記憶喪失のおじさんに嘘をついて、お持ち帰りすることに成功しました

深山瑠璃

第1話

 おじさんと出会った時わたしは精神的に参っていた。



 故郷の村から一緒に出てきた幼馴染のアルとパーティーを組んで冒険者稼業をしていたのに、一か月前に仲間に加えたばかりの神官女と恋仲になったアルが、あっと言う間に誑かされてわたしを追い出したから。



「ごみクズ同然の役立たずが、幼馴染だからってアルに甘えて面倒を見てもらうなんて恥ずかしくないの? 自分から離れるべきじゃない?」

「僕もティナは冒険者に向いていないと思う。ティナといると稼げない。故郷の村に帰った方がいいよ。ティナよりもっと役に立つ仲間を加えるつもりだから、パーティーから外れてくれるかな」



 あまりにも突然で予想外だったために、わたしは二人の言葉に言い返す事がまったく出来なくて立ち尽くす。ずっと一緒の村で育って兄妹のように仲の良かったアルが、あっという間に恋人の主張を受け入れて自分を追い出し、振り返ることなく離れていくなんて信じられなくて、ショックで堪えた。

 



 だけど、独りになったからといって故郷の村に帰るなんて考えられない。



 ソロでも冒険者を続けて見返してやる。二人には「役立たず」とか「冒険者に向いていない」と言われたけれど、わたしは決して弱いわけじゃないし。



 宿屋の部屋に引きこもって布団とお友達になりたい気持ちを何とか振り切り、気持ちを奮い立たせて冒険者ギルドで<噛みつき大モグラ退治五匹以上>の依頼を受けた。



 結果は、楽勝。うん、見つけるのにほんの少し時間がかかったとか、火魔法の火力調整がちょっとだけ上手くいかなくて丸焼きにしてしまい、せっかく防水性が高くてそれなりのお値段で買い取ってくれるはずの毛皮を全部だめにしてしまったとか、そんなのは問題ない。



 討伐証明の爪は焦げてはいるものの一応認めてもらえたし依頼は無事達成だよ。



 大丈夫、大丈夫なんだから……一人でもやっていける。



 俯きそうになる顔を必死にあげて受付のお姉さんから微々たる報酬をもらい、ソロ冒険者開始記念にちょっとだけ美味しいものを食べよう。自分へのご褒美なんだから、そう思ってギルド内の酒場でお肉とエールを注文したら、酔っ払った冒険者三人に絡まれた。



「あれー、なんでこんな遅い時間に駆け出し冒険者の女が一人寂しく食べてるんだぁ?」

「あぁ、コイツ知ってるぞ、田舎から一緒に出てきた幼馴染の男を、おっぱいのデカい神官女に寝取られた奴だ」

「ぎゃははは。マジかよ、なんでそんなこと知ってんだよ、お前」

「その神官女、結構有名なんだよ、色気がすごくてよぉ、コイツと違って」

「ぐはははは」



 下世話な会話のネタにされて笑われ、我慢できなくなって叫ぶ。



「アルとは恋人じゃないから、別に寝取られたわけじゃないし!」


「ぎゃははは。おいおい、認めたくない気持ちはわかるけど、拗ねるな。俺なら貧乳女のお前でも全然イケるぞ。顔はかわいいしな、一人寝は寂しいだろ、今夜相手してやろうか」

「そうだ、何なら俺らのパーティーに入れてやろう。お前の役に立つ使い方を俺らは知ってるぞ」

「うははは。お前それ、仲間じゃなくて、毎晩宿に帰ってから使うんだろ」



 泣きたくなってくる。せっかくのお肉も冷めてしまった。なんで、わたしばっかりこんな目に。手元にあったエールを一気に飲み干して、こんなやつら得意の火魔法で燃やしてやろうかと、怒りと悔しさで身体を震わせていた時だった。



