後編 アクアマリンの恋
ジェシカ・ヘインズ様と会ってしまった帰り、またあの公園に寄ってみましたが、町の人達が安らいでいるだけで、あのチョコレート色をした髪の男性と会う事はありませんでした。風が少し冷たい季節。公園でゆっくりする気持ちにはなれません。
名前も聞いていないあの方と、また詩について語り合いたいと思っていました。
いえ、あの時は私が一人で喋ってしまいましたけど。
思い出すと恥ずかしいです。次にお会いしたら、彼が好きだと仰っていた、アクトンについてのお話を聞いてみたい。私も一冊だけ持っていたアクトンの詩集を、読み返してみました。透かした光のような柔らかい表現のリープマンに比べ、音楽や生活を交えて、雑踏や人の生活が見えてくるような詩です。時折社会風刺の詩が混じっているのが、男性に好まれるようです。
リープマンはもう買い尽くしたので、帰りにアクトンの別の詩集を買ってみましょう。どれがいいか、聞いておけば良かったわ。
それから一年後。
男性とはそれ以降会わず、婚約者はついにジェシカと結婚すると言い出しました。私は既に諦めていて、黙って受け入れました。しばらくして彼は一度私の家を訪れたそうですが、両親が門前で追い返し、会う事はありませんでした。
私との結婚で彼の両親が目当てにしていた、持参金が入らなくなったのです。何かの返済にでも困ったのかも知れません。
「あんな男に、お前を嫁がせなくて良かった。焦らんでいい、まだいい縁談はいくらでもある」
「旦那様の仰るとおりよ。心配しないでね、セラフィナ。世間の皆も、貴女が悪くない事は解っているわ」
お父様とお母様は、私を心配して励ましてくれています。
二人の娘で良かったと、心から感謝しました。
結局ジェシカ・ヘインズ様は私の婚約者だったグレン・アグニュー様とは別れて、別のお金持ちの方との交際を始めたそうです。散財した彼は両親に酷く叱られ、仕事を探しているとか。さすがに反省している様子だと噂が届いたのは、しばらく後の事でした。
さらに数日した時、心配した様子でジェニファー・ハズラム侯爵令嬢が私の家に訪ねて来て下さいました。以前も励ましに来て下さったり、とても親切な方です。
「破談になってしまいましたのね。大丈夫、セラフィナ様?」
「はい……、来るべき日が来た、という気がしております。むしろあのまま彼と結婚することにならなくて、良かったのではないかと」
落ち着いた私の返答を聞いた彼女は、少し安心したようでした。メイドに持たせていた箱を我が家のメイドへと渡し、ケーキを買って来たと教えて下さいました。
「今度はタルトですわ! いちごのタルトです。はみ出るほどのいちごが乗っておりますのよ。こちらはいちごのショートケーキ、いちごのオムレット、いちごのカップスイーツ!」
テーブルの上に並べられたのは、たくさんの種類のいちごのスイーツ。華やかなティータイムになりそうです。
「いちご尽くしですのね」
「いちごは可愛くて、とても好きなの。いちごのチョコレートケーキもありましてよ!」
茶色くて濃厚なチョコレートが周りをコーティングして、上にはたくさんのいちごとチョコクリーム。
「ジェニファー様が、お好きな組み合わせですわね」
「あら、セラフィナ様もきっと気に入って下さいますわ! これでなくとも、これだけありますもの。どれかお気に召すはずです」
「そうですわね」
なんだか久しぶりにとても楽しくて笑ったような気がします。今日の飲み物は、砂糖を控えめにしたミルクティーに致しました。
「やっぱり、このチョコレートといちごの組み合わせは最強ですわ……! 何も太刀打ちできないでしょう!」
「私はいちごのタルトが好ましいです。サクッとした生地に甘さ控えめのカスタードクリームがとてもよく合っていて、瑞々しいいちごが更に引き立てられています」
「でもいちごのショートケーキがやはり王道ね。これは外せないわ」
「解ります」
さすがにケーキは余ってしまい、メイドのコニーにも食べてもらいました。恐縮していましたが、とても喜んで食べてくれて良かった。
