第17話 第九章 『天狗の落とし文』

第9章


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栞へ




 現在私はラトヴィアにいます。


 ジョージ・オーウェル『動物農場』のラトヴィア語版があるとのことなのですが、今までに一冊しかその様な物の存在を聞いたことがありません。


 オーウェルの書誌目録にも載っていないとのことなので、海賊版なのか真に珍本なのかまだ判断つけかねますが、大した金額にはならなそうです。






 英語版に比べてその他の原語の初版は数が少ない場合が多いですが、やはり英語版の金額には遠く及ばない物です。


 ただ、欲しいという依頼者があれば骨を惜しまず動くのがモットーなので、日本からだいぶ離れたこの国にて四苦八苦しているところです。








 さて、図書館警察とザ・トリステロの抗争の件こちらにも連絡ありました。


 私の立場は気にしなくて大丈夫です。


 名誉警紙総監等といっても、ようは図書館警察の小間使いみたいなものです。


 昔は色々と骨を折っていたので、ご大層な役職を(もっとも名誉職ですが)つけられはしたものの、大したことは何一つやっていません。


 これを機に図書館警察からの依頼がなくなったとしても面倒ごとが一つなくなった程度のことです。






 「書痴」が飲めなくなるのは残念なことですが、普段からそうそう酒を嗜めるというご身分でもないので諦めも付きます。


 ただ栞が手に入れたという「筆禍」だけは一度賞味してみたかったなと、これは正直なところ残念に思っています。


 日光山先生の様々な話は俄には信じがたいですが、宇都宮の駅前に地獄と無可有郷やヘンテコな空間が渾然一体となって現出せしめたというのは、この一年と少しの間、栞と日光山先生の元で勉強していると聞かされたメールでのやりとりで色々と聞かされてきた摩訶不思議な話の中でも白眉です。






 早くも宇都宮に帰り、修羅共が酒宴を開いているという目まぐるしく四季が入れ替わるという桜の杜で、自分も栞にお酌をして貰って一杯やりたいものだと、らしくもなく望郷の念に駆られています。


 栞とのメールのやりとりは、ラテン・アメリカ文学におけるマジック・リアリズムというかラプラタ幻想文学のような非日常の中の日常を味わえる、ささやかな楽しみでありました。






 そういえば駅前に地獄が顕れたとのことですが、ザ・トリステロのマークが天矢場古書店の中に刻まれ続けていたという話についてこの現象を説明する仮説を一つ立てました。


 この世には膜宇宙論というものがあり、ブレーンと呼ばれる膜、まあ膜を英語に直訳したものですね。このブレーンの上に宇宙が広がっているというものです。


 更に、パラレル宇宙論というものがあります。






 これはインフレーションと呼ばれる現象で、今この瞬間にも無限に宇宙が作り続けられているという理論です。


 インフレーション理論では里芋のように親株から子株、孫株と宇宙が作り続けられ、アインシュタイン・ローゼンの橋、一般的にはワームホールと呼ばれる穴で宇宙同士が繋がっているとかそんな話です。






 ここで一つ例え話を出しますが「無限の猿定理」というものを知っているでしょうか?これは猿の前にタイプライターを置き、ランダムに叩き続けさせたとして、シェイクスピアの『ハムレット』と全く同じ文章が出来るかどうかというお話です。


 答えはイエスです。


 宇宙が出来てから今までに経った年数より、さらに気の遠くなる倍数の年月が必要だけれど必ず『ハムレット』は完成するという話です。


 無限とはそれほどの神秘に満ちています。


 円周率πの中に世界中のありとあらゆる数列と同じ数列が含まれているというのと同じですね。私の携帯電話の番号も、栞の携帯電話の番号もπの中に無限個おなじ並びがあるはずです。






 何が言いたいのかというと、こうしている内にも無限に宇宙が作られ続けているなら、どこかの宇宙の中には自分と全く同じ素粒子の配列で出来た存在が必ずあるはずだという考え方です。