 背後から、落ち着いた渋い声が聞こえてきたのは。



「おい、お前ら、悪ノリもそれぐらいにしとけや」



 そこからは、以前見たことがある旅芸人の劇に出てきたヒーローの一コマのように鮮やかな光景が繰り広げられた。声をかけてくれた男に対して「邪魔するなやおっさん」とかなんとか雑魚丸だしなことを言いながら殴りかかった三人の酔っぱらい冒険者はあっさり倒され、酒場から外へ叩き出されてしまったのだ。



 もうなんか、いろんなことがあって、頭の中がごちゃごちゃで弱りきっていたわたしは、自分でもチョロすぎると思うけれど、人生で初めて恋をしてしまった。その人に目が釘付けになってしまったのだ。一目惚れである。



 助けてくれた相手が、三十前後のおじさんだとか、ぼさぼさのくすんだ金髪に少々鋭すぎる碧眼の強面な顔立ちだとか、うっすらと無精ひげを生やしていて薄汚れた外套を羽織っているとかは全然気にならなかった。それどころか、マイナス要素になりそうなそれらの外見すべてがとても格好よく見えた。



 さっさと何処かへ行ってしまいそうだったその人の、細身だけどほどよい筋肉のついた腕に必死ですがりついて強引に同席してもらって尋ねる。



「あ、あの、お礼にエールを一杯奢らせてください! わたしはティナといいます、あ、あなたの名前を教えてもらえませんか?」

「あー、礼なんて気にしなくていい……」

「そ、そんなこと言わないで、わたし嫌なことが続いていて、だから名前ぐらい教えてくれたっていいじゃないですかぁぁ。教えてくれるまで離しません」



 そんなふうに興奮状態で熱に浮かれていたから、直後のおじさんの返事を聞いた瞬間に魔が差してしまったんだ。



「おい、まさかあんたエール一杯程度の酒で酔っぱらってんじゃないだろうな。面倒なのを助けちまったな…………あー、実は記憶喪失で名前も覚えてないし身分証も持っていないんだよ。だから、急いでるんでこれで失礼させてもらうわ」



 そんなことを言いながら面倒臭そうに立ち上がってしまいそうなおじさんを、再度腕にしがみついて席に座り直らせ、咄嗟に嘘をついてしまった。



「あ、あの、わたしたち。恋人同士です!」

「は?」



 茫然とするおじさんに、夢中で畳みかける。



 記憶喪失なんて素晴らしく都合がいいじゃないか。絶対にこのおじさんをお持ち帰りするんだという決意のもとに。



「あの、生き別れていた恋人です! ずっと探していました。良かったぁ。やっと見つけました。どこをほっつき歩いていたんですか。でも無事でよかったです。大丈夫です。記憶を失くしていても、わたしは見捨てたりしません。これからはずっと一緒です! あの、わ、わたし火魔法が得意です! 料理も凄く得意です!」



 な、なんでそんな可哀想なものを見るような目でわたしのことを見るんだろう。



「あんた、歳は幾つだ?」

「十六です」

「マジかよ」

「大丈夫です。犯罪じゃないです。十六はもう大人です」

「……なぁ、俺の名前はなんて言うんだ?」

「えっ? あ、ろ、ロン! そう! ロンです」

「……しっくりこない」

「ええっ? あ、そ、そう、そうだった、ロ、ローランドです!」

「…………ロから始まらなかった気がする」



 焦りで動揺しつつも、おじさんの表情を確認すると、目を細めて、口の端をニヤリと歪めている。あぁ、格好いい。で、でも、どうしよう。記憶を失っていても、やっぱり違う名前だと、しっくりこないものなんだろうか。



「おいおい、あの娘大丈夫か? 助けた方がよくないか?」

「あれじゃ、最初の連中とどっちがマシか分からないな」

「ほんとだよ、あのままじゃ記憶喪失のフリした悪人顔の男に騙されて連れていかれるぞ」



 周囲の酔っぱらいから、耳を傾けるに値しない言葉が聞こえてくる。助けてくれたこのおじさんが、わたしを騙すわけがないじゃない。そんな外野の声よりも今はこのおじさんの名前問題だ。どうにか切り抜けなきゃ。



