細川藤孝は秀吉の命令で薩摩に下向しており島津とは縁がありますね
細川家が熊本に移封になってお互い仮想敵国になってしまいましたが…
田辺城の戦いは戦略的にはまったく意味のない戦いなんですよね
光成は田辺城なんてほっといてさっさと関ヶ原に軍勢を差し向け
させるべきでしたねえ
攻め手もやる気がなかったのでプロレスのような抗城戦ですが
細川藤孝の名声があがったので藤孝好きとしては喜ぶところかな
私も大河ドラマでは是非島津家の物語を見たいと思っております
島津貴久からはじめてクライマックスは関ヶ原での敵中突破とかいいなぁ
島津の大河ドラマ化実現まで頑張って下さい!
作者からの返信
とても励まされるメッセージをありがとうございます。私が戦国島津を大河ドラマに押すのは第一に今の日本に必要な歴史的事実を知ってほしいからです。
もし、その点を抜きにした場合、戦国時代の動乱期に文武両道の才をフルに活用した細川藤孝はいずれ大河ドラマの主役になるのにふさわしい気がとてもします。
田辺城の戦いも演出次第では相当映えると思います。
ぜひ今年の明智光秀の放送が大成功してこれなら細川藤孝もという流れになればとも思います。
仰る通り細川と島津は戦国の習いで仮想敵国になりましたが、秀吉の九州征伐のおり、島津義久が細川藤孝にとても秀吉には見せられない愚痴の数々を手紙で書いています。
なので、個人的には親しかったのは間違いないですね。
義久は和歌が大好きでしたし、古今伝授についても逸話もありますから。
私もクライマックスを大河ドラマでぜひとも見たいと思っています。
戦国繋がりでこれからもどうかよろしくお願いします。
編集済
歌を大切にするのはとてもよいことだと思います。
言葉を大切にする人は、対話を大切にする人です。
……忠興はちょっとあれですけど……。芸にのめり過ぎてやらかした主君も結構な数いますけど……。
作者からの返信
コメントありがとうございます。
お言葉を聞いて気づいたのですが、戦国時代芸にのめりこんで国力が弱って滅亡した武将結構いましたね。
そのことを考えると細川藤孝の業績はなおのこと光るものがあると気づかされました。
籠城戦の藤孝も関ケ原後の義久も粘り強い対話で将来の活路を開いていました。
武力だけでは決して成し遂げられなかったでしょう。
肥前ロンズ様のコメントでさらに文武のバランスの大切さを深く理解できました。
ありがとうございます。
細川藤孝、すごい人だったんですね。
明智とも交流があったと思いますが、実際は、教えをこうていたのかもしれませんね。
作者からの返信
興味深いコメントありがとうございます。
おっしゃる通り明智光秀は足利将軍と近い関係にありましたからその角度から見ても興味深い考察やエピソードがありそうですね。
明智から見ると薄情ですが、彼は冷徹ではあっても歴史的に正しい判断をしました。
先を読む点では明智より上の能力を持っていたと言えるかもしれません。
ここで触れた通り、500足らずの兵で15000の大軍と戦っていますので、決して目先の有利不利では動かない大局観のある人物でした。
それにしても明智光秀にしても細川藤孝にしてもすごい優秀でしたので、もし本能寺の変がなく彼らが姻戚関係のまま勢力を保っていたならどのような歴史になったのか、興味があります。
ありがとうございます。
また読ませて戴きます✨🤗✨✨✨
作者からの返信
オズ研究所 《《#横須賀ストーリー紅白様いつもご愛読応援ありがとうございます。<(_ _)>😊
次もぜひよろしくお願いします。🌟✨😊✨🌟