朝日
三津凛
第1話
There’s not such thing as perfect writing. Just like there’s no such things as perfect despair.
村上春樹
ただ路傍で、流れてくる石鹸水を飲んでいたい人生だった。でもそれは叶わなくて、ただこうして生きている。
腐りかけの電柱の根元に、いつまでも引っ付いたまま離れない。じっと誰かを待っている。
交通事故で、ガードレールが脊柱を突き破ったんだ。幸い?背中から突っ込んだガードレールは腹は破らずに、私の中にとどまった。
そのせいで、私はただこうして水溜りに浮く石油の膜みたいな存在でいる。
いつまでも誰かを待っていると、ようやくあなたが向こうからやって来る。あなたはちょっと変わった形をしていて、上着は紳士服なのに下はまるで泡のようなふらふらっとしたスカートを履いている。おまけに靴下は学生が履くような濃紺だし、靴は子どものものだった。
あなたの服は全部万引きして身につけたものだから、そんな風になるのだ。
私が動けないままでいると、あなたはしゃがみ込むと微笑んだ。血の泡を吹きかけながらも、あなたは全く動じない。散らばったガラス片と私の骨片を、丁寧に選り分けて並べていく。
私がどうしてそんなことをしているの、と聞くと、とびきり優しく、「だって、手術をするときに必要だろう?」と笑う。
私は「ただ路傍で、流れてくる石鹸水を飲んでいたい人生だった。でもそれは叶わなくて、ただこうして生きている」と返した。
あなたは立ち上がって、ふうんと私を見渡す。そうして、また少し優しい顔になった。
「フリーダ・カーロに起こった事件みたいだ」
はあ?なんのこと。
私は電柱の根元から動けないまま、あなたを見返す。その目つきがきつかったのか、あなたは少しだけ哀しそうな目をした。
その襟元に、値札が翻っていることを私は見つける。
そのことを教えると、あなたは首を振った。
これがいいんだ。いつまでも新品みたいで、そう簡単には捨てられなくなる。そうすると、段々と愛情が湧いて二度と捨てられなくなってしまうから。それまで待ってるんだ。
万引きした服でも愛おしくなるのかと、私は聞いた。
うん、そんなこともある。
あなたはそう答えて、次第に私から遠ざかった。そして、私の視界から消えるほんの少し前に大きく振り返って、大きく手を振った。
私は相変わらず動けないまま、そこにいた。
ただ路傍で、流れてくる石鹸水を飲んでいたい人生だった。でもそれは叶わなくて、ただこうして生きている。
朝日 三津凛 @mitsurin12
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