第3話 年越し

 クリスマスは終わったが、街は煌びやかなままだった。クリスマスの飾りは、翌年の七日まで残しておく伝統があるため、街はクリスマスムードが残ったまま、新年を迎える準備で賑わっていた。

 しかし、明るい雰囲気とは逆に、陽は傾き周囲を暗くしていく。


 そんな街中をルドは一人で歩いていた。


「……引っ越しでもするのかなぁ」


 なぜか窓際に家具や食器を置いている家が多い。荷物をまとめて、これから引っ越し……と、いうわけでもなさそうだ。


 ルドが眺めながら歩いていると、目的の家に到着していた。外観は普通の民家だが、一歩中に入ると空腹を刺激する良い匂いが漂ってくる。テーブルと椅子が並んでいるが、客は誰もいない。


 薄暗い店内を抜けてキッチンの方に声をかける。


「すみませーん」


「おう! 待ってたぞ」


 キッチンの奥から、気前が良さそうな初老の男性が出てきた。グレーの髪をきっちりと頭に撫でつけ、快活な笑顔をしたナイスミドルである。


「ほら。注文通りに作ってみたぞ」


 シェフが布で包んだ箱と布がかかったカゴを、カウンターに置いた。


「年末にわざわざ、ありがとうございます」


「なぁに、気にするな。クリス様には、どれだけ尽くしても返せない恩があるからな。それにしても、年末年始に街の治療院で仕事とは、大変だな」


 ルドが苦笑いをする。


「緊急以外は受け付けないので、そんなに仕事はありませんよ。それに本日の治療師が誰かは公表していませんから、師匠の治療目的の人は来ないでしょう」


「ま、そうなるといいな」


 どこか含みを持ったシェフの言葉に、ルドが訝しむ。


「なにかあるのですか?」


「坊(ぼん)はオークニーここで新年を迎えるのは初めてだったな?」


「はい」


オークニーここでは新年を派手に迎えるんだ。だから、今のうちにしっかり食って、しっかり休んどけよ」


「それは、どういうことですか?」


 シェフが意味深に笑いながら布で包んだ箱を押し付ける。


「とりあえず、これを早く持って行きな。せっかくの出来立てが冷めるぞ」


「……わかりました。ありがとうございます」


 ルドはどこか不満気に箱とカゴを受け取ると、店から出て行った。


「頑張れよ」


 ルドを見送ったシェフがキッチンに戻ろうとして、カウンターの上にある硬貨に気が付いた。お代はいらないといったのに、律儀な性格である。もしくは……


「詳しく教えなかった仕返しかな」


 シェフは硬貨を手に取るとキッチンの奥へと消えた。





 ルドは街の中心地にある治療院に入ったが、人はおらず閑散としていた。


「いつもなら考えられないな」


 クリスが当番の時は、治療してほしいという人で溢れかえり、外にまで長い列が出来る。

 だが、今日はクリスが当番であることは知らせていないから、緊急以外では来る人もいない。


 ルドは二階にある休憩室へ移動した。


「ただいま戻りました」


「あぁ、街の様子はどうだった?」


 窓際に立っていたクリスが振り返る。窓の外では夕日が沈み、ポツポツと窓に明かりが灯り始めていた。


「賑やかでしたよ」


「そうか」


 そう言ってクリスが微笑む。その柔らかな表情にルドが釘付けになっていると、クリスが不思議そうに訊ねてきた。


「どうかしたか?」


「あ、いえ、なんでもないです。シェフから持ち帰りの料理を頂いてきましたので、温かいうちに食べましょう」


 ルドが箱をテーブルに置いて布を取る。箱は二段になっていたが、ルドはとりあえず上の蓋を外した。

 中には、鴨肉のテリーヌやローストビーフ、鱈のムニエルなどの肉や魚が並んでいる。下の段には茹でた野菜や、生のレタスなどの野菜があった。

 カゴの方には焼きたてパンが入っており、まだ湯気が出ている。


 想像以上のご馳走にクリスの顔が綻んだ。


「美味そうだな」


「そうですね」


 ルドがパンを手に取り、ナイフで切れ目をいれて、そこに肉と野菜を挟む。クリスも同じようにパンに具材を挟んだ。


「ん、美味いな。さすがシェフだ」


「こっちの肉も美味しいですよ。チーズを挟んだら、もっと美味しくなるかも」


「では、次はそれを食べてみるか」


 こうして二人だけの夕食会が始まった。

 始めは黙々と食べていたが、クリスがふと顔を上げて訊ねた。


「今日はお前まで仕事をしなくてもよかったんだぞ?」


「いえ、師匠が仕事をしているのに、自分だけ休むわけにはいきません。それに、この時期は城の警備をすることが多かったので、こうして温かい場所でゆっくり過ごせるだけで、夢のようですから」


