第4話 アイドルヒーロー

 結城弘人ゆうき ひろとはやきもきした気持ちで自室で待機していた。自分の今回しでかしたことを全て包み隠さず親友である北条屋久ほうじょう やくが伝えると言って弘人の母親……由紀子ゆきこと二人で話しているからだ。

 そしてその結果ヒーローとして活動しなくてはならないことも由紀子は知るだろう。ヒーロー活動に抵抗を見せる母がどう思うのか、なんと言うのかを弘人はただ冷や汗をかきながら待っていた。

 なにより、普段女手一つで自分を育てるために忙しくしている母が学校側から連絡を受けて急いで帰ったからか、多少怒ったように見えたことも弘人の肝を冷やした。


「弘人、話終わったぞ」


 コンコン、と弘人の部屋の扉を軽く叩きながら屋久が声をかける。それを聞いた弘人は重い腰を持ち上げながら足を引きずるようにして部屋から出る。


「そんなに落ち込むなよ、結構好感触だったんだから」


「……本当に?」


 不安げに尋ねる。実際に目にしないことには分からないが、弘人にとって母はそこまで頑固でも無いが、弘人と同じでそこまで割り切れる性格というわけでもない。そう簡単に好感触を掴めるわけが無いと弘人は思っている。


「……」


 無言で応える屋久。こういった時に屋久が無言で応えるのは、大抵自分の嘘と整合性が取れる意見をでっちあげようとしている時だと弘人は知っている。屋久の次の言葉を待つことなく由紀子が待つリビングへ向かうことにした。


「母さん、俺……」


「そこに、座りなさい」


 威圧する様子は無く、寧ろ静かに由紀子は告げた。そしてそれは見た目は好感触に見えるが、しかし弘人と屋久は理解している。そんな時由紀子はどうしようもなく怒っていて、自分の感情を抑えるのに必死になっているのだと。

 あまり刺激しないように静かに椅子に座りながら、弘人は様子を伺う。


「あ、あの」


「良いの、わかってる。だから何も言わないで」


 まだ心の整理がつかないのか、口元に手を当て深く考え込む由紀子。ただじっと弘人が由紀子が言葉を紡ぎだすのを待ち続けて5分が経過しようという時になって、由紀子が覚悟を決めたように深く息を吸った。


「……」


 しかし、言葉は出ない。由紀子にとって、一人息子の弘人には自分の身は大事にしてほしい、ヒーローなんて諦めて転校でもして今回の件は全て忘れて欲しかった。それが由紀子にとって変えようのない本音であることは間違いなかった。

 だが同時に、弘人にそれを許容して欲しくない自分もいることが、由紀子の頭を悩ませた。弘人には自分に素直に生きて欲しい、自分が満足いくような人生を歩んでほしい。しかし危ないことはして欲しくない。なら弘人自身に変わってもらうしかないでもそんなことが出来ないことも分かっている。

 由紀子の頭は、そんな思考をずっと順番に巡っていた。答えは出ない。そこまで結論付けた由紀子には沈黙するか、その考えを全て吐露するしかなかった。


「屋久君に、言われたのよ。取り敢えずどれでも良い、順番に私の考えを全部ぶつけてやって欲しいって……」


 思考の堂々巡りを全部。考えとして示すことすら難しいほどぐちゃぐちゃな思考を、整理して弘人にぶつける。一貫した意見なんてなくても良い、ただ全部自分の意見をぶつけてしまえ、そう屋久は言った。


「凄いわね、屋久君は。あの歳で私より大人なんですもの……ねえ弘人」


「何?」


「弘人は私にとって唯一生きてる家族なの……私ね、弘人のことをこれ以上ないほどに愛してるの。普段あんまり伝えてないけど、あなたがいるから私は今頑張れるの」


 だから、ヒーローなんて危ないことはやめてほしい。でも、それは弘人を縛り付ける枷になるから言えない。だけど、それを言わなくては先に進めないことも理解している。


「お願い、危ないことはしないで」


 精いっぱい、それが伝えられる気持ちだった。それ以上を伝えると他の言葉がきっと濁ってしまうから、由紀子はその先の言葉を飲み込んだ。


「……ごめん」


 弘人は、その言葉に謝罪しか出来ない、他の言葉を発することすら許されないと思っている。だから、由紀子は自分の言葉は誰の力も借りず最後まで全部自分で言い切るしかない、屋久が言いたかったのはきっとそういうことだったのだろうと納得しながら、必死に言葉を探す。


