第4話 あなたの寝顔
……つまり、パティシスの覚えている限りのおとぎ話を全部聞かせてほしい、ということらしく、寝台のそばに寄せられた机には贅沢に灯火の油が用意され、大量の紙を抱えたテオドアが興奮を抑えきれない様子でそこに向かった。
「……私は昼間眠るから別にいいが、あなたは執務があるのに夜中こんなことをしていて大丈夫なのか?」
「執務の合間にも結構眠れるもんだよ。それよりこんな機会を逃せない……! ティティさん、よろしくお願いします!」
頭を下げたテオドアに小さくため息をつく。
「……もともと寝物語だ。眠くなったら無理をするな」
そう告げて、パティシスはもう一度あの決まり文句から語りはじめる。
始祖の竜が山を削り、国を拓いた物語。天より降った父なる竜と、大地より目覚めた母なる人の婚姻。戦士が月の船に乗ってたどり着く楽園の物語……。パティシスが語る物語を、テオドアはせっせと書きとめていく。一夜目はそれで明け、パティシスがしょぼしょぼした目を朝日に焼かれる中テオドアは元気に執務室へ向かった。
二夜、三夜とそれが続き、しだいにテオドアのペンの音が鈍ってくるのにパティシスは気づいた。話の途中で「ごめん、もう一回……」と遮られることも増え、夜の薄暗い部屋の中でもテオドアの顔色が曇っていることがわかるほどになる。しかしパティシスが休めと言っても聞かないだろう。どうしたものかと思いながら悠々と昼寝して起きた午後、遅い昼食を給仕するシェリーにそのことを話してみた。
「テオドア様のお顔色が優れないとは思っておりましたが、夜中にそんなことをなさっていたのですね」
呆れた様子もなくシェリーは淡々とうなずく。パティシスも日が昇ってから浅い眠りにつくのが続いていたので、なんとなく調子が出ない。
「無理が続くのはせいぜい今日まででしょう。執務に影響が出ては困ります。しかしただおやめくださいと申し上げてもお聞き入れくださらないでしょうね……」
シェリーはパティシスの前にパンを置き、給仕用のパンばさみを手にじっと目を閉じて考え込む。
「……では、御方様。これから私の申し上げる通りになさってください」
「あれっ、机は?」
部屋に入ったテオドアがうろたえた声をあげるので、パティシスはさっと写生に使う画板を取り出した。
「机は修理中だ。今日はこれを使え」
「修理中って……別に壊れてなかったと思うけど」
「いいからこちらへ来い」
寝台に半身を起こしたパティシスがぽんぽんと自分の隣を叩くと、テオドアはぐずぐずと渋る。
「そんなあ……別の机を持って来させるよ」
「この城の机という机の脚は私が折った! 観念してこちらへ来い!」
パティシスの無理のある気迫に押し負けたのか、テオドアはのそのそと寝台に登って画板に紙を広げた。
「寝そうになったら起こしてよ、ティティさん」
そうは言うものの、テオドアはあきらめ顔だ。パティシスは素知らぬ顔で枕に寄りかかり、いつものように語りはじめる。同じ言葉の繰り返しや歌うような文句の多い物語を選んで聞かせると、テオドアはあっという間にうとうとしはじめた。懸命にペンを握っているものの、いつもの几帳面な字は見る影もない。パティシスは少しずつ声を落としながら、優しくテオドアの肩を抱き寄せた。ぽんぽんと軽く叩いてやると、やがて安らかな寝息が聞こえてくる。緩んだ拳からペンを抜き取り、画板と一緒に枕元に寄せた。
「……あなたの寝顔を見るのは初めてだな」
小さく呟き、テオドアの頬を撫でる。妻というよりは母のような気持ちだが、悪くない、と思った。
「ゆるりと休め、……伴侶殿」
そっとこぼしたささやきが胸の奥にあたたかな火を灯す。こうして並んで眠る人がテオドアでよかった。そう思いながら、パティシスも静かに眠りについた。
千の鱗と一のおやすみ 伊藤影踏 @xiaoxiaoque
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます