6、担当の説明
「……やっぱりやめよう。あたし、こんなのする位なら自分が消えてもいい」
「何てことを言うの、あなたは! この頃本当にわがままね」
「まあいいじゃないか。年頃なんだし」
「そうやって甘やかすから……あら、気付いたみたいね」
時計塔の中で目を覚ました。身動きができない。
狭い機械室の中で、粗末な簡易ベッドに着のみ着のまま縛り付けられている。きいきいかたかた、歯車やシャフトの動く音がしている。
これだけ大きい時計塔ならもっと大きな音のはずなのに、どこかしら非現実だった。夜中で電気一つついてないにもかかわらず、冬美たちの顔ははっきりわかった。部屋の隅にあるナイフや鋸も。
そのくせ部屋自体はどこかうすらぼんやりしていた。気のせいか生臭い血の臭いまでする。
「ふざけた真似はやめてもらえませんか?」
冷静さを装ってはいるものの、実際には発狂しそうだ。
「あなただってこの時計塔が気に入ってるんでしょ? 都合がいいじゃない」
岡田を無視して冬美の母親は娘に言った。
「あたしは気に入った場所でこんなことしたくないよ。お父さんもお母さんも、ヘンになっていくのはそっちの方だよ」
「お黙り! 誰のおかげで生まれて来たと思ってるの!」
「一体これはどういう事なんだ?」
無視されているのを承知で質さずにはいられなかった。
「私から説明するわ。ああ、連中なら放っておいていいから」
「担当!」
まさしく事務所の担当のOL。岡田にこの仕事を回した張本人がどこからともなく現れた。
事務所でいつも会っていたのと同じリクルートスーツ姿を見ても、ここまで来た以上彼女がまともな人間とはとても思えなかった。
「仕事一筋なのもいいけど、たまには非現実なことも想像しなくちゃね。もっともあなたのそういうところを見込んでこの仕事を回したのだけれど」
そう言って彼女は冷ややかに笑った。
「この騒ぎに一体何の意味があるんです?」
「私はこの塔にとりつかれた欲望そのものなのよ。ちょっと俗っぽい言い方をすれば、悪魔とか悪霊とかいう表現が近いかしら」
「……」
「この塔の迷信は知ってるわよね? 馬鹿な人間たちが、自分勝手なエゴを向きだしにして色んな欲望をむきだしにする内に、それが何十年もたまって本当に力を持ったのよ」
「私はかかわった覚えなんてありませんよ」
「黙って聞きなさい。この塔に捧げられた祈りはまともなものだけじゃない……というより呪いとか怨念とかをかけてく人間の方が実は多かった。あたしはただ、そういった連中の願いをかなえてまわっただけよ。そこの大沢さんご夫妻も」
と、彼女は言い争いを続けている三人の方に顎をしゃくった。
「たしかに理想の相手が欲しいという願いをかけてたけど、何のことはない高学歴とか高収入とか言った、ただの物欲だったのよ。それほどお金が好きならお金と結婚すればいいのにね」
「江藤が死んだのは?」
「私は自分が肥え太るために今の事務所に入ったのよ。大沢さんに限らずこの辺では時計塔に願かけをしてできた夫婦がたくさんいたから、そこに家庭教師を派遣して、適当なところで生け贄にして貰ったの」
段々自分自身の立場がはっきりしてきた。
「私は生き物に物理的な影響を与えられないし、あまり私自身が動き回ると余計な詮索を受けるから。恨みや恐怖を含んで死んだ人間の魂が、私のごちそうなの」
「夫婦はどうやって動かしたんです?」
「時間をかけて、少しずつ魂を削りとるのよ。最後には、ほら、そこのご夫婦のように、私に操られるただのロボットになる。でもね、冬美さんだけは私の計算違いだった」
「計算違い?」
「そう。途中までうまく行ってたのに、どうやってか私の力を一部なりと身につけ出したのよ。この前の落雷、あれは彼女がやったの。正直焦ったわ。あの木から飛び立つ鳩は、私の分身だったのに。もっとも彼女の力はそこでおしまい。私が封じた」
