第4話 私の記憶2


 待ちに待った土曜日。


 晴れてはいるが、空気は少し冷たくて秋の気配が感じられる。


 普段は動きやすいパンツコーデの方が多いけど、今日は秋っぽい茶色のフレアスカートを選んだ。


 白の半そでニットの上にデニムジャケットを羽織る。


 今持っているもので、精一杯大人っぽくしてみたけど、正直言って自信はまったくない。


 今日のために買ったショートブーツを見つめながら、早川先輩を待つ。


 待ち合わせの5分前に着いたけど、待ち合わせ場所の時計の下に早川先輩の姿はなかった。


 おかしいなぁ。先輩は時間は守るタイプの人なんだけど。


 ――5分経過


 待ち合わせ時間だし、そろそろ来るよね?


 ――10分経過


 先輩、なんかあったのかな?


 電話で連絡した方が良いかな?


 でも、電車に乗ってると出られないし、迷惑かもしれないし。


 ――15分経過


 分かった!


 やっぱり夢だったんだ!


 こんなこと現実であるわけないもんね。


 帰るか!


 そう思って駅の方へと振り返ると、こちらへと走ってくる早川先輩の姿が目に入った。


 よほど急いできたのだろう、部活のときみたいに額から汗が流れていた。


 モノクロのボーダーTシャツの上に羽織ったネイビーのオーバーサイズのブルゾンが、先輩の動きに合わせて左右に揺れている。


 下は黒いチノパンに白いスニーカー。


 先輩の私服姿、めっちゃオトナっぽいんですけど!


 周りの女の子も先輩に目が釘付けだ。


 その先輩が私の前で止まる。


 荒い息を少し整えてから、


「ごめん! 色々準備してたら遅れちゃって」


 と、今まで以上に爽やかな笑顔で言った。


 全身が心臓になったみたいに、鼓動がうるさい。


「わ、私は大丈夫です。でも、映画の時間が……」


「ヤバッ! 急ごう」


 先輩は私の手を取って、走り出した。


 心の準備できてないんですけど!


 先輩の少し汗ばんだ手の感触に戸惑いながら走っていると、点滅していた横断歩道の信号が赤に変わった。


「先輩、赤!」


「まだ大丈夫だよ」


 先輩と私は、躊躇せずに赤信号の横断歩道へと駆け込んでいく。


 ――プップーーーーーー!!


 けたたましいクラクションの音が鳴り響いたと同時に、私と先輩は向こう岸までたどり着いた。


 何とか轢かれずにすんだと、少しホッとしたのもつかの間、


 ――ガシャーーーーン!


 後ろで大きな衝突音と悲鳴が聞こえた。


「事故だ!」


「女の子が轢かれたみたいだぞ!」


「早く! 早く救急車を!」


 色々な人たちの声が背中越しに混じり合って聞こえた。


 えっ、事故? 私達の後ろで?


 私は事故のことが気にかかったが、先輩はスピードを落とす気がないようだ。


 振り返って見る余裕はない。


 そうしているうちに映画館のあるショッピングモールの入口が見えてきた。


「何とか間に合いそうだね」


 そう言って向き直った先輩の笑顔を見たら、事故のことなんてもう気にはならなくなっていた。


*****


「映画おもしろかったね! 最後のミサイルが降ってくるシーンがド派手でさ!」


「そ、そうですね!」


「俺、このシリーズ好きなんだよ! いつも主人公が……」


 私と先輩は映画館からショッピングモールへとやってきた。


 歩きながら今観たアクション映画『マッドハード3』を熱く語る先輩を横目に、私はウンウンと軽く相づちを打つ。


 正直、私は映画どころじゃなかった!


 意識したことなかったけど、映画館の隣の席ってあんなに近いんだ。


 少し目線をずらすだけで先輩の顔が見えるから、映画になんて集中できるはずがない。


 吹き抜けの広場まで来たところで、空いていたベンチに2人並んで座った。


 なんだか映画館に続いて距離が近い。


 恥ずかしくて先輩の顔を見られずにいると、私の前にすっと何かを出した。


「これ、ちょっとしたプレゼント」


 それは紙袋だった。


 英字が印刷されたベージュのクラフトバッグで、青いスタンプのようなデザインのシールで口を留められている。


 これが、中庭で言っていた例のもの?


