幸せのはじまり




 こんなことになってしまったのは、今でも私のせいだと思っている。壊れそうな彼女に、優しい言葉ひとつかけてあげられなかった薄情な私に対する罰なのだと。

 


 帰宅すると、いつものように京介が遊びに来ていた。京介は都合がついた時には日曜日だけ私と洸希の家にやってくる。初めは私たちのじゃまをしたくないと挨拶にだけ来てなかなか遊びに来なかったけれど、私たちがしつこく誘ってみたら時々来てくれるようになっていた。

 

「恵、おかえりー」


 二人で声を揃えて迎えてくれるのがおかしくて、私は笑ってただいまと返す。


「恵どこ行ってたの?」


 京介が不思議そうに聞くので、洸希が笑みを絶やさずに答える。


「病院」


「どこか悪いの!?」


 ひどい衝撃を受けたような顔をする京介に、洸希がにやりと意地悪く笑う。なんだかこのままからかい続ける気がして、私は違う違う、と割って入り、


「言っていいよね?」


 洸希に目配せすると、彼は実にご機嫌そうに当たり前じゃん、と親指を立てる。

 私はまだこのテンションで行くのか、落ち着いて話したかったなと呆れつつ、京介に「あのね」


「私と洸希の子供ができたの」


 京介はまるで時がとまってしまったかのように動きを停止した。

 びっくりするよね、そりゃ。私たちが結婚するっていうのも、ちょっと前に知ったばかりなんだし。

 初め妊娠が分かった時には迷いもあった。私が母親になれるのか、という思いもあったし、私と洸希だけ幸せになっていいのかと考えたこともあった。

 それでも、京介は私たちの幸せを喜んでくれると思ったから。

 本当にとことん私は京介に甘えている。あの時もそうだった。彼女が京介と恋仲になったのを見たくないと言ったのは私だ。彼女に一人で死んでと言ったのも、私だ。

 でも、京介は私を責めなかった。ただただ、自分のことだけを責めていた。

 そういう彼だから好きになったのだと、今なら分かる。結局、片思いの末に一番大切な人に気がついて京介とはいい友達になったけど、京介だって大切な人の一人なのは間違いない。

 小さい頃からずっと好きだった洸希の笑った顔。洸希が私の特別な人になるなんて、大学生の頃までは考えたこともなかった。でも、今洸希が笑顔を見せてくれると、どうしようもない愛しさがあふれ出す。きっと、私の初恋も彼だったのだ。気づかなかっただけで。

 


「大好きです! おれと付き合ってください!」


 顔を真っ赤にして待ち合わせ場所に現れて、洸希が全力でそう言ってくれた時、私はこの言葉をずっと待っていたのかもしれないと思ってしまった。

 ずっとずっと、幸せになりたかったの。洸希と一緒に。

 そんなことを口走りそうになって、寸前で飲み込む。

 藍。本当は助けたかったの。ずっとずっと友達でいたかった。

 ――ごめんね。

 口から出たのは、考えていることとは正反対の私も、という一言だった。





 「ほんと!?」


 ようやく生き返った京介が、私たちの顔を見比べる。

 本当に私の甘えかもしれない。でも、京介は。

 黙って頷くと、京介は一瞬真顔になって、それから


「よかった。よかったよ! おめでとう! いつ生まれるの? 名前は!?」


 満面の笑みで、そう尋ねてくれた。


「まだ先よ。ちょっと前に分かったばかりでまだ安定期にも入ってないの。名前は考え中」


「すごいな、洸希と恵の子かあ。絶対可愛いよ! 俺、会いに来てもいい?」


「もちろんだよ、なっ」


 洸希が私の大好きな笑顔で首を傾げる。好きだなあ、なんてのろけたことを思いながら、


「うん、会いに来て」


 京介は、京介なら、喜んでくれるって信じてたよ。私と洸希の大切な人。大好きだよ。

 あの頃とは少し変化したけれど、ずっと言いたくて言えなかったことが胸の中にあふれ出す。

 洸希も京介も、ずっと笑っていて。私、それだけで。

 それだけで、私も笑っていられるから。




  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

黒猫の楽園で 紫(ゆかり) @yukari1202

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