「あ、あ、あの、よ、よくわかりましたね! 記憶を刺激するかと思って違う名前を出してみたんです……もしかして、何か思い出しましたか?」

「ぶっ」

「えっ? な、なんで笑ってるんですか」

「あぁ、わりぃわりぃ。思い出してはいないんだけど、多分、サから始まった気がするわ」

「ふぁっ? さ、ですか、あ、サイラス! サイラスです!」

「ぶはっ。腹が痛い。まぁそれでいいわ」


 

 くうぅぅ。強面の顔が笑うと、なんだかかわいい。素敵すぎる。



「あの、よ、よかったです、その、これからよろしくお願いします」



 握手してもらおうと手を差し出すと、その手を引き寄せられて口元に近づけられギョッとして飛びのいた。



「なぁ、恋人なのに他人行儀なのはおかしくないか? キスの一つでもしてくれれば思い出すんじゃないのか?」

「は、はいいぃぃぃぃ? き、キス! 待って、待ってください! わたしのことを思い出していないサイラスとそういうことをするのはなんだか違う気がするので、思い出すまでは焦らなくていいです!」



 いっぱいいっぱいになるわたしを見て、またも噴き出すおじさん。



 意外と笑ってくれる。うれしい。おじさんの強面可愛い笑顔にトロンとなっていると「わかった。わかった」と笑いながら頭をくしゃくしゃになるまで撫でられて、完全に子供扱いされてしまった気がする。



 帰る前に、身分証がないというおじさん改めサイラスのギルドカードを作るためにカウンター前に立つと、受付のお姉さんにすごく心配そうな声で「ティアちゃん本当にいいの? 大丈夫?」と、何度も念を押されたけど何を心配されているのか分からない。



「大丈夫です。大丈夫。わたしはサイラスの恋人です」宣言をして帰ってきた。



 結果として、お持ち帰りに成功したのです。



 やったぁ、ざまぁみろ。アルなんて目じゃないんだから。サイラスと二人で冒険者としても成り上がってやるんだから。



 でも宿屋の部屋に連れ帰ってからちょっと不安になったので、聞いてみる。



「あ、あの、お持ち帰りしちゃいましたけど、わたしと一緒にいるの嫌じゃないですか? 冒険者稼業をしながら一緒に生きてくれますか?」

「あぁ、嫌では、ないな。これも何かの縁だろう。なんか、放っておけないし。冒険者のサイラスとして生き直すのも悪くない。明日も早くから依頼を受けるつもりなんだろ、さっさと寝ろよ」



 うん。手を出してくるつもりはないみたい。紳士だ。子供扱いされていて、ただのパーティー仲間みたいになってしまっている気もするけど、良いんです。いつかベタ惚れにしてみせます。




 二人で受けた最初の討伐依頼の時にわたしのファイヤーボールを見てもらったら雑過ぎると怒られて、頭をぐりぐりされた。だって、巨大な火の玉を作ってぶつける。それしかできないんだから仕方がないじゃない。



 だけど、骨ばった指でくすんだ金髪をかき上げながら「一体どうやったら加減ってものを教えてやれるんだ。いやむしろ当てさせないで、脅しにだけ使わせるのが正解か?」などと言いながら考え込む姿に胸をキュンキュンさせてしまう。サイラスとの冒険者稼業は楽しい。幸せだ。




 だからわたしは頑張って野営では食事を作る。たっぷり愛情をこめて、サイラスが長生きして欲しいからバランスにも気を遣って。

 サイラスはわたしの「料理が得意」という話を信じていなかったみたいで、顔を顰めながら恐る恐る料理に口をつけて「うまい……やるな。やばいなこれは」と褒めてくれた。そんなことを言われたらもう有頂天だ。顔がにやけて蕩けて形が戻ってこない。




 わたしがミスをしてピンチになりそうになっても、必ずサイラスがカバーして助けてくれる。サイラスは剣も魔法も凄く得意で、そんなときは彼の過去が気になってしまう。記憶が戻って不意にわたしの元から離れていってしまったらどうしたらいいのだろう。



