とある老兵のお話
琵琶湖の遊底部
とある老兵のお話
覚醒して最初に見えたのは、俗称“ネクロマンサー”と呼ばれる医官の後ろ姿だった。
「今は何年何月何日の何時だ」
「起きたか」
振り向いた初老のネクロマンサーは、素直に時間を教えてくれた。死んでから三日と六時間。
「世話になった」
手早く服を着ると、政府からの支給装備一揃えを身につける。
「あんた、強化もしてない老体にむち打って、そんな急いで稼ぎに行こうとするもんでもないと思うがね」
支給品の中にあった89式小銃を調整していると、ネクロマンサーが諭すように言ってくる。嫌味の一つでも言ってやろうとよくよく観察すると、同い年ぐらいだろうと察せられる年齢だった。それで、言うことを嫌味から真実に切り替える。
「稼ぎに行くんじゃない。俺は、俺を取り戻しに行くんだ」
「哲学的だな?」
「もっと即物的な話さ」
幸いなことに、89式小銃は弱小工場が生産している当たり品だった。政府が支給品として配る銃は、当たり外れが大きい。弱小工場が製造しているものは、実質的に家内制手工業――つまり手作り――で製造しているに等しいだけに、精度も安全性も段違いだ。大企業の大量生産品が悪いとは言わないが、一丁ずつ手作業で検品される弱小工場の安全性は、抽出検査では実現できない。
「また来るかもしれんが、その時は頼んだ」
「引退を勧めるよ。聞く耳持たんかもしれんが」
ネクロマンサーの声を背に受けて、適当に右手を振ってみせる。
“ジッグラト”と俗称される病院を後にすると、前線行きの戦場タクシーを探した。これから前線に向かいそうな八輪装甲車が通りかかったので止まるよう催促し、幸いにして行く方角が同じだったので屋根に上がり込んだ。
俺と相棒と新兵は、森の中の幹線道路まで出張って、三人でハイエナにいそしんでいた。
「これは……G3ですか?」
「違うよー。HK33」
死体を集める脇で、相棒と新兵が拾った銃の鑑定をしている。持って帰れる量に限りがある以上、品定めは大事だ。支給品の銃ばかり持って返っても、大した利益にならない。俺のMASADAの様に珍しいものの方が、持ち主は身代金を払ってでも取り返そうというものだ。
もっとも、愛着の品に金をかけるという事は、値札の付け方を誤れば殺されるという事でもある。大枚をはたいてでも取り返したいと思うにせよ、傭兵同士、腕前が知れれば殺して奪い返した方が安上がりで手っ取り早いなどということは、ままあることだ。死んでも復活できるということで、命の価値が低いから尚更だろう。
「えっと、これは……何です? FAL?」
「違うねえ。これは……なんだろ。セトメっぽいけど」
相棒でも分からないものがあるとは、珍しい。インチFALさえも一目で見抜くほどだというのに。
ただ、大抵の銃は機関部の横に製造者や銃名が打刻してある。答え合わせは簡単だ。
「えーっと……64式7.62mm小銃」
その名称を聞いた時、俺は嫌な噂を思い出した。勢い良く振り返った俺に、相棒と新兵が驚いた顔を見せている。
「そこ、どけ」
俺自身でも焦っているのがよく分かる、端的な口調で二人に言うと、まるで銃を突き付けられたかのように二人は後ずさった。
二人が居たところは、土嚢を積んで構築された火点だった。新兵が拾った64式は、バイポッドが立てられていることから、ここで軽機代わりに使っていたのだろう。
死体は、はたしてあった。
しかも、俺が恐れていた通り。
灰色をベースにした、荒いドットピクセルパターンの迷彩服。大口径ライフルでやられたのか、頭部は吹っ飛んでいて顔面の識別はまったくできない。だが、それでも残った、この特徴的な迷彩服で分かる。噂は本当だった。
「その銃を置け。クウジが来る」
「くう……なんです?」
64式を抱えた新兵が、目をしばたたかせながら問い直してくる。チィと舌打ちして、新兵に近づく。
「それを貸せ。ここに置いて行くんだ」
新兵は、俺の様子が豹変したことに恐怖を感じたのか、逆に銃を抱え込んでいる。構える姿勢でないだけましだが、よくはない。俺が、俺自身の焦りを制御できていないことが失敗だ。
「その銃を置け」
唐突に、その場にいなかった四人目の声がした。年季が入って錆びたような、男の声。
方向は、俺の背後。そんなに近くないが、遠すぎもしない。
「待て。あんたはクウジだろう。……二人とも、動くな!」
振り向かないまま話をしようとした時、相棒と新兵が動こうとしたので制止する。もっと状況がヤバい事に気付け。詩的に言うなら、戦場の空気を感じろとでも言えるか。