「魔法騎士団の仕事も大変だな……って、口にパンくずが付いてるぞ」


「口?」


 ルドが空いている左手で左側の口元に触れるが何もない。クリスが体を前のめりにしながら言った。


「そっちじゃない」


 クリスがルドの右側の口元に付いていたパンくずを取る。


「取れたぞ」


 そう言いながら見せたクリスの指には、小さなパンくずがあった。


「すみませ……」


 ルドが謝り終わる前に、クリスがパンくずをパクリと食べる。そして、小さな赤い舌で指に付いたソースを舐めとった。可愛らしい小動物のような仕草なのだが、どこか艶かしく惹き付けられるものがある。


 呆然としているルドにクリスが気づいて声をかけた。


「どうした?」


 ルドが慌てて意識を戻す。


「あ、い、いえ。なんでも、ありません」


 ルドはなぜか恥ずかしくなり、赤くなった顔を背けながら、話題を変えた。


「そ、そういえば、今日はカリストたちは、来ないのですか?」


「カリスト達は書庫の大掃除をしている。本を陰干ししたかったのだが、最近は天気が悪くてな。今日になって、ようやく晴れたから屋敷の使用人総出でしている。今頃は陰干しした本を片付けているだろう。日付が変わるまでには、ここに来る予定だ」


「このまま何事もないといいですね」


 クリスがフッと笑う。


「そうだな」


「なにかあるのですか?」


「そのうち分かる。食べたら、しっかり休め」


 食べ終わったクリスがソファーに横になる。


「……わかりました」


 クリスの休憩を邪魔するわけにもいかないため、食事を終えたルドも反対側にあるソファーに座ってくつろぐことにした。





「……しまった」


 いつの間にか寝ていたルドは、日付が変わる目前で目が覚めた。


「師匠……」


 ルドは声をかけかけて黙った。いつもは茶色の髪が金髪になり、クリスの胸の上に流れている。これは完全にクリスが寝入っていることを表していた。

 深緑の瞳は閉じられ、長い睫毛が下を向いている。ほんのり色づいた頬と、なめらかな陶器のような肌。


 そこに、いつもの不機嫌な顔も不遜な態度もなかった。人形のような姿に、ちゃんと生きているのか触れて確かめたくなる。


 ルドは無防備なクリスの頬にそっと手を添えた。ほのかに温かく、呼吸を感じる。


「……師匠」


 ルドが吸い込まれるように、ゆっくりと顔を近づけていき……動きを止めた。


「あ、お気になさらず続けてください」


 ドアに隠れるように体を隠したラミラが顔だけを覗かせている。そこにクリスがモゾモゾと動いた。


「なんだ? 時間か?」


「おはようございます。そろそろ支度をしましょう」


 いつの間にか、カリストがクリスの頭元にいる。

 クリスがソファーに座ると、カリストが鼈甲の櫛を出して金髪を梳いた。櫛によって金髪から茶色になった髪を一つにまとめたところで、新しい年がきたことを伝える鐘の音が響いた。


「あ、新年に……」


 ルドの言葉をかき消すように、食器が割れた音が響いた。そこから間髪入れずに、木材が地面に叩きつけられた音、何かを壊す音、そして人々の奇声や祝いの声が飛んできた。


「なんですか!? 敵襲ですか!?」


 警戒するルドに、クリスが欠伸をしながら答える。


「窓からいらなくなった家財道具を投げ捨てているんだ」


 ルドの脳裏に夕方見かけた光景が浮かぶ。


「あ、あれは引っ越し準備じゃなかったの……この音は!?」


 四方から爆発音がする。しかも一発ではなく、連続で。


「花火だ。帝都の花火は、色とりどりの火花が散る鮮やかな花火だが、ここのは音が派手なだけの花火だ」


「そ、そうなんですか……」


「さあ、ここからが忙しいぞ」


 一階からドアを叩く音と怒鳴り声がする。


「今度はなんですか!?」


「上から落ちてきた家具や、花火で怪我をした奴らだ。明日の夜まで来るぞ」


「えっ!?」


「ほら、いくぞ」


 クリスが颯爽と部屋から出て行く。その後ろにカリストとラミラが続く。


「は、はい!」


 ルドは慌ててついていった。





 その後、クリスの言葉通り怪我人は翌朝まで絶えず飛び込んできた。そしてルドが次に休めたのは、翌日の深夜だった。

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