中編 詩集と刺繍


 婚約者のグレン・アグニューと、例の女性ジェシカ・ヘインズの仲は、いよいよ深まって参りました。お父様から彼の家に苦情を申し入れて下さったそうですが、あちらでも持て余しているご様子。一時の熱病だから、という返答があるだけでした。

 彼は私にも贈って下さった事のないような高価なアクセサリーをプレゼントして、君の笑顔が何よりのお返しだよ、などと呆れたセリフを臆面もなく口にしているそうです。

 

 アグニュー伯爵家は裕福な方ではないのです。先代がだいぶ散財されて、彼の父親が爵位を継いだとき、買い集められた芸術品を売って借金を何とか返済されたというお話でした。彼は知らないんでしょうか。

 質素に暮らそうにも、伯爵家の体面を保つというのはお金のかかる事です。だからこそ我が家と婚姻で結ばれることを、彼の両親は強く望んでいるのですが。私の持参金を当てにされているのでしょう。高価な買い物を続けられる財力はない筈。

 いくらなんでも、そんなに経済観念がないとは思いませんでした……。


 あの後も一度、婚約者のグレン様にお会いしましたが、心ここにあらずという様相でした。エメラルド色の瞳に映るのは、ジェシカ様だけなのでしょう。両親に言われて、仕方なくお茶に誘って下さったようです。

「飲んだなら帰るよ」

 そう言い残し、支払いをしてさっさとお店を出て行ってしまったのです。メイドのコニーは、失礼な男性だと憤っています。私は申し訳ありませんが、彼と一緒なら一人の方が気が楽。

 コニーに向かいの席に座るようにお願いすると、彼女は必死に首を振って断りました。さすがに寂しいからと訴えてみたら、諦めたように座ってくれました。


 メイドである彼女と一緒にお茶をする事は、お父様とお母様には内緒にすることにして、二人で同じスイーツを注文しました。

 プリンのパフェです。甘さを控えたつるんとしたプリンに、クリームとアイス、それからフルーツも乗った豪華なパフェ。バナナとクリームはとてもいい組み合わせだと思います。冷たいアイスをスプーンですくって口の中で溶けるまで堪能し、次にプリンの崩れる触感を味わう。

 口の中が甘さでいっぱいになったところに、瑞々しく酸味のあるオレンジを食べれば、飽きずに楽しめます。そして脇に飾られた、輪切りの黄色いキウイフルーツ。完熟して舌で潰せるほどに柔らかくて、グリーンのものより甘味が強くて食べやすいです。



 コニーとのお茶会はとても楽しかったわ。彼女はとても幸せそうに食べるのです、見ていて微笑ましいくらい。本日は貴族のお友達に誘われて、お茶会に参加してきました。私の婚約者の話は皆が知っています、あまり愉快な場所ではありませんでした。


 はあ。

「どうしたんですか?」


 思わずため息が出てしまうと、声を掛ける男性が。

 お茶会からの帰りに、公園で馬車を止めてもらい、景色を眺めながら風に当たっていたのです。ここは小高くなっていて、見下ろす町並みがとても綺麗。レンガ色の通りに色とりどりの屋根が実るように連なっています。

「この前の方ですね、失礼しました。素敵なブレスレットを有難うございました」

 彼は十五歳の私より、年上に見えます。

 お辞儀をしてから改めて見上げると、彼ごしに爽やかに晴れた空が広がっていました。


「お久しぶりです。落ち込んだ様子ですが、何かありましたか?」

「……大したことは、ありませんわ。よくある婚約者の心変わりです」

 お茶会でも二人が一緒に居たとか肩を並べて歩いていたとか、女性が高価な指輪を見せびらかすように付けていたとか、教えてくれる方が居ました。

 知らないふりをしていればいいのに、憂鬱になります。

「こんな素敵な女性がいて?」

「……お褒めに預かり光栄ですわ。まだ二回しか、お会いしておりませんのに」

 褒めるにしても、大げさです。それとも、そんなに気落ちして見えたのかしら。


「趣味はありますか?」

「読書と刺繍です」

 何なのかしら、この質問は。

「私もです」

「あら、刺繍がお好きでしたの?」

「読書ですよ!」

 慌てて言い返すので、笑ってしまいました。まあ、男性が刺繍が趣味とは思われたくはないでしょう。趣味にしていても、構わないとは思いますけど。

 

