万能乳牛
田中紀峰
1話完結
白衣を身に着けた若い男がノックもせずに入ってきた。
「ホルシュタイン博士。」
そのきらきらと輝く目をみて、彼が何を言おうとしているのか、書斎の中で分厚い学術論文誌を読んでいた白髪頭で背広姿の男は、一瞬にして悟った。
「ついにやったか、ジャージー君。」
「ええ。博士、ごらんください。」
ジャージーは、白い液体が入ったビーカーを両手に持っていた。博士はその液体を、シャーレに少量移し替えて、交互に飲み比べた。
「どうです、この二つの牛乳。片方は山羊の、もう片方は羊の乳の味がします。我々が、遺伝子操作によって作り出した新種の牛は、子供の牝牛に牛の乳を飲ませて育てれば、大人になってから牛の乳を出す。しかし、山羊の乳を飲ませると、大人になって山羊の乳を出すようになり、羊の乳を飲ませると、羊の乳を出すようになるのです。」
「素晴らしい発明だ。毎日不眠不休で実験をおこなってくれた君のおかげだよ。」ホルシュタインに誉められて、助手のジャージーは顔を赤らめて喜んだ。
「いえ。博士の理論研究のたまものです。」
ホルシュタインとジャージーは、ビーカーに注がれた山羊の乳を飲ませた牛の乳と、羊の乳を飲ませた牛の乳を、試験管に移し替え、見た目や味だけでなく、成分も完全に山羊や羊の乳と同等であることを確認した。
彼らは世界的に最も権威ある科学雑誌の一つ「ナショナルサイエンス」に論文を投稿し、受理された。出版されるやいなや、世界中の学者から称賛され、次回のノーベル賞候補と噂された。
実験は同じ偶蹄目の駱駝や、奇蹄目の馬でも成功を収めた。
「素晴らしいですね。もしかすると人の乳でも・・・。」
「ああ、人も牛も同じ哺乳類だ。夢の万能乳牛。牛から人の乳を出すことができるかもしれん。そうなるとすごいぞ。」
「すごいですかね。」
「ああ、母乳の代用になるだけではない。今まで牛乳で賄われていた乳製品のすべてを人乳で作ることができるようになる。バター、チーズ。
乳脂から石鹸を作ることもできる。最高級品だ。
人の乳を出す牛の乳でその仔牛を育てれば、人乳をどんどん再生産できるはずだ。画期的だ。」
「でもいきなり人間で実験するのは、人道上許されないのではないですか。」
「そうかもしれん。では猿を実験台にしようか。」
「とりあえず、マウスで試してみましょう。」
牛の子に飲ませるほどのマウスの乳を収集するには、非常な手間と時間がかかった。
しかし勤勉なジャージーは、何百匹というマウスからこつこつと、やっと2リットルほどの乳を集めて、生まれたばかりの万能乳牛の子に哺乳した。
「博士!」
またしてもジャージーはノックもせずにホルシュタイン博士の書斎に駆け込んできた。
「どうだった。」
「それが、仔牛はちゃんとマウスの乳を飲んだのですが、そのう、生後六週間しても、牧草を食べません。」
「つまり。」
「ええ。マウスの乳を飲ませれば、離乳後、マウスの餌を食べるようになるのです。」
「ということは、猫の乳を飲ませれば肉を食う牛になり、人乳を飲ませればきっと米やパンを食べる牛になるだろうな。」
「ですね。」
「気持ち悪いな。」
万能乳牛 田中紀峰 @tanaka0903
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