詩集と恋
神泉せい
前編 チョコレート・ブラウンの出会い
私には親が決めた許嫁がいます。
伯爵家の跡取りでグレン・アグニュー。黄緑色の髪をして、エメラルドのような爽やかな色の瞳の男性で、私と同じ十五歳です。
私はセラフィナ・パジーニ。青い髪を背中の中程で切りそろえ、青い瞳をした、パジーニ伯爵家の娘です。
婚約者とは特に仲が良い訳でも悪いと言う程でもなく、程よい関係と思っていました。
しかし最近、何かおかしい。
彼はある一人の女性の話をする事が増えたのです。
先日は、その女性と一緒に町を歩いている姿を見掛けました。さすがに余りにもあからさまで、これでは両家の問題になるでしょう。お会いして、少しお話をさせてもらわなければなりません。
お渡しする物があってお訪ねした時に、思い切って彼女の事を伺ってみました。
「この前の女性? 悩み事を相談されたんだ。それだけだよ」
「ですが、……彼女は同性の友人はいらっしゃらないのでしょうか? 他人の婚約者である異性と、二人きりで相談事だなんて……」
何事でもないようなお返事に、私も納得できません。やんわりと注意しましたが、彼の反応は面倒だと言うような、私を責めるようなものでした。
「君は冷たいね」
それ以上は何も言えず、悔しい思いで帰路につきました。
しばらくして彼はダンスパーティーに行く時も、例の女性ジェシカ・ヘインズを、パートナーに誘うようになりました。周りからも好奇の目で見られている事でしょう。
パーティーでの二人は必要以上にくっついていて、人目も憚らず恋人同士のように過ごされるそうです。お友達の令嬢が、彼女には気を付けてと教えて下さいました。
気を付けようにも、グレンの心はすっかりと彼女の虜になっているようです。
気持ちが晴れない時は、甘味に限ります。
馬車を用意して頂き、町へ出掛けましょう。私付きのメイドのコニーと一緒に、護衛の二人も伴って。
通りに面する素敵なお店を見つけたので、馬車を止めて頂きました。チョコレートブラウンをした木造りでシックな店構えながらも、レースのカーテンを使ったり手書きの可愛い看板がドアの横に飾られた、オシャレなお店です。
店内には若い女性客が多く、いらっしゃいませと挨拶してくれる店員の笑顔が心地よく感じました。人の間からショーケースに並ぶ色とりどりのケーキを一通り眺めて、メイドのコニーに季節のフルーツケーキを購入してもらい、外に出た時です。
コニーが殿方とぶつかってしまったのです。
「すみません……っ」
地面に落ちてパタンと倒れる、買ったばかりのケーキの箱。
彼女はよろけた弾みで手から箱を落とし、横になったそれを、顔色を変えて慌ててすぐに拾いあげました。
「失礼しました。こちらの店舗で買われた品ですか? 弁償いたします」
男性はメイドに怪我はないかと尋ね、箱に視線を移しました。彼もチョコレート色の髪をしています。目は黒っぽく、清潔な白いシャツにシックな茶色のベスト、ズボンも同じ色で、落ち着いた方という印象です。
「壊れるものではございません。弁償は必要ありませんわ」
「しかしお嬢様、中身はぐちゃぐちゃかと……」
落としてしまったメイドのコニーは気まずそう。
「味に変わりはないでしょう。料理長に相談すれば、綺麗に飾り付けして下さるわ」
「本当にそれで宜しいので?」
困ったように男性も尋ねてきます。自宅に戻ったら、私がメイドを叱責するとでも思われたのでしょうか?
