ピンポーン


 マサオは、「藤原」と書かれた表札にある、呼び出しボタンをゆっくりと押した。

 すると、家の中でドンドンドンと、上から駆け下りる音が聞こえてくる。

 その迫る音が、マサオの背筋をひどくこわばらせた。

(うわぁ、どんな人が出てくるんだろ~)

 マサオはそう思いながら、小さな心臓の動機が強く脈打つのを感じ、ふと右手で胸を押さえた。

 扉の向こうで、草履が擦れる音が聞こえてくる。

 そして、ゆっくりと扉が開かれた。

 その扉の向こうには、鼠色のスーツをまとった、茶髪頭のおじさんがいた。

 顔はやや痩せており、頬骨の骨格がくっきりと浮かび上がっている。

 その顔の額には、3本の細長いシワが寄っている。

 見たところ、彼は四十代あたりの年齢のように見受けられた。

 彼のまわりには、甘酸っぱい香水のにおいが漂い、心地いい空気をまとっている。

 ただ、彼の目つきが鋭いせいか、小学生であるマサオにとっては近寄りがたいようであった。

(うわぁ~、オーラがハンパないよ~)

 表情がガチガチにこわばった少年に、茶髪のおじさんは軽く微笑む。

「こんにちは。君が、俺と話がしたいっていう、小学生の子だね?」

「は、はいっ! はじめまして」

「はじめまして。藤原拓也です。どうぞよろしく」

 そう言って、拓也は胸ポケットから小さな名刺を取り出した。

 そして、それをマサオの目の前に丁寧に差し出す。

 マサオはその名刺を受け取り、しばらく自分の手元ばかり見つめている。

 どうやら、あまりに興奮してしまっているようだった。

「さぁ、入って。あまりきれいじゃなくて申し訳ないけど」

「あっ、はい!」

「はい?」

「あっ、いえ、その……おじゃましま~す」

 玄関へ入ると、マサオはいきなり驚いてしまった。

 まず、玄関の大きさがハンパない。

 戸口から上がり段までの距離が、普通の家庭よりも3倍は遠かった。

 そして、玄関に並んでいるたくさんのきれいな革靴。

 それも同じように見えて、微妙に色づかいやつや・形が違っていて、見ていて飽きることがない。

「なに、どうしたの。そんなに珍しい? ウチの靴」

 やさしく拓也が声をかけると、マサオは焦り顔になって上がり段へ駆け寄っていく。

「あっ、いえ、その……失礼します!」

「あはははっ、緊張してるね」

 拓也は白い壁に手を伸ばして重心を置き、靴からスリッパに履き替える。

「はい、どうぞ」

 彼はマサオに、外来用のきれいなスリッパを差し出す。

「あっ、ありがとうございます……」

「いいえ」

 薄暗い廊下の上を淡々と歩く拓也の後ろ姿を、マサオはじっと見つめている。

彼は拓也に誘導されるがままに、廊下の向こうのダイニングへおそるおそる入っていく。


 とてもまぶしい!


 窓から差し込んでくる日の光が、ダイニングのなかを乱反射しているせいだろう。

 辺りがすごく明るく、目を開けてられない……

「ああ、ごめんね。太陽がまぶしいよね」

 拓也は急ぎ足で窓へ駆けていって、太陽の上に白いカーテンで隠した。

「さ、そこの椅子に座って。コーヒーを出すから」

「はい……おじゃまします」

 マサオはすっかり恐縮してしまい、一歩一歩の進みが遅い。

 こうしてトボトボと、拓也に用意された自分の席に座るのだった。

 目の前に出されるコーヒー。

 マサオは、不慣れな手つきでコーヒーに砂糖やミルクを入れ、ちょびちょびと飲みだす。

「それで、俺に話したいことがあったんだっけ」

拓也は自分の席にずっしりと座りながら、マサオにそう聞いた。

「はい! そうなんです!」

「言ってごらん。どんなことなの」

マサオは急いでコーヒーを飲み干し、拓也に率直に聞いた。

「おじさんは、どうやって今の地位にまでたどり着いたのですか?」

「は?」

拓也の意外な反応に、マサオはすっかりひるんでしまう。

「す、すみません! 変なことを聞いてしまって」

「いや