ジェニファー様は美味しいお店をたくさん知っているのです。タルトを買ったお店を教えて頂き、今度は自分で行ってみたいと思います。
彼女は婚約に関する事は一言も聞かず、スイーツの話だけをして帰って行かれました。
私はお茶会の誘いも断り、家で毎日を過ごしています。また噂話の種になるだけですから。しばらくはのんびりと、新しく購入した本を読んでいるつもり。幸い暖かい季節になり、我が家の庭園の花も綺麗に咲き誇っています。
結婚直前に破棄された女と言われても、リープマンの詩集があればいい。
庭のテーブルに冷たい紅茶と焼き菓子を揃えて、景色を眺めながら読む詩集はとても情緒があって気分がいいものです。
でもなぜリープマンは唐突、恋の詩を発表したのかしら。
『アクアマリンは空より青く、悲しみを映し深く眠る
細い枝が葉を散らし、凛としたブーツが石畳で歌を奏でる
愛しい君、君を縛る糸が過去の陽炎にならば、私は青い花束を抱え愛を告げるだろう』
しおりを挟んで詩集を閉じた時、声がしました。執事が誰かを案内して、こちらに向かって来ます。私はメイドのコニーと、誰かしら、と顔を見合わせました。
花壇の背の高い花たちの上を移動して見える、チョコレート色の髪。
あの名前も知らない、公園でリープマンの詩集を一冊差し上げた、詩が好きな男性でした。今日は白いスーツに身を包み、胸ポケットから青いハンカチが覗いています。
彼は私の姿を見つけると笑顔で軽く手を振り、軽やかな足取りでこちらに向かってきました。手に青い花束を抱えて。
「読んで下さったんですね」
「まあ……」
私が座る椅子のすぐ脇まで来た彼は、花束を差し出して突然跪きました。
「セラフィナ嬢、婚約が破棄になったと耳にしました。私と結婚して下さい」
青い花束、サインされて戻ってきた詩集。
エルマー・リープマン。
目の前にいる彼が、憧れの詩集の作者?
私は驚いて、本と彼を交互に見ました。彼は照れくさそうに笑うだけ。
そう言えば、作者様ご本人に詩の説明をしてしまったんだわ……! 思い出すと顔から火が出る思いです。赤くなった顔をサインされた本で隠すと、彼はゆっくりと会った時のことを語り始めました。
「ケーキを買い直さず、飾りつけをして食べればいいと仰った、あの時にとても素敵な方だと思ったんです。そして詩が好きという共通の趣味があって、私の詩を夢見る様に褒めて下さった」
彼は隣国の貴族で、この町には詩集の題材を求めて来ていたのだとか。
ならこの愛の歌は、私への……?
詩を作って頂くなんて、初めての経験です。とても幸せな気持ちになりました。彼といると、こんな嬉しい奇跡が起こるのね。
いいえ、彼が起こして下さるんだわ。
「私の、詩を作って下さるならば」
「勿論です。これからは、恥ずかしいからやめてと言っても、貴女への愛を綴りますよ」
私の答えに、彼は安堵したような朗らかな笑顔を浮かべました。受け取った花束からするのは、優しい甘い香り。
ふとネモフィラの刺繍をしたハンカチを思い出し、コニーに持って来てもらってい、お渡ししました。
「貴方の詩を思い浮かべて縫いました」
「それは嬉しい! ありがとうございます、素敵な贈り物です」
とても大事そうに受け取り、小さな青い花をじっと眺めています。
コニーに彼の分の飲み物も持ってくるようにお願いをすると、エルマー様はハッとされてハンカチを丁寧にたたんで仕舞いました。
「失礼、美しい刺繍に見惚れてしまいました」
「私はエルマー様の詩集に、いつも見惚れておりますわ」
私の返事に照れたようにして目元を緩ませ、向かいの席に座って、帰国していたこの一年の話を始めました。自分がこちらに来る前に私が結婚してしまったらと、やきもきしていたそうです。それでも両親に話を通して、しっかりと準備をしてから来て下さったとか。
穏やかに話す彼の言葉を、ずっと聞いていたいと耳を傾けていました。
詩集と恋 神泉せい @niyaz
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