「だけど、あなたは……私は、弘人はそれで良いんだと思う。弘人はそうなんだって私は知ってるから、だから、弘人が好きなようにしてくれないと私も気分が悪いと思う」


「だから、私はあなたが心の底からヒーローをやりたくないと思ってくれればそれが一番良い……」


 はっと何かに気が付いたように由紀子が言葉を喉元で留める。頭の中から必死に言葉を絞り出して、脳内が少し綺麗になったのか、それとも言葉に出すことで整理されたのか、由紀子には判断しかねるが、しかし由紀子の中に新たな思考が芽生えたのは間違いなかった。


「ねえ、私はいつも……いつでもあなたにヒーローをやめて欲しいと言うわ。その考えも意思も絶対に変わらない」


「うっ……そ、そうなるの?」


 弘人が息苦しそうに唸る。居心地悪そうに身じろぎする弘人に笑いかけながら、由紀子は続ける。


「でもね、あなたには自由にやって良いわ。私はあなたがヒーローをやめるのをいつも待ってる……いつでも逃げ道は用意してあげるから、限界が来たらとにかく逃げて」


 危ない仕事だからこそ、やりがいがあるのは由紀子もわかっている。そして、それをサポートするのは自分がやると屋久が約束してくれた。ならやるべきことはそれしかなかった。


「やるからには貫いて、なんて厳しいこと言うつもりは無いわ、あなたそれを自然とこなす人間だもの。だから、弘人、辛くなったら今日の私の言葉を思い出して。……きっと、あなたにはそういう考え方が必要だと思うから」


 それだけ言うと由紀子は席を立つ。弘人はそれを止めることなく、彼女がそのまま玄関から出ていくのを見守る。これは由紀子の癖のようなもので、少し家族内で喧嘩や話し合いがあると必ず彼女はその後暫く家を出て夜まで帰ってこないのだ。

 何をしているのか、弘人はわからないしそれを聞くことも知ろうとすることもしない。それは二人の間の約束事のようなものだった。

 ふう、と弘人は溜息を吐き切る。もっと怒られ否定されることを覚悟していただけに、今回の母の反応は弘人にとって意外だった。


「さて、屋久に礼を言わないとな」


 そのまま立ち上がり、待機しているであろう屋久に礼を言いつつ今後の相談をすべく弘人は自室へ向かった。


―――――――――――――


 近くに最近出来たらしい見覚えの無いカフェで由紀子はコーヒーを注文し、それを待つ間のひと時をただぼーっと宙を眺めて過ごしていた。かつてヒーローだった自分の夫と同じ道を息子が歩むのは当然なのかもしれないと思いながら、その血の濃さに思いを馳せる。


 ————そういえば、私が彼に惚れたきっかけはヒーローとしての彼に助けられたからだっけ。


 由紀子がまだ大学生で、ヒーローという職業はその時はまだドローンという便利なものは無くカメラマンなどを同伴する必要のあった、始めるには少し敷居の高い職業だった。だからその時代に純粋に人を助ける目的でヒーローをしていた弘人の父は数多くいたヒーローの中でもとても珍しく魅力的な存在で、数多くのファンがいた。そして、由紀子もその魅力に取り込まれたファンのうちの一人だった。


 ————弘人もいつか、そんな情熱的な出会いを果たしたりするのかしら。


 すぐ隣の席で美味しそうにパフェを頬張る弘人と同年代であろう女子をこっそりと盗み見る。顔立ちが整ってはいるが、全体的に容姿が幼く身体も小さい。弘人はこんな子に昔からモテていたような気がする、そんな呑気な思考になるのはきっと、由紀子が彼女の夫の隣で何度もヒーローという危険な職業の実態を見てきたからこそなのだろう。

