おねがい鬼平

達見ゆう

第1話

「おらー、予鈴だぞ、急げー!!」


 鬼澤先生の声が校門中に響く。時間は八時三十分。本鈴はその五分後。そのわずかな間があたしの一日の全てが詰まっている。


 でも、今日は……。


「長谷川ぁー! また遅刻か!?」


 先生センセの声がいつものように校門中に響く。そんなにデカい声で言わなくてもいいのに。


「だから、予鈴が聞こえたから駆け足ですよー!」


 あたしは足踏みをしながら答える。でも、足踏みなんていうのはポーズで本当は急ぐ気なんて全く無い。


「お前の教室は三階の端だろう。また本鈴までに間に合わんぞ! 急げって!」


「はぁーいっ!」


 あたしは形ばかりの足踏みをややスピードを上げて下駄箱に向かう。確かにこの距離では五分後の本鈴には微妙だ。靴もきっちり靴紐を締めてきたので脱ぐのも時間がかかる。



「橋本」


「はい」


「長谷川……長谷川さんっ」


「は、はぁーいっ! ここにいますっ!」


 どこの少女漫画かと言うくらいベタベタな登校シーンだ。あたしは息切れしながら建付けの悪くて大きな音を立てる引き戸を勢いよく開けながら答えた。


「また遅刻か、長谷川」


「い、いやだなあ。返事したからセーフでしょ」


「八時三十八分。本鈴から三分経っている、放課後、生活指導室へ行きなさい」


「はあい」


 あたしはしおらしく答えながらも、心の中ではガッツポーズしていた。


「亜里沙、鬼平の呼び出しだって?」


 あたしの親友、美蘭みらんはチョココロネをちぎりつつ、呆れながら話しかけてきた。


「鬼平じゃないもん。鬼澤平太って名前だからキチンと鬼澤先生って呼ばなきゃ」


 あたしはフルーツサンドを食べつつ反論する。


「そうやって変に真面目な癖に、なんで遅刻するかねえ」


 美蘭はカレーパンとガーリックオニオンパンという女子高生らしからぬ、いや、女子高故に男子の目が無い分、口臭お構い無しメニューをもりもりと食べつつ呆れている。っつーか、ニンニク臭がこっちにも移りそうだ。あとで制服を消臭しておこう。


「ま、まあね。なんか遅れちゃうのよねえ」


「鬼平ってさ、厳しいのとあの名前で鬼平と呼ばれてるじゃん。時代劇しらないけどさ。

 あいつが来てからさ、校則違反が激減したのに、あんたは逆に遅刻が増えたよね。去年はちゃんと来てたじゃん」


「ま、まあ、そうだけど。は~、遅刻が累積してるから今日はお説教と反省文執筆コースかな」


「って、反省文二回目じゃん。鬼平センセ怖いよぉ」


 美蘭が脅かしてくるが、あたしには関係ない。むしろご褒美だ。


「なんとなく嬉しそうよね、亜里沙。鬼平の呼び出しの日のランチはいっつもフルーツサンドにミントティーだし」


 さすが、親友。鋭い。だが、鬼平センセへの恋心はまだ内緒だ。



「またか、長谷川」


 鬼平があたしの顔を見た途端にうんざりしような顔をした。


「はいぃー、そうですぅ」


「そうですぅ、じゃないっ! お前は注意しても、注意しても遅刻が直らないじゃないかっ!」


「はい、すみません、鬼澤センセ」


「本当に反省してるのか? 遅刻回数もかなり累積してるから反省文を書け、終わるまで下校は許さん」


 不快そうな顔もたまらない。ああ、この時間だけは鬼平センセの表情もあたしが独占できるのだ。


「何をニヤニヤしているんだ?」


「い、いえ、反省文終えたらタピオカ屋行こうかと」


「お前なあ……」


 慌てて誤魔化す。さすがに叱られている時ににやけてはいけない。


 こうして二人っきりの甘い空間……とは行かないけど鬼平センセとの時間が始まった。ああ、この時間だけでもセンセを独占できる。それだけでも嬉しい。


「それにしても」


 あたしが反省文を書いている時に独り言とも話しかけているとも取れるように話し出した。


「成績も良い、校則違反も無し、なのに遅刻が多い。何故遅れるのだ?」


「んーと、ギリギリまで寝ちゃうからです」


「それにしては去年は無遅刻無欠席だよな」


「お、面白いYouTuberがいるから、ついつい見ちゃって」


 バレてない、バレてない。お願い、鬼平。まだ私の恋心に気づかないで。まだ告るには早い。


「それに親に確認したが、長谷川。朝は七時に家を出ると聞いたぞ」


 一瞬、反省文を書く手が止まる。ヤバい、ママに問い合わせていたのか。親呼び出しはマズい。

 だけど、鬼平の続けて言ったセリフは意外だった。


「もしかしたら、学校で嫌なことあるのか? イジメを受けているのか? 親に心配かけたくなくて早く出るけどどこかで時間潰しているか? それとも家庭が嫌で家にいたくないのか?」


 え? そういう発想?


「い、いえ、そういう訳じゃ……」


「そうか、言いたくないならそれもいいが」


 いえいえいえ、言いたくないのはあなたへの恋心! 家庭も学校もノープロブレムっ!


「本当に大丈夫か?」


 鬼平があたしの目を見て真っ直ぐに問いかける。ダメだ、そんなに見つめられると男性への耐性がないあたしは顔が熱くなっていくのがわかる。


「おいっ! 顔が赤いぞっ! 熱があるのか?!」


 ああ、ダメ、尊過ぎて意識が遠のく。


 長谷川亜里沙、十七才。恋する女子高生。ただし、相手は鬼平とあだ名される堅物先生。


 あたしの恋路はまだまだ続く。







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おねがい鬼平 達見ゆう @tatsumi-12

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