偽検非違使判官、僧都を欺く事

田中紀峰

1話完結

これもさほど遠くはない昔の話だが、奈良の興福寺に説法の上手と名高い、隆禅律師と号する僧都がいた。京都で按察大納言藤原隆季たかすえが催した法事に導師を勤めて、施主の隆季からたくさんのお布施をいただいて、庫裏くりに泊まっていると、外から門を叩く者がある。節穴からのぞいて見ると、そこには一人の尼が立っていた。

「お坊様。突然失礼いたします。私は大和の国から来ました。今日は亡き夫の命日で、墓参の帰りなのですが、途中気分が悪くなり、休んでおりましたら遅くなり、もう日が暮れてまいりました。とうてい家に帰りつくことができそうにありません。申し訳ありませんが、一晩こちらに泊めていただけませんでしょうか。」

ははあなるほど。亡くした夫の菩提を弔うために若くして仏門に入り、夫の命日に一人で墓参りに行った、その帰りであるか。

隆禅は尼をつくづくと眺めた。まだ若い。やっと三十路を過ぎたほどであろうか。夫を失ってまだ間もない、独り身の後家なのであろう。

隆禅は尼の顔が美しく、声がきれいなのにボーっとしてしまった。

「それは難儀なさいましたな。拙僧がそなたの夫の冥福を祈り、念仏を唱えてあげましょう。

おなかもさぞすいておろう。夕餉を召し上がるか。私たちと一緒に囲炉裏をお囲みなさい。夜着や布団もお貸ししましょう。」

そうして隆禅は親切に、尼に食事を与え、彼女を庫裏に泊めてやることにした。


暫くして、また門を叩く者があった。

「検非違使庁からの使いである。」と言う。

「先ほどここに尼が一人来たであろう。あの女は多くの盗みの容疑者として訴えられている者なのだ。決して逃がしてはならない。後ほどまた来る。」と言って帰った。

「尼よ、おまえは盗人なのか。私を騙して、物を取ろうとしたのか。いま検非違使庁から使いの者が来たぞ。申し開きしてみよ。」

隆禅は女を問いただしたが、しかし女は頑として、一言も口をきこうとしない。

そこで隆禅は尼を縄で縛りあげて、捕吏が到着するのを待った。


夜が更けて、また戸を叩く者がある。検非違使判官と名乗った。

「この尼を連行しようというのだろう」と思って、中に入れて、僧自ら対面した。

「この女に間違いありますまいか。」

ところがこの判官と名乗る者、いきなり僧の腕を捕らえて、刀を抜き僧の脇にさし当てて言う。

「動くな。いいか、ここにじっとしていろ。下手な真似をすれば即座にこの刀でおまえを刺し殺す。坊中の者どもも、決して声を上げたり、物音を立てるな。

おい坊さん、おまえ、今日たんまり檀家からお布施をもらっただろう。どこにある。」

「ここです。」

「蔵の鍵も寄越せ。」

「はい。」

男は尼を縛った縄を刀で断ち切り、塗籠ぬりごめや蔵を引き開けて、資財・雑物などを運び取って、馬十頭に背負わせて、隆禅を馬に乗せて、東山の粟田口へ連れていった。

尼は僧に言った。

「お坊さん、命だけは助けてやるよ。でもこのことを検非違使庁に訴え出れば、三日のうちにおまえを殺しに戻って来るぞ。わかったか。今ここで神仏に誓え、決して訴えぬとな。」

「誓います。」

尼と偽判官は、隆禅を道に残したまま、馬を伴って悠々と逢坂の関を東へ越えていった。

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偽検非違使判官、僧都を欺く事 田中紀峰 @tanaka0903

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