 危険を上げればきりがない。逆に平和な出来事や美しい思い出も沢山ある。半ば現実逃避に近い思考に頭を浸からせながら、由紀子はぼーっとコーヒーを飲み続けた。


 ふと、カフェの落ち着いた雰囲気と由紀子の呑気な思考に似合わない怒りのこもった大声がカフェの入り口の方で上がる。驚いた由紀子がそちらの方を見ると、二人の男が店員と言い争いをしていた。二人の男は両方大柄で体格が良く、片方は派手な赤色の髪をしており、派手な服の上に派手なアクセサリーをじゃらじゃらと着けていた。しかし、何故か指には一切アクセサリーが無い。由紀子はそれを不信がりながらもう片方の男に目を移す。

 そちらは全体的に地味な装いで髪も黒一色だが、その眼光は鋭く赤色の髪の男が怒鳴るのを制しながら店内をじっくりと見回していた。はたと由紀子と目が合うが、それを気にした様子は無い。誰もが彼らに目を向けているが故に気になることは無かったのだろう。


「おいおい、まじで機械に検知されちゃってんの? マジで困るんだけど、ちゃんとナノマシンのカプセル埋め込んだよな俺たち。あいつらもしかして正規国民じゃないとか、そんなのあり得るか?」


 赤髪の男が店員へ怒鳴り散らすのをやめたかと思うと、今度は黒髪の男に向き直り静かに話し始める。しかし元々の声量が大きいのと店内が静まり返っているのもあってその声は由紀子には丸聞こえだった。


「落ち着け赤子、今回は実験的な使用だって言ってるだろ。人が少なめの店で試してついでにナノマシンカプセルの回収か新規メンバー獲得、それが任務。この程度は想定内だろうが」


 赤子、そんな安直な名前で呼ばれた男は不満そうに口を尖らせる。


「そのあだ名やめろよな、俺にはかっくいいコードネームってもんが……」


「とにかく、早く全員掃除しないと通報される。外の待機してるメンバーに実行命令出すぞ」


 黒髪の男の発言に由紀子は眼を見張る。掃除、それの意味するものがこの状況で考得た場合一つしか思い浮かばなかった。


「わかってるって」


 案の定、由紀子がその思考に至った時には赤子と呼ばれた男が腕を振るい、それと同時にその前にいた店員の首を何かが切り裂き、跳ね飛ばす。

 店員の首があったはずの場所は鮮血の噴出により真っ赤に染まっていた。男が振るった腕の先を見ると、異形の手が黒々と輝いているのが見えた。鉄の爪のようなものを装着しているように癒着しているようにも見えるその手は血に染まっており、その惨状の原因がそれであることを物語っている。


「店内の状況報告」


「あと、6人だ。厨房はまだわからんが裏口は既に抑えてある」


 由紀子は急いで窓の外を見る。こんな異常な状況なら外から見れば当然誰かが驚き注目するだろうと外を見るも、道路には誰一人いない様子だった。

 由紀子が状況確認を終える頃になってようやく店内の客が状況を完全に把握したのか、叫び声を上げる。が、叫び声を上げ始めた直後に黒髪の男が懐から銃を取り出し、引き金を引く。銃は引き金が引かれると同時に凄まじい速度で弾丸を飛ばし、その客の眉間に命中させるが、店内には銃声は響くことは無く、ただ客の叫び声の残響のみがこだました。


「何をやっても無駄だ。通報も意味は無い。音は俺が全て遮断している」


「な、ナチュラル……まさか、何でこの店に!?」


 その異様な光景を見てまた客の一人が声を上げる。ナチュラル、国の能力の統制を

拒否し自由に自然に生きる存在を自称する彼らは、基本的に社会から弾かれ社会に関わることは殆ど無い。しかし彼らが社会に現れることも当然ある。そしてそれは大抵、大規模なテロ活動や犯罪行為を行う時だった。だから普通に生きる人間にとってナチュラルが金を溜め込んでいなさそうな、人も少ないこんな場末の店に来ることは想定外のことだった。


