3
マサオは再び、自伝図書館へと足を運んだ。
きれいな書物が並ぶ書棚を次々と素通りしていき、彼は藤原拓也の自伝の前でピタッと立ち止まる。
スマートフォンを左手で強く握りしめ、マサオは拓也の自伝へ手を伸ばす。
(よし。今度こそ、ちゃんとおじさんの本を理解しなくちゃ)
マサオは自伝をやさしく抱えて、書棚のそばにある木製の机に向かう。
そして、彼は拓也の自伝とスマートフォンを静かに置いた。
マサオは深く息を吐き、ゆっくりとこげ茶色の椅子に座るのだった。
それから数時間。
彼は片っぱしから自伝のページを凝視して、次々と読み終えたページをめくる。
そして、わからない言葉があったらスマートフォンを使ってひたすら検索した。
しかし、言葉の意味がわかっても、拓也の言わんとすることがなかなか理解できず、マサオはただ文字面を追うばかり……。
少年の頭の中には、白い紙の上に浮かび上がる活字であふれていた。
(ああ、わからない! 全然わからない!)
彼は不意に、机の上を小さな拳で「ドン!」と鳴らしてしまった。
広くて大きい自伝図書館のなかに、彼の怒りの音がこだましたのだった。
気がつくと、マサオはまた、拓也の住む家の、扉の前に立っていた。
少年は懸命に手を伸ばし、呼び出しのチャイムを鳴らす。
「はあい」
拓也ののん気そうな声が、扉の向こうがわから聞こえてきた。
マサオは、その平然とした調子の声に憤りを覚えながら、ただ扉の前でじっとしている。
しばらくすると、黒い格子の扉がガチャッと開かれた。
目の前には、マサオよりも背丈が高く、幸せそうに微笑み顔を浮かべている拓也の姿がある。
「ああ、マサオ君。また訪ねてきて、どうしたの?」
拓也がそうやさしく問いかけると、少年は苛立たしげに返事をする。
「おじさんに、教えてもらいに来たんだよ」
「何を?」
「お金の稼ぎ方を、だよ」
その言葉を聞いて、拓也は軽くため息をついた。
「あのね、俺はいつも仕事で忙しいんだよ。キミにいちいち教える手間なんてないの」
すると、少年はふくれ顔になる。
「おいおいマサオ君。そんなに怒るなよ。……まあ、ウチへ入るか?」
拓也がそうやさしくマサオに聞くと、彼はずしずしと図々しく、玄関の中に入っていく。
「おい、マサオ君!」
拓也は廊下の上を、急ぎ足でマサオを追いかける。
マサオはダイニングに入り、テーブルのそばにある椅子に歩み寄る。
そして椅子の上に立ち、テーブルの上に、図書館で借りた拓也の自伝を乱暴に置いた。
「おじさん。どこに書いてあるの」
「えっ?」
「お金の稼ぎ方だよ」
「あ、ああ」
「どこに書いてあるの?」
その話を聞いて、拓也は納得した表情になる。
「なるほど。キミが今日ここに来たのは、それが目的なんだね」
「そうだよ」
少年がそう低い声でつぶやくと、拓也は両手をあおいだ。
「まあ、そうカッカするなよ。教えてあげるから」
そう言って、彼は少年の手から本をやさしく取り上げて、ページをペラペラとめくり出した。
そして拓也は、少年に向けて自伝のあるページを指さす。
「ここに、キミがほしがっている情報がすべて書いてあるよ」
マサオは、彼の指さすページの文章を読んだ。
―これからの時代は、自分の好きなことで稼げる時代だ。
だからこそ、僕は言いたい。
好きなことに没頭しよう。それが仕事になるまで。―
その文章を読み終えると、マサオはなおもふくれた表情になった。
「この文章じゃよくわからないよ。もっと具体的な話をしてよ」
「いやいや、この本にはいろんな実例を載せてるでしょ」
「どこに」
「まあまあ、そうカッカするなって」
そうなだめながら、マサオにもう数ページ前の文章を指示した。
「ほら、ここにいろいろ載ってるでしょ? けん玉を大道芸として仕事にした話とか、コンビニアイスを批評する評論家の話とか。こっちなんか、田舎にいながらもブロガーとして活躍してる例も載ってるじゃん。これでまだ足りないんだったら、そういう類の本も出してるから、よかったら紹介するよ」
「…………」
「おい、どうした? もしもし? お~い」
拓也がそう問いかけ、少年に目を向ける。
すると、彼はマサオが目にいっぱい涙をためていたことに気づいた。
「ど、どうしたの……」
「くやしい……」
「え?」
拓也がそう聞き返すと、マサオは涙をぬぐって言う。
「一生懸命、スマホで調べながらがんばったのに……何度も読み返したのに!」
そして、マサオはやがて大声をあげて泣いてしまった。
「おいおい、なにも泣くことないじゃない」
「だって、だって~」
拓也は、やさしく彼の小さな背中をさすった。
「そんなに悔しかったの?」
「うん」
「どうして」
「だって、学校に通ってる子たちに、バカにされたくないんだもん!」
「マサオ君……」
再び、マサオは声をあげて泣いてしまった。
拓也はふと、ズボンのポケットからハンカチを取り出した。
「ほら、これで涙を拭きなよ」
「おじさん……」
拓也は、日の光が差し込む窓辺のほうに目を向ける。
「……大丈夫だよ、マサオ君。キミはまだ若いから」
「だって、キミはまだ学校にも通ってない子供なんだから。まだまだ可能性はあるよ」
「おじさん……」
マサオは自分の涙を、拓也から受け取ったハンカチでふき取った。
拓也は、話を続けた。
「今のうちにいろんなことに挑戦していけば、立派な社会人になるさ。小さいうちにお金儲けのことばかり考えなくてもいいよ。それよりも、自分のやってみたいことに、素直に向かってみるのがいいと思うよ」
拓也のその言葉を聞いて、マサオはつい「でも……」とつぶやく。
拓也は、マサオの小さな両手を丁寧に包み込むようにして握った。
「大丈夫だよ。俺もこの自伝に書かれてある通り、もとは不登校だったんだ。それがどうだよ。今じゃ立派なビジネスマンになってるだろ?」
そう言って、彼はマサオのうるんだ両目を見つめる。
「大丈夫! 学校へ行けなくても、キミは立派な大人になれるよ。がんばれ!」
「……ありがとう、おじさん!」
マサオはそう言って、拓也の自伝を手にして、ゆっくりと椅子から下りていった。
「ボク、おじさんみたいに、立派な大人になるよ! 今日は、本当にありがとう! さよなら!」
そう言って、彼はゆっくりと部屋を去っていく。
彼の去り際を見て、拓也は急いで見送りに玄関へ向かったのだった。
不良少年と自伝図書館 岡本ジュンイチ @okajun
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