「鳩っていうのは、この時計塔にちなんで生まれた欲望の一部ということですか?」
岡田は精一杯反撃しないと気がすまなかった。
「あら、頭いいのね。その通りよ。あなたのところにも何回か来たでしょう? さ、お喋りはこれ位にして、真相を知ったあなたには嫌でも恐怖を感じて貰うわよ」
彼女の姿が消えた。同時に、冬美の両親が彼女の体をしめつけて、その手に無理やりナイフを握らせた。冬美は必死に抵抗したが、大人二人の力には為す術もない。彼女は両手両足を半ば引きずられるように、半ば押されるようにして岡田の前に来た。
「あたしたちの言う通り、彼にナイフをつきたてなさい! そして彼の心臓をえぐり出して食べるのよ!」
「いや! いやーっ!」
冬美は泣き叫んだ。
歯を噛み締めて体をよじったが、自分をベッドにしばりつけているロープはびくともしなかった。
冬美のナイフが、彼女の両親の手で強引に振り上げられた。
(何てこった! 俺はこんなところでこんな馬鹿げた死に方をするのか! 俺の人生もタイムリミ……)
奇跡の扉は目の前だ。彼はまさに理解した。
「この世でどんな欲望も支配できない、誰でも味わう真実が一つだけあるぞ! 時間だ! お前は時間がたつのを待つと言ったな!」
時計塔が鳴った。
冬美を締め付けていた彼女の両親がくたくたと床に崩れ、みるみる内に肉体が朽ち果てて行く。
冬美はショックで気絶し、手にしていたナイフが乾いた音をたてて床に転がった。
担当は人とは思えぬほどの声量を振り絞って悲鳴を上げるが、冬美の両親のように朽ちたりはしない。その身体がぐにゃりと歪み、鳩にー何百何千という鳩にー突然変化する。
鳩たちは、部屋中を飛び回ったかと思うと出入り口を突き飛ばして空の彼方へ去って行った。
しばらくして冬美は目をさました。彼女にベッドから解放して貰い、ようやく自由の身になった。
「先生、お父さんとお母さんは? あたし、どうしちゃったの? 先生、ねぇ先生」
冬美がしゃくりあげた。背中をさするぐらいしかできなかった。その時岡田は、彼女の肌の手触りが、人間の皮膚とは本質的に異なるのを悟ったのだ。まるで羽毛のような……。
あれからしばらくして、彼女は親戚に引き取られて別な県に行った。
担当がいなくなったことが事務所では多少問題になった。しかし、岡田自身は何ら追及されなかった。それどころか彼の最後の給料さえなぜかきちんと口座に振り込まれていた。
冬美の両親は、公には行方不明という扱いだった。彼女と話し合った結果、岡田の話を親戚にするのは控えることになっていた。
あれ以来つまらない事件は一切なくなった。表向きはずっとそれまで通り平穏に暮らしつつ、この奇怪な事件以来人の本音について……いや、欲望について考えることが多くなった。
あの夫婦は、不幸な犠牲者なのだろうか。それとも、自分の要求ばかり押しつけて少しも反省がなかったせいで報いを受けたのだろうか? 担当は歪んだ欲望が具象化したものだったが、冬美の体に羽のような手触りを覚えたのはどういうことだろう。
彼女の両親は朽ち果てて消えたのに、どうして彼女はそうならなかったのか? いまだに謎は解けない。
時計塔に時々くるのは、彼と冬美の共通の意見からで……もうこの塔をどろどろした欲望のより所になどしたくなかったためだ。
それ自体欲望と言えなくもないが、せめて塔を皆の憩いの場にし続けたいという願いを折りに触れて捧げるつもりだ。犠牲者が冬美や彼女の両親や江藤だけで済んでいるはずはないから。
彼女とは敢えて連絡先を交換せずにすませた。それでも、彼はいつかこの時計塔の下で会えると思っていた。毎日のように訪れているのはそれもあった。
丘の上で、鳩が時を告げている……。
終わり
鳩時計の丘 マスケッター @Oddjoh
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