「まあ、ちょっとした準備期間ってやつでな。お前と……後の四人は冷静そうだし勧誘しとくか。いやなに、俺たち今人手不足でなあ」

 

 赤子は腕をぶんぶんと振るい、血を地面にびちゃびちゃと振り落としながらニヤリと笑いかける。柔和な態度を示そうとしているのだろうが、それ以前の凶悪な行動からその笑顔は凶悪なものとしか捉えられなかった。由紀子は背筋がゾクリと泡立つのを感じる。


「俺たちナチュラル……”革命軍”に入ればお前らを助けてやろうと思うんだよ」


 赤子が全体に語り掛けながら凶悪な笑顔で歪んだ口元を引き延ばすのを見て客の一人が今度は微かに悲鳴を上げる。それに不快感を煽られたのか、赤子はそちらに首を凄まじい勢いで向け、つかつかと歩き始める。


「おい、何だ今の? 人が親切に命助けるどころか面倒まで見てやるって言ってんのに、どういう了見だ?」


 そう凄みながら赤子は腕を振り上げる。


「はあ、こういうハプニングはドッキリ以外は私、お断りなんですけど」


 その様子を見て由紀子の隣の席でパフェを頬張っていた少女が立ち上がる。当然黒髪の男がそれを見咎めて銃を発砲するが、それを予期していたのか少女はその銃弾を身をかがめて避け、そのまま勢いをつけて脚をばねのように使い自らの身体を黒髪の男に向けて撃ち出す。

 人間の出せる速度を超えた体当たりは黒髪の男が抵抗する間もなくその身体に直撃し、そのまま赤子と客を巻き込むようにして飛んでいく。


「どうも~☆アイドル系ヒーロー、西院千尋さいいん ちひろで~す! オフだけど偶々現場に居合わせたのでゲスな悪漢たちをぶちのめしまぁす♡」


 声だけは高らかに張り上げながら、しかしその顔は若干怒りに満ち溢れた様子で歯を剥き出している。


「ごめんね皆ぁ~、この時間だから票が溜まらなくて動けなかったんだぁ~、許してね」


 そう全体に語り掛ける西院だが、唐突過ぎる出来事の連続でその言葉に反応を返せる人間はいなかった。


「な、何だよ、何が起こってんだ……まさかヒーローか!?」


「そう、その通り。私こそが巷で噂のアイドル系ヒーロー千尋ちゃんです。あんたたちみたいなゲスが私を知ってるとも思わないけどね」


 そう、西院が語るが早いか、その言葉を聞くのを待たずに黒髪の男と赤子が迎撃態勢に入る。西院千尋、彼女は典型的なだ。配信の平均視聴数は三万を軽く超え、票も一万は下らない。そんな人気ヒーロー故に彼らはしっかりとチェックしている。

 そしてそのアイドルヒーローが何故この場にいるのか、二人の男は考えを巡らせつつも、しかし戦闘においては素人同然のこのヒーローに勝つ方法を考えていた。

 ナチュラルは弱い。一般的には百の票を得たヒーローと同等かそれ以下の力しか持ち合わせておらず、身体能力は並。しかし、彼らは能力を自由に扱うことが出来る。そんな彼らがいくつもの票を持つヒーローを下せる時もある。それはナチュラルが数の暴力を用いる時。

 通常、ナチュラルを十人同時に相手にするヒーローに必要な票数は五千程だと言われている。

 今、外には彼らの所属する「革命軍」のメンバーが30人程の数で待機していた。万が一に備えて逃げる準備も整えられている。しかし、ここで逃げに徹するのは任務の失敗を表していた。その失敗を彼らのボスは許さない。


