また読ませて戴きます✨🤗✨✨
作者からの返信
オズ研究所 《《#横須賀ストーリー紅白様いつもありがとうございます。
<(_ _)>😊
これからもどうかよろしくお願いします。😄
反面教師というやつですね…
脳科学では、「脳は否定形を理解できない」と言いますが、
「こうしてはいけない」「こうなってはいけない」を
あまりに注意しすぎるのも考えものかもしれませんね。
知識として知り、善い行いをしたものに学び、
「こうありたい」「「こうしていきたい」を
模範とするのが私は良いと思いますが、いかがです?
作者からの返信
あっちゅまん様興味深いコメントをありがとうございます。<(_ _)>😊
これは私独自の考え方なので違うかもしれませんが、最適解を見つけるのに人は大きく二つの方法があると考えます。
一つはベクトル的思考で正解を見つける天才タイプ、このタイプは答えが初めからある程度見えているので直線的に思考し行動することが出来ます。
もう一つは島津義久もそうですが、ダメな範囲を埋めていき、正解を領域のように狭めていきある程度見えてきてから行動する秀才タイプです。
ご指摘の良い点を学びそれを行うことをこの後のいろは歌も推奨しています。
しかし、一方でそれが出来れば楽なんだけどという意味深ないろは歌もあります。
これは戦でも将棋でも野球やサッカーなどでも似たような話を聞きます。
なので、私としては個々の人に最善の方法を取るのが良いというファジーな回答しかできないかなと思います。😊😅
いつもおもろいお話をありがとうございます。馬謖については、彼を擁護するつもりはないのですが、おっしゃるとおり、蜀の人材払底が最大の原因だったのかなあと思います。副官として各地を転戦して実戦を積ませてあげるだけの余裕が、蜀陣営にはもうなかった。
諸葛亮は苦悩したと思います。国のいく末にも。
三国志演義を読むと、どうしても登場人物を武将としてのみ捉えてしまうのですが、同時に彼らは政治家的要素も持っているわけですね。
諸葛亮の政治的判断を読み解くと、苦悩の連続だったのではと思ったりします。国力差を考えれば、蜀に籠って魏の崩壊を待つしかない。しかし、それでは蜀の国体が保てない。戦略的矛盾を抱えながらも北伐せざるを得ない。
馬謖の件は、そんな問題の一端として現れたことなのかな、と思いました。
歴史は、本当に多くのことを考えさせてくれますね!
これからも、ご教授ください!
(長文失礼しましたっ)
作者からの返信
興味深いコメントをいただきありがとうございます。
仰る通り蜀の人材難というどうしようもない事態に対処するため諸葛亮はない状態から工夫して工夫して何とかやりくりしていました。
私達は歴史を通して神の視点で物事が見れますが当時の人達はそうはいきません。
彼の苦悩を思うととても悲壮感があふれて辛いですね。
それと、これも忘れがちですが、三国志の時代って古い歴史なんですよね。
恐らくこのころの私達の先祖のほとんどは書ける名前もなく、字も書けず、ひらがなも存在しない状態で官僚にも武将にもなれる人は少なかったと思います。
だから、諸葛亮が馬謖に箔をつけて早く蜀の柱石にしたいと考えたとしても、仕方ないと思ったりもします。
ただ、諸葛亮は官僚的な人間なので、優等生は見つけられても、将軍タイプの扱いは苦手だったようです。
蜀に人材がいないのも要因でしょうが、三国志の三傑である、劉備、曹操、孫権と比べると将を見つける能力は劣っていたかもしれませんね。
まあ、若くて人づきあいが苦手そうな彼にそれを求めるのはとても残酷だと思いますが。
長くなりましたが私も専門家ではないただの素人なので、島津いろは歌と歴史から学びつつ、これからも文章を書いていきたいと思いますので、これからもよろしくお願いします。
安いマウンティングをとるのでは無く、常に謙虚に、人の意見に耳を貸す事が大事ですね😊
作者からの返信
@momoyo-oki様コメントありがとうございます。<(_ _)>😊
ご指摘そのとおりだと思います。😄
それと本文では書きませんでしたが、マネジメントに関していえばこのような輩には大任や重要なポストを与えてはならないという戒めでもあります。
かの諸葛亮ですら失敗した人事ですので。
とはいえ、観察してみれば見分ける方法はそれほど難しくありません。
また、一見すると有能そうに見えるので容量を守って用いればそれなりに役に立ちます。
ただ、この手のタイプは自尊心が強く、奇策は弄しても柔軟性に欠けることが多く、人望はないですが、変に世間の評価が高いこともあるので処遇に関しては細心の注意が必要かもしれません。
このあたりの人事の塩梅は官僚的で頭のいい諸葛亮のようなタイプよりも劉備のような政治家タイプの方が見習いたい模範かもしれませんね。😊🍀