「クウジ。あんたの銃を盗む気は無い。返す。手に取ったのは偶然だ」
「ハイエナか。せいぜい、稼ぐんだな」
背後で草むらが揺れる音がして、人の気配が近寄って来る。この距離まで接近を気付けなかったことが悔やまれる。
「俺は俺を取り返しに来ただけだ。お前達が穏便に済ませたいなら、やぶさかではない」
俺の視界に入ってきた男は、簡単に言えば爺さんだった。体のあちこちに植生をくっつけてはいるが、中身は『初期装備』だ。たぶん、俺達がのんきにハイエナしているのを見つけた時から、匍匐前進で近づいてきたんだろう。
「なんだ、お前、英雄じゃないか」
「そう呼ばれているらしいな」
老人に、ぶっきらぼうに答える。プロパガンダの偶像として担ぎ上げられたのは、嬉しいことじゃない。
「そうやってふて腐れた顔をするお前が、俺をクウジと呼ぶってのは皮肉だな」
「あんたの名前じゃないのか」
「単なる渾名さ。お前の英雄と同じ、な」
だからと言って、お互いに名前を名乗るようなものでもない。傭兵界隈でクウジと呼ばれる老人は、新兵に近づいていくと一言だけ言った。
「若ぇの、そいつは俺の銃だ。返せ」
89式の銃口を突き付けながらでは、返せも何も無いとは思うが。
新兵は恐る恐るといった様子で、地面に64式を置いた。
「いい子だ、こいつをやろう」
老人から89式を押し付けられた新兵は、訳が分からないという様子で目を白黒させていた。その隣で相棒は、マイペースにあくびをしている。もっと緊張感を持て。
64式を拾ったあと、老人は自分の遺体に近づくと両手を合わせ、それから迷彩服を脱がせ始めた。それから、ふと顔をあげて俺の方を見る。
「俺と、お前のチームとの遣り取りは終いだ。あとはハイエナでも何でも、勝手にやってくれ。俺は俺を取り戻せたら、それだけでいい」
「……だ、そうだ。続きにかかるぞ」
俺は相棒と新兵にそう呼び掛け、死体拾いを再開した。
二人ともしばらくは呆然としていたが、顔を見合わせると、どちらともなく作業を再開する。ただ、今度はクウジ老人が居るせいか無駄口を叩きづらいらしく、新兵が拾ってきた銃を相棒が仕分けするという分担になった。
夕方。撤収する前、自分の前の体を埋葬し終わったクウジ老人に近づく。
「なんか用か」
神経はかなり図太いらしい。自分を埋葬して、更に死臭が漂う中でチョコレートバーを食えるほど。
「あんた、正規兵ばっかり撃ってるのは、何でだ」
クウジと呼ばれる老人傭兵の話は、いくつかある。
クウジという名前で、いつでも変な迷彩服を着ていて、64式なんていう生産数が少なく偏屈者しか扱わない珍品銃を使っている。そして、他所の国の正規軍人しか撃たず、戦死した自分の持ち物を持っていったハイエナを、ことごとく殺している。
「戦場のことだから、俺だって傭兵を撃つこともあるさ」
「だが基本は正規兵しか撃ってない。なぜそんな実入りの大して無いことをする」
正規兵はスコアが高い。高いが、正規兵を撃つ奴はヘイトを受けやすい。正規兵同士の連帯が強いため、反撃は強烈だ。それに、正規軍に雇われている傭兵にとっては正規兵の随伴が仕事だから、正規兵の損失が増えると依頼失敗と見なされるため、正規兵が撃ち殺されるとやはり強烈な反撃が行われる。そういう訳で、故意にせよ誤射にせよ正規兵を殺した奴は、その戦場で逃げ延びられないのが通常だ。
俺の質問を聞いたクウジ老人は、つまらなさそうにチョコレートバーの包み紙を折り畳むと、ポケットにしまいながら口を開いた。
「いいか。英雄。俺は亡国の残滓だ。俺は今の政府に正統性を感じちゃいない。俺が俺であったのは、過去の国だけでの事だ。俺が俺である為に、俺は侵略者相手に、セルフ・ディフェンスするのさ」
狂人の思想としか、思えなかった。
「俺には、分からん」
「そう簡単に他人を理解してもらっちゃ困る。英雄、いや、傭兵。お前は金を稼いで生きていることを楽しみな」
「……そうする」
俺は一言だけ告げると、その場を後にした。
帰りのトラックで新兵からクウジについて色々と聞かれたが、面倒だったのでおざなりに噂の事だけ話して済ませた。
相棒は興味が無いらしく、ずっと寝ていた。
とある老兵のお話 琵琶湖の遊底部 @biwako_no_yuteibu
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