「黒子よ、取り敢えず、任務は全うしてついでに人気ヒーローも一人殺す、そうすれば俺たちの株は超上がるよな?」


「……ああ」


 黒子と呼ばれた黒髪の男は、その会話を自らの能力で聞かれないようにシャットアウトしながらじりじりと出口ににじり寄る。


「ってことは、取り敢えず逃げるふりしてこいつを迎撃ってことで良いのかね、どう思う?」


「よし、じゃあ3秒数える。0になったら同時に出口から出るぞ」

 

 しかし、その口の動きと先ほどの戦いで情報を得た由紀子がそれを察知し、叫ぶ。


「あ、千尋さん! こいつら作戦会議してる。多分外に出る気!」


 その由紀子の声を聞く前に、西院は動き出す。軽く地面を蹴る感覚で前に飛び出し、二人の退路を塞ぎ、そのまま勢いを乗せた拳を突き出す。


「逃がさない!」


 その拳は赤子を捉えたが、間一髪で赤子が身体を捻り躱す。拳が唸りボンッと空気を叩く音が店内に響き渡る。


「ひぃ、いやぁこいつはとんでもない化け物だな、本当に倒せるか?」


「取り敢えずやるしかない! 早く外に出るぞ!」


 転がるように出口に走り、その異形の腕で出口を切り裂き外に出る赤子。それに追随するように黒子が転がり出ながら銃で西院に対して牽制を行う。ヒーローの身体能力がありながらも流石にそれを受け止めるわけにもいかず西院はその牽制を避けることに専念してしまい二人を取り逃す。


「ちっ、このゲスどもめ、待ちなさい!」


 走って逃げる二人を追うように西院が飛び出すのを見ながら、由紀子は呆然としていた。


「大丈夫かしらあの子……」

 

 由紀子の心配は意味のないことに感じるが、しかし西院の戦闘の動きにかなり粗があることは由紀子の目から見ても明らかだった。


――――いざとなったら私が、サポートしなきゃいけないかも


 そして何かを決心したように由紀子はこそこそと出口に向かった。


――――――――――――


 黒子の能力は自分の周囲10m以内に自由自在に音を遮断する「音膜」を張る能力。その膜は張った後なら彼がどんなに離れても消えることは無く、彼以外が視認することも無い。

 彼の能力は暗殺や戦闘の妨害、あらゆる面で役に立つ。彼が先遣隊として任務を行うのは、その利便性と、少数精鋭のヒーローに対して人海戦術で戦うことの出来るナチュラルの戦い方において最も有効なを容易に成功させることが出来るからだ。


 店から出て、まっすぐに跳んでくる西院の体当たりを避けながら二人は裏路地へ逃げ込む。西院の体当たりは速度が速く直線なら逃げきることは出来ないが、入り組んだ道では操作が難しいそれは命取りだった。西院も速度を落とし裏路地を走る。

 走りながら黒子は自分の頭より少し上に音膜を水平に伸ばすように張っていく。そこの上は予め多くの革命軍を名乗るナチュラルが待機している。もし店内でヒーローと遭遇しても大抵はそうやって狭い場所に誘い込み奇襲を行い倒す手はずだ。


「さあ、来いおちびさんよぉ、俺らが片付けてやるぜ」


 ちょいちょい、と赤子が挑発するような動きを見せると、今度はそれにより奇襲を警戒し西院は立ち止まり耳をすませる。目だけはしっかりと目の前の二人の男を見据えながら。

 しかし、それは今西院が一番とってはいけない行動だった。


「はっはぁ! ひっかかりやがったか馬鹿が!」


 上から降ってくる音は全て音膜で遮断されている状態。上から降ってきたナチュラルの戦闘員がその能力で強化したバットを振り下ろす瞬間それをギリギリで気取り西院は頭を間一髪で捻り頭への直撃は避けるが、そのバットはそのまま左肩へと直撃する。

 ごきん、という鈍い音と共に西院は自分の肩の関節が外れたことを理解する。ヒーローの身体能力で上げられた防御力をもってしても、防ぎきれない攻撃。ナチュラルの戦術において最も強力な一撃、本来必勝の一撃だがそれをもってしてもこのヒーローの身体を傷つけるのは難しかった。