 それに、今のこの幸せな状態はもともと記憶を失った男性についたわたしの嘘から始まっている。その嘘でこうして傍にいられていることに、良心の呵責が膨らんでふとした時に考え込んでしまって、だんだんと辛くなっていく。



 でも不安そうになっていると、すぐにサイラスは気づいてくれてわたしの頭を撫でてくれた。正直、その行為自体は子ども扱いをされているみたいで不満なんだけど、サイラスの手は心地よくてついついニマニマしてしまって複雑だ。




 ある時、盗賊に襲われてわたしは動けなくなって怖くて震えて、気づいたらサイラスが一人で全員を倒してくれていた。サイラスが無事でよかった。何も出来なくて不甲斐なくてごめんなさい。そんな気持ちで一杯になってしがみついたら、サイラスはわたしが落ち着くまでずっと抱きしめて背中をさすってくれていた。



 あったかい。手放したくない。



 近くの街について、その日もいつものように二人で一つの部屋をとって眠る。普段ならベッドは別なんだけど、我儘を言ってサイラスの布団に潜り込んで、胸元に頬をすり寄せて肌着をギュッと握りしめたままクンクン匂いを嗅いで、安心と幸せの甘い香りを堪能する。



「勘弁してくれよ……おっさんの匂いを嗅いで何が楽しいんだ。何も分かってないだろお前」



 そんな、呻くようなサイラスの言葉が聞こえてきた。



 何も分かってないわけじゃない。いまも心臓が爆発しそうだ。幸せと緊張で息が止まりそう。わたしの顔は真っ赤になっているだろうし、見苦しく口をパクパク開けてしまって、鼻息もがんがんサイラスの胸に当たっているはず。



「あー、くそっ。かわいいな、お前は」



 しばらく身体を固くしていたサイラスがそう言って、わたしのおでこにくちびるを落としてくれた。初めての感触に驚いて布団の中からサイラスの顔を確認するとぞくっとするほど男の色気が滲み出した艶かしい眼差しがあって――わたしは必死に押さえつけようとしていた心の中の蓋を弾け飛ばしてしまった。涙腺が決壊して信じられない量の涙が溢れ出してくる。



「もう嫌だ……ごめんなざい……」

「あぁぁ? ど、どうした? そんなにおでこへの口づけが嫌だったのか?」

「ぢがう。うれじい。でも……」



 サイラスがわたしに好意を持ってくれた。それはすごく嬉しくて幸せで、でもその好意の前提にわたしの嘘があるのだ。



 涙が止まらない。みっともなく鼻水さえも垂れ流しながら抱きついたまま泣き続けた。もう嘘はつきつづけられないと思ってしまったから。



「あの、サイラス。ごめんなざい。嘘なんです。サイラスとはあの時が初対面で、わたしとサイラスは恋人でも何でもなかったんです」

「…………それがどうした。んなことは、最初から知っている」

「ふぁぎゃぁ? そ、そんなっ!」



 ま、まさか、嘘がばれていたなんて。



「それに、アレだ。元々恋人じゃなかったとしても。これから恋人になっていけばいいだけだろ。どうした。俺のことが大好きとか言ってたのも嘘か?」

「そんなの……大好きに決まってるじゃないですかぁぁぁ!」



 いつか嘘がばれて、去って行かれるかもしれないと不安でいっぱいだったのに。こんな結末が待っているなんて、こんなに幸せでいいのだろうか。わたしは最初に嘘をついてしまったけれど、これからはサイラスに嘘は絶対つきません。約束します。きっと、サイラスもわたしに嘘なんてつかないはず。



 だから、二人でこれからも幸せに生きていきます。




「なぁ、ティナ。抱き合ったままで、そろそろ我慢するのも疲れてきたんだけど」



 え? な、何を我慢してるんですか、まさか、あ、きゃぁーーーーー!!!




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