 マルチバースだとかパラレル宇宙論だとかを調べているとこんな考え方に遭遇します。


 全く奇妙なことを考える人も居たものです。


 さて、異端教祖株式会社の作ったヒルベルトのホテルは無限に物が詰め込めるそうです。 無限は身近にあるものですね。






 そして膜宇宙論の出番ですが、この宇宙が広がっている膜と、別次元のザ・トリステロのメンバーがのっている膜が衝突した。この膜の衝突では異次元が生じるそうですが。そんなこんなで、別世界の誰かが消音器付き郵便喇叭のマークを刻んでいったのではないでしょうか?






 あくまで仮説……というより私の妄想ですが、宇都宮の街に時空の穴が開いて、地獄と現世がごっちゃになったという話に比べたら、どういうこともない話であると思います。


 ハイゼンベルグの不確定性原理が成り立たず、小澤の不等式が成り立つ世の中です。


 今まで事実として扱われた物事が、ひっくり返ることなど別に不思議でも何でもありません。






 栞も何か不可思議なことに出会ったら、問題を切り分け、細かくし、整理して、別の見方をするようにして下さい。


 何はなくとも真理に近づくためには必要なことです。






 大方、栞は日光山先生に天狗の術を授けて貰おうとして、弟子入りか何かしたのではないかと思いますが、私はこの天狗の業の原理を実際の物理学と照らし合わせて、天狗理論物理学と名付け、友人の物理学者と研究し、一冊の理論書を著しました。


 日光山先生にも一冊お渡ししていますが、日光山先生のことですから、古峰神社のねぐらの倉庫かどこかへでもほっぽり置いているのではないかと推察されます。


 もし興味があれば一読することをお勧めします。ただ、天狗の業の修行にはあまり役に立たない抽象的な理論が展開されていますので、この点については留意されたし。






 さて、話は戻りますが図書館警察から抜ければ私も晴れて自由の身です。これを世間では柵というのでしょう。漢字の通りに活動することに「柵」が設けられます。


 一人だけで活動するのは性に合っていますが、今まで活動してきた中で色々と世界中で出会いがあり、この人達となら一緒に何かやってみたいと思える人々がいます。


 私は、彼ら彼女らに声をかけて出入り自由な集まりを作ってみたいと思いました。






 その名もシンプルに「組織」としたいと思います。


 グスタボ・ファベロン=パトリアウ『古書収集家』から取りました。


 組織は特に行動理念などはなく、そのときの気分で出入り自由にしたいと思います。


 時折集まっては、古書や古美術を持ち寄り、理想の古書店を作り上げていこうというのが目的です。






 ですが、それは大目標として取っておいて、気の合う古書仲間とお茶をしたりするというのが今のところ考えている活動内容です。


 栞も、もう少し修行を積んで知識を蓄え、脳味噌の知的筋肉を増強したら顔を出してみるといいでしょう。






 宇都宮の外に目を向けてみるのも一つの手です。


 私は若い頃、宇都宮を出るために、第一次宇都宮エクソダス計画。それに引き続き、第二次宇都宮エクソダス計画というのを立ててたことがあります。


 私は、計画を周到に立てる男です。


 計画は完璧でしたが、何故か現実は色々と躓きの石を用意してくれるため、結局うまくはいきませんでした。






「躓きの石」というとフェルディナン・シュヴァルは郵便配達中に躓いた、奇妙な形の一つの石から想像力を刺激され「シュヴァルの理想宮」をたった一人で、三十三年の月日をかけて完成させました。






 私のように、躓いたままになり、特にその後何も行動を起こさない人間もいれば、シュヴァルのように奇想奇天烈な歴史に名を残す建造物を独力で作り上げてしまう人物もいます。躓きを切っ掛けにするか、躓いたまま一つの障壁にしてしまうかは自分自身の心の持ちようでしょう。


 宇都宮を離れるための第一次・第二次宇都宮エクソダス計画は失敗しましたが、今は海外に身を置いて活動している辺り、時間をかければ自分のような凡人にも計画自体は完遂することが可能なようです。