「~~~~ッ!!!!」


 しかし、その強さ故に痛みに慣れていない西院はその痛みに顔を歪め苦悶する。自分の肩に打ち付けられたバットを掴み必死に振り回す。その身体に似合わない膂力で奪い取られた木製のバットに西院はミシミシと指を食い込ませながらそのままバットの持ち手をその持ち主がいたであろう場所に向けて振るう。

 着地した直後でバットを奪われ態勢を崩した男の横腹にバットの持ち手がズン、とめり込む。そのまま肉を切り裂くように食い込みながら、バットはそのあまりの衝撃に耐えきれず根本近くでへし折れる。

 今度はそのバットのへし折れた部分を心臓に向けて西院が突き出すと、そのままずぶりとバットはすんなりとその身体に入っていく。


「ひっ、ぎゃ、やめ!」


 男が叫び始めてすぐにバットが心臓まで到達したのか、すぐに叫び声を血が喉から溢れさせる空気のこもったゴポリという音に変わる。


「あんたら、こうなりたくなかったら、いますぐ降伏しなさい」


 自分の形成が少し傾き弱気になったのか、西院がそう呼びかける。しかし、その提案は彼らにとって反撃すれば勝てるという鼓舞にしかならなかった。黒子が近くに張った音膜を全て解除し叫ぶ。


「今だ! 行くぞお前ら!」


 その叫びに合わせ複数のナチュラルたちが西院の頭上、あるいはすぐ近くの角から現れる。しかし、西院はその状況になってなおその場から動くことなく、大きく息を吸い込む。

 

――――この”黒子”とやらを片付けるまで見せたくなかったんだけど仕方ない、か。


 そのまま溜め込んだ息を喉を通し外へ音として放出する。その音……歌はその場に現れた全員の鼓膜に響き、その脳を揺らす。

 西院千尋は、生まれながらにしてアイドルだった。その端麗な容姿は多くの人を目から虜にし、そしてその綺麗な歌声は耳から虜にする。

 西院千尋は、誰もを虜にする「歌声」の能力を持つヒーロー、その能力は、彼女を取り囲んだ数人を完全に虜にした。


「さあ、全員そこにまとまりなさい!」


 西院がそう命じると、西院を取り囲んでいたナチュラルたちは目をトロンとさせながら「はい」と答え西院が示した地点にわらわらと集まっていく。

 西院はその様子を鼻歌を歌いながら眺めている。


 黒子はその一部始終を音膜の裏でじっと見ていた。ヒーローにとって強力な武器でもあり弱点にもなり得る能力、それを見た時点で黒子は自分の勝利を確信する。

 そのまま西院が虜にしたナチュラルたちと西院の間に音膜を張り音を遮断する。その行動を察知した西院はそのままナチュラルの一人を黒子たちの方へ蹴り飛ばす。

 蹴り飛ばされたナチュラルは血と臓物を撒き散らしつつ黒子たちへ向かって飛んでいく、それを赤子が黒子の前に立ち切り裂いてから西院の方を睨む。


「てめえ、残酷な殺し方ばっかりしやがって……ってあ!?」


 自分も他人のことは言えないだろう、と心の中でたしなめながら黒子も西院がいた方を見る。しかし、そこには既にその姿は無い。


「ちっ……逃げられたか」


 正面から西院が向かってくれば不利なのは確実に彼らの方だったが、それでも西院が逃げを選択したことで、黒子は勝利を確信する。


「追うぞ赤子、奴は表に出ているはずだ……そこで、確実に殺せる」


 他のヒーローが駆けつける前にな、と付け足すと黒子は勢いよく走りだす。首尾良く行き過ぎて怖いくらいだな、と内心ほくそ笑みながら、最上の獲物を追いかける彼の顔はさながら兎を狩る狼のようだった。

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多数決ヒーロー 松神 @matsugami

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