「ええ、限定の桃のケーキを手に入れましたのよ。誰にも渡せません」
私が心配ないと伝える為にもにこやかに笑うと、二人も安心したようで、笑顔になりました。
男性からお詫びの品を送りたいとの申し出がありましたが、きっぱりとお断りしました。婚約者のある身で、贈り物を頂くわけにはいきません、と。しかし彼はならばぶつかった償いをと、メイドに家などを聞いているのです。
彼はもう一度謝罪されてから、コツコツと革靴の音を鳴らし、まっすぐに歩いて人ごみに消えていきました。爽やかな貴族の子息、でしょうか。面識はありません。この国の方ではないのかしら。
途中で書店を見掛けたので、寄ってもらいました。
最近気に入っている作者の、詩集を探す為です。著者はリープマンと仰る隣国の男性で、花や自然を題材にした美しい詩を書かれます。心が洗われ、塞いだ気分の時には暖かい紅茶とリープマンが、一番効くお薬。勿論ケーキもですね。
既刊を一冊と、発行されたばかりの最新刊を購入いたしました。これでもう揃えてしまいましたのね。
程なく私の家に、金の鎖に私の髪や瞳と同じ青い宝石をあしらった、ブレスレットが届きました。添えられたカードには、蒼穹を映す海に眠る真珠のような貴女に、と書いてあります。詩的で素敵な表現が嬉しかったのですが、差し障りのないお礼の手紙だけを、届けて下さった彼の家の使用人に託してそっと仕舞っておきました。
ある日、私の友人でダンスパーティーでの二人の様子を教えて下さった、ジェニファー・ハズラム侯爵令嬢が我が家に来て下さいました。
「ごきげんよう、セラフィナ様!」
「まあ、ジェニファー様、ようこそいらっしゃいまし」
外出が減った私の様子を心配して下さったようです。
「思ったよりも元気そうね。良かったですわ」
「ありがとうございます。彼のことはもう、諦めていますから。それよりも、リープマンの詩集を全て集めてしまって、どうしたら良いんか悩んでいましたのよ」
彼女は新作のケーキを買って来て下さったので、一緒にお茶にしましょうと誘い、暖炉のあるあまり広くない客間へ案内しました。カーテンのレースが三重になっていて、えんじ色の落ち着いた遮光カーテンとの組み合わせがとても気に入っています。飾ってある絵画は、何代か前の女主人だとか。有名な画家に描いてもらい、金の縁の額に入っています。
「本当に詩集が好きですのね。私の兄と趣味が合いそうだわ、宜しかったら紹介しますわね」
「御心だけ頂いておきますわ。今は一応、婚約者がいますもの。それに……」
「それに?」
「侯爵夫人は、私には荷が勝ちすぎですもの」
彼女の兄は、侯爵を継がれる方です。そんなご立派な方との縁組など、さすがに躊躇してしまいます。私は家で気楽に過ごしていたい。
お皿にきれいに盛り付けられたケーキと、赤い紅茶が運ばれてきました。
新作のケーキは、削ったチョコレートのたっぷり乗った、スポンジもクリームも茶色をしたレンガのようなケーキでした。
「うふふ、素敵。私、チョコレートが大好きなのよ」
ジェニファー様は笑顔でフィルムをくるくるとフォークに巻き付け、お皿の奥におきました。
そしてケーキの先端にフォークを差し込んで、ゆっくりと口に運びます。
「おいしい! 夢みたいな味だわ」
「私も頂きます。ほんのりとチョコレートの苦味があって、クリームの甘さと相俟って、とても美味しいです。スポンジも柔らかく、とろけるようですわ」
大きいケーキを上半分だけ掬って食べますが、彼女はさっくりと下までフォークを入れています。
「んん~、でもこれだと紅茶が酸っぱく感じるわねえ」
「ホットミルクでも用意させましょうか」
「名案だわ、チョコレートとミルク。いい組み合わせよ!」
明るいジェニファー様と話していると、私まで元気を頂けるようです。またねと手を振って馬車に乗り込む姿を、見えなくなるまでお見送りしました。
今度は私がお茶菓子を持参して、彼女の家に遊びに行きましょう。
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