 でもなんとなく違うようだ。


 動かすとなんだかカサカサと乾いた音がする。


「開けてみて」


 先輩に促されるまま開けてみると、中にはココアクッキーが入っていた。


 少し歪んだ丸い形をしていて、上には大量に砂糖がかかっていている。


「実はこのココアクッキー、俺が作ったんだよ」


「えっ、先輩が!?」


「こういうの作るの、結構好きなんだ。

 男がこういうの作るの嫌か?」


 私は首がちぎれんばかりに横に振った。


 先輩が……私の為にクッキーを……。


 もうそれだけで、胸が一杯になる。


「でもさ、久しぶりに作ったせいかあんまり甘くなくてさ。

 しょうがなく上から砂糖をかけてみたんだけど、今度はかけ過ぎたみたいで」


 先輩はハハハと部活では見たこともない照れた顔で笑った。


 その笑顔に、今度は胸が激しく締め付けられる。


 先輩が作ったクッキーなんて食べるのがもったいなさすぎる!


 このまま持って帰って、ずっと見つめていたい!


 クッキーの長期保存とかどうやるのかな?


 などと真剣に考えながらクッキーをじっと見ていると、


 先輩は慌てた様子で、


「た、多分味には問題ないと思うよ!」


 と言って、連続でヒョイヒョイと2個つまんで口の中に放り込んだ。


「うん、美味しいよ。どうぞ」


 先輩は1個つまんで私の目の前に出した。


 もしかして、私が美味しいのか怪しんでいたように思われたのかな?


 そんなことないですから!


 むしろ持って帰って家宝にしたいと思ってましたから!


 なんてことは言えず、 


「あ、ありがとうございます」


 と軽くおじぎだけして右手を出した。


 先輩は微笑んで、私の手のひらにそっとクッキーを置いた。


 コロリした丸いクッキーが、まるで黒い宝石みたいに見えた。


 もったいないけど、せっかくもらったし!


 私は意を決して口の中にポイと入れた。


 サクサクとした食感と、ほろ苦いココア味のあとに砂糖の甘さが広がる。


 確かに砂糖の甘みは強いけど、問題なく美味しい!


 中には、カリッしたものが結構入っている。ナッツかな?


 先輩ってお菓子作りも好きなんだ。


 意外な趣味を知って、なんだか嬉しくなる。


「ほら、美味いだろ。もうちょっと食べてよ」


いつの間にか私の手を掴み、さらにクッキーを3つのせた。


「そ、そんなに食べられませんよ!」


「何言ってるんだよ、これくらい大丈夫だろ?

 いやなら俺が直接食わせてやろうか?」


 先輩がイタズラっ子のような笑顔に、頬がかぁっと熱くなる。


「もう、分かりましたよ! 食べます!

 ただちょっと3つは……」


「分かったよ。1個は俺が食う」


 先輩はしょうがないなといいながら、1個取る。


 そしてお互い顔を見合わせながら、一緒に口に放り込んだ。


 クッキーの味と一緒に嬉しさが広がっていく。


 先輩と恋人同士になったらこんな感じなのかな。


 口いっぱいにクッキーを頬張りながら先輩を見上げると、先輩も私を見て満足そうに頷いた。

   

「あのさ、俺行きたいとこあるんだけど、まだ時間大丈夫?」


「大丈夫です!」


「じゃあ、ちょっと買い物してから行こうか」


 先輩はベンチから立ち上がって、私に手を差し伸べた。


 私は火照る顔を気にしながら、先輩の手を取った。


 そのまま私たちは夕方になるまでショッピングモールでの買い物を楽しんだ。


 その間にも、先輩はちょこちょこ私にクッキーを食べさせてきて、いつの間にかクッキーは全てなくなっていた。


*****


「ほら、ここだよ。夜景が綺麗なんだ」


「わぁ、 綺麗ですね!」


 先輩の行きたがっていた小高い丘は夜景で有名なところらしく、フェンスに囲まれた丘の下には色鮮やかな光の海が広がっていた。


さっき買い物をしていたショッピングモールも、あの光たちの中にあるかと思うとなんだか夢みたいに思えてくる。


 いつの間にか周りはカップルばかりになっていて、いやでも緊張感が増してくる。


 私たちの足はフェンスの前で止まり、目が合う。


 先輩の口が何度か開いては閉じるを繰り返したが、遂には、


「ずっと君が好きだった。つきあって欲しい」


 と言った。


 キターーーーーーー!!


 私の心臓はバクバクと激しく波打つ。


 早く早く答えなきゃ。


 ……あれ?


 緊張し過ぎたのかな?


 なんだか口が痺れてうまく動かない。


「……み……ちゃん?」


 先輩の声も急に遠くなって聞こえづらい。


「ど……た……?」


 なんだか目眩が酷い。


 手足が痺れて立っていることも辛くなってきたけど、早く返事をしないと、先輩に変に思われてしまう。


 早く……早く言わなきゃ……はや…く……。

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