 シュヴァルのような圧倒的密度を持った歩みとはもちろん比べるべくもありませんが、ようは自分の中でどれだけ納得できるかというところに帰結するのではないかと思います。






 そんな歩みを踏まえての組織という集まりです。私はこれでいてどうなることかと年甲斐もなく中々ワクワクしていたりします。


 栞がこの組織に入ってくることを心より待っています。




 宇都宮はいいところです。代々の菩提寺は駅前の宝蔵寺と近いですし……まあ日光山先生のせいで地獄と無可有郷と天国と、六道輪廻のありとあらゆる物が繋がった状態ではお寺の有り難みもなにもあった物ではないかも知れませんが、これについては何も見ていないので何も言えません。


 若い頃「百聞は一見にしかず」という言葉を日光山先生からはよくいわれていました。


 そのせいで何かと日光山先生は無闇矢鱈と首を突っ込みたがり、大迷惑を被っていたりもしましたが、今回も発端はそんなところなのではないかと思います。


 いくら私という人間が身近に置いている組織といっても、秘密の組織です。図書館警察にしろ、ザ・トリステロにしろ秘密で謎という面倒くさい属性を身にまとった組織なのですから、そこら辺は勘案して欲しかった物です。






 そもそも論で行くと、日光山先生自体が世においては身を忍ぶ天狗なる珍妙な存在なのです。日光の御山に東照宮が築かれた御代ではないのですから、もう少し自重を促したい物ですね。


 栞も日光山先生が宇都宮動物園なんかに収監されて、見世物となり惨めな最後を迎えないように気をつけてあげて下さい。


 何しろ、私も半分魔道へと片足を突っ込んだ半人前天狗なのですから人ごと、天狗ごとではありませんから……。






 ガブリエル・ガルシア=マルケス『エレンディラ』に収録されている『大きな翼のある、ひどく年取ったとった男』は読んでいると思いますが。あんな感じの見世物にされるのは、いくら日光山先生が傍若無人で、宇都宮にこのヘンテコ世界を現出せしめた主犯だからといってあんまりにも惨めだと思うのでその点は身近に居る栞が取りはからってやって下さい。話はまた脱線してしまいましたが、宇都宮は住むにはよいところですが、古書の商いをするなら世界にも目を向けた方がいいでしょう。






 世界にはまだ見たことのない本がたくさんあり、昔の大珍品や、未来の有望株などいろんな物があると思われます。


 もしかしたら『鎖のグーテンベルク聖書』以来の大発見となる五十冊目の『グーテンベルク聖書』が見つかるかも知れませんし、今後『ハリー・ポッター』のような未来に値の付く本に出会うかも知れません。


 もっとも古書肆としての見解からすると『ハリー・ポッター』の初版を扱うことは、商売上の利益以外にあまり魅力のある取引とは言いがたい物ですが……。






 さて、これからの天矢場古書店の展望としては、書籍や原稿だけではなく美術品にも手を広げたいところです。


 ご存じの通りノーベル文学賞にも輝いたかの文豪、川端康成も芸術に造詣が深かい人物でした。東山魁夷との交流も有名ですね、宇都宮美術館でも「川端康成と東山魁夷展」が開かれ、東山魁夷が装丁を施した川端作品や、川端康成旧蔵の国宝二点を含む美術品が開陳されました。






 手始めにといっては何ですがハンマースホイ『陽光・習作』を一点手に入れたので送付します。天矢場古書店の狭い店内に光を届ける一作になるでしょう。心地よい光が絵によってもたらされる訳です。芸術品の持つ力という物が理解できるかも知れません。