 声を張って反応してしまった事が恥ずかしかったのか、男性はゴホンと咳ばらいをして話を続けました。

「刺繍は致しませんが、詩集は読みます。最近ではアクトンの最新作が、とても良かった」

「まあ、詩集。私も好んでおりますわ。でも、一番好きなのは」

「好きなのは?」

 詩が好き、と知ると途端に親近感がわきます。しかも素朴な情景描写をなさる、アクトンがお好きだなんて。周囲には恋の詩を好む方ばかりで、お話ができなかったのです。


「リープマンです! 春の詩はとても描写が繊細で」

「リ、リープマンですか……」

 彼はなぜか困った様子。知らないのかも知れません。本のあとがきに著者の紹介が載っていましたが、お若い作者らしく、まだ認知は薄いんでしょう。

「作品数は多くございませんが、花を生き生きと描写されたり、ススキさえ寂しく凛としたものに思えますのよ。是非読んで頂きたいわ」

「機会が、ありましたら」


 私はお勧めの本を紹介する事にしました。誰かに聞いてもらいたかったのです。

「春の詩にある、“ネモフィラと空”が、とても素敵でしたわ。丘を埋め尽くす小さく青い可憐な花がゆらゆら風になびいて、一人で歩く寂しい気持ちが明るく表現されていますの。空に続くような、これからとても素敵な事が起こりそうな、光を感じる情景描写で」


 しばらくリープマンの良さを語ったのですが、男性はどこかソワソワとして、落ち着かないようでした。もしかして、素晴らしい作品を早く目にしたいのでは?

 私はそう思って、馬車から一冊取ってきてもらい、彼に渡しました。

「もう全て暗記するほど読みましたの。どうぞ」

「……ありがとうございます、読み込んでいらっしゃるんですね」

 彼は受け取ると、革張りの赤茶色をした本の表紙に視線を落とし、金で書かれた表題を指先でなぞっていました。


 ページの隙間から、しおりが覗いています。気に入った三つの詩に、押し花をしたしおりを挟んだままでした。うっかりしていましたが、今更とりかえすのもはしたないので、そのままお渡しするしかありません。

「では、ありがたく頂戴いたします」

 男性は頭を下げて、去って行きました。私は彼の姿が見えなくなるまで、ベンチでお見送りしました。



 新しく買ったリープマンの詩集も、あっという間に読み終えてしまいました。感慨深い思いですが、途端に現実を思い出します。

 私の婚約はどうなるのかしら……。


 悩んでいても気分が塞ぐばかりです。久しぶりに刺繍をする事にしましょう。真っ白いハンカチに、リープマンの詩にあったネモフィラの刺繍。夢中になれば、少しは忘れていられます。

 小さな花の図案の中を糸で埋めていくステッチをしながら、あの詩の好きな男性の、チョコレート色の髪が不意に頭をよぎりました。

 ブレスレットのお礼に、彼に渡せないかしら……

 頂いたブレスレットに添えられたカードには、彼の名前はありませんでした。



 ある日、焼き菓子を買いにお店へ行くと、偶然にも私の婚約者と噂になっている女性、金の髪のジェシカ・ヘインズに会ってしまいました。長い金髪を、真ん中に赤い宝石をはめ込んだ五つの花が飾るバレッタで留めて、ピンク色で裾が赤くグラデーションになっているドレスを着ています。ちょうど青い髪に水色のドレスの私とは、正反対な。


「……ジェシカ・ヘインズ様。ごきげんよう」

「セラフィナ・パジーニ様。お久しぶりにございます。いつもグレンが、お世話になっておりますわ」

 現婚約者である私に対して、もう妻を気取ったような言い方に、一緒に居たメイドのコニーも不愉快に感じたようです。

「お嬢様、ご購入されるものはこちらで宜しいですか? すぐに精算して参ります」

 いつも買うお菓子を選び、彼女はそそくさとレジに行きました。


「まあ、お菓子をご自身でお買い求めになるのですね。私なんて、グレンがたくさん手土産に持って来て下さいますでしょ、両親と分けても食べきれない程なんですの」

「……そう、ですか」

「でも男の人って同じ物ばかりを買ってきてしまいますのよね。私、今日は新作でもないかしらと思って、見に来たんですの」

 勝ち誇るように喋る彼女が、何とも疎ましく思えます。グレンに恋心はありませんが、さすがに婚約者を放っておいて浮気相手に貢いでいるなど、いい気分は致しません。

 

「お待たせいたしました。帰りましょう、お嬢様」

 外では護衛が待っています。しかし彼女には付いていないようでした。領地のない男爵家の娘ですものね、必死なのかも知れませんが。

 馬車に戻っても、なんだか気分が沈んでいました。

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