ようこそ」




 部屋の主人であるアドリアン以外にはひとりの侍従しかいなかった。


 その侍従は五十代の物静かな白髪の男性で、侍従長という要職についている。


 呼び寄せた面子への信頼を意味するし、内密の話をしたいという無言の表明でもあるのだろうとバルは解釈した。


 全員が腰をかけて侍従長が花柄のティーカップに淹れられたお茶を配ったところで、アドリアンは口を開く。




「貴殿らの支持によって私が皇太子という地位に選ばれたと、皇帝陛下よりうかがった。改めて礼を言わせてくれ。ありがとう」




 彼の言葉にミーナ以外は左胸に右手を当てて頭を下げる「拝礼」をもって応える。


 彼女が頭を下げないことも予想していたのか、アドリアンも侍従長も気にした様子は見せなかった。




「これからは貴殿らの期待に応えて、精一杯務ると誓おう。ところで貴殿らに何らかの礼をしたいのだが、何を望む? 皇太子の権限でかなえられることなら、できる限りのことはさせてもらう」




 皇太子はそう言ってから最初にクロードを見る。




「クロードよ、どうだ?」




「はい。父君に負けぬよい政治をお願い申し上げます」




「それは私の責務であって、貴殿の褒美にはできんな」




 クロードの欲のない回答にアドリアンは苦笑する。




「今すぐでなくともかまわぬから、考えておいてくれ。次にヴァインベルガーはどうか?」




 名前を呼ばれたのはヴァインベルガー将軍だった。




「願わくば部下たちや我が故郷に恩寵を賜りますように」




 彼は今年で四十二歳になる痩せ型だが引き締まった筋肉の鎧をまとった武人で、眼光も鋭く言葉も堅苦しい。


 貴族でありながら叩き上げの戦士同然の経歴を持つ男の素朴な返答に、アドリアンはうなずく。




「分かった。大したことはできないだろうが、食卓に出る肉の量が増えることくらいならば叶うだろう。それとも砂糖菓子がよいかな」




「砂糖菓子のような高価なものをつけていただくのは、過ぎたる幸せかと存じます」




 ヴァインベルガーに即答されて皇太子は苦笑する。


 褒美はもらいたいが、甘やかすことはやめてもらいたいと言われたような気分であった。




「次にバルトロメウスよ。貴殿の言葉が陛下の心を決めたと聞く。何か望みはないか?」




 アドリアンの問いにバルは謹んで答えた。




「陛下は救護院のことをご存知でしょうか?」




「うむ。貴殿が援助していることも知っているつもりだ」




 皇太子は不明ではないことを示したつもりだったが、バルにしては予想通りの反応である。




「救護院に対してもう少し何とかならないでしょうか。特に孤児たちの中から未来の将軍や八神輝が誕生することもありえるでしょう」




「……分かった。国を担う人材が隠れている可能性があるのに、放置するのは愚かだな。皇太子の一存でやれることは限られているゆえ、陛下にも奏上してみよう」




 彼の提案をアドリアンは真剣な顔で聞いた。




「ありがとうございます」




 バルが答えて次はミーナの番がくる。




「ぬるいですね。リュディガー皇子の首はとらないのですか」




 彼女は要求ではなく、今回の件に対する感想を漏らした。


 バルから注意されたため、一応皇太子となったアドリアンに対しても敬語を使う。


 ここにいる者たちは全員彼女の性格をよく知っているから、表情をくもらせるだけにとどまる。


 バルがじろりとにらんだため、彼女は仕方なく自分の要求を口にした。




「魔術具がほしいです。具体的なものはあとで紙に書いて渡します」




「分かった。私が用意できそうなものにしてくれよ」




 彼女の要求に皇太子はうなずき、魔術長官に問いかけた。




「ライヘンバッハは何を望む?」




「はい。宮廷魔術団に割り当てられる予算なりに融通がいただければ幸いです」




 帝国の魔術師の頂点とも言える地位につくライヘンバッハは、実利的な願いを伝えてアドリアンを苦笑させる。




「国家予算は私の一存ではどうにもならぬ。もう少し違うものを願うように」




「失礼いたしました」




 宮廷の魔術師となってから四十数年、今年で六十歳になるライヘンバッハが知らないはずがない。


 分かっていても皇太子は指摘しなかった。


 彼なりのジョークだろうと解釈したのである。


 最後に聞かれたのはマヌエルだった。




「コレクションを保管しておくための倉庫をいただければと思いますが」




「分かった。手配しておこう」




 皇太子は自分の一存で何とかできそうな願いを聞かされ、少し安どして答える。

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『Web』日常ではさえないただのおっさん、本当は地上最強の戦神【書籍化】 相野仁 @AINO-JIN

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