 さて、長くなりましたが今度宇都宮の様子を見に行こうかと思います。きっと愉快な光景が広がっているに違いありませんね。


 日光山先生にもよろしく伝えておいて下さい。


 そして、天矢場栞様の今後のますますのご活躍をお祈り申し上げることで、このメールを締めくくらせていただきたいと思います。




 少女老いやすく学なり難し。青雲の志掲げるとも苦海の水を飲む。不撓不屈の精神で、理想の実現ならずとも決して屈せず。心を研ぎ澄まし、鏡を磨くように錬磨し。


 未だ山の頂を見ず、山麓すら見えず、ただ重き荷を背負いて無人の野辺を歩く。


 道程に標をたて振り返らず。一心に曠野の先を睥睨する。道半ばで死せるとも後悔せず。異土の土塊になるとても、前のめりに倒れるのみ。


 大業を成すため正気を捨て、全ての心血を注ぎ、一意専心古書の道に進んで下さい。




 それではまた。




以上






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お祖父様




 ここ一年に起こった日光山先生や図書館警察、ザ・トリステロとのやりとりはメールで送付させていただいたとおりです。


 お祖父様からのメールは全て大切に保存しております。私はこれを天狗の落とし文と呼んでいます。






 お祖父様が半分天狗ならば、半天狗の落とし文といえるかも知れません。とにもかくにもお祖父様も私も魔道に足を突っ込んでいる形になっているというのは、中々の驚きでしたね。抜け目のないお祖父様のことですから、日光山先生が天狗だとわかったあの日以来、もしかしたら天狗の道へも見識を開いているのではないかとは思っていましたが、考えていたとおりでした。






 日光山先生は中々に手のかかる天狗ですが、現世では数も少なくなったであろう貴重な存在かと思います。


 宇都宮の特別天然記念物として手厚くお世話させていただこうと思います。私としてももう少し天狗の術について勉強してみたいと思っています。


 私は物理はからっきしの生物専攻なので天狗理論物理は難しいのですが、近年では量子生物学などの勃興も著しいと聞き及びます。人間死ぬまで勉強ですね。


 天狗の術理についても、もっと研究したいと思います。研鑽、研鑽、また研鑽。修行の道は厳しいですが、私はこれを現代っ子ならではの賢い効率化と手抜きで乗り切りたいと思います。






 宇都宮の駅前は、改めて訪れるとたいそう愉快なことになっております。アインシュタインの相対性理論も成り立たない空間の捻れが生じているようです。


 私も超弦理論など勉強して、この空間の謎に挑戦してみたいと思いますが、地獄の修羅共は愉快ですし、天界の天女などはいつもカリカリしています。


 修羅共はお祖父様が持っていた、日本の悪魔から西洋の大魔王に贈られたという朱塗りの時を渡る懐中時計を持っておりますし。最近ではその西洋の魔王と呼ばれる連中もやってくるようで。辺獄にはダンテが読んだように古代の哲学者達が無気力に過ごし益体にもならない空論を延々と戦わせています。。






 ザ・トリステロも、図書館警察もあれ以降私にちょっかいを出してくることはありませんが、内心どう思っているのか考えると、また腹が痛くなってきます。


 この世界には秘密で謎の組織が少々多すぎるのではないかと思います。母の異端教祖株式会社にしても、夢幻会社なるライバル企業にしても天狗理論物理学を応用している節があります。


 この街はいったいどうなるのでしょうか?


 ワクワクが止まりません。






 さて、お祖父様のお誘い通り、私も「組織」のメンバーとして向かい入れていただけるように奮起して勉強したいと思います。これからは何事も科学の時代です。天狗の術理にしても物理学にしても、なかなか一筋縄ではいかないようですが、シュヴァルの理想宮の事を考えれば人間やってやれないことはないと思います。






 それではお祖父様もお体にお気をつけてお元気で。






追伸






 最近、疎遠なお祖母様と不出来な妹から、一度家族総出で宇都宮二荒山神社に詣でて、食事でもしようと連絡が来ました。家族全員揃うのは何年ぶりでしょうか?


 都合のよい日程をご連絡下さい。こちらで調整をつたいと思いますます。


 それでは次の天狗の落とし文をお待ちしております。






以上




(了)

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天狗の落とし文 @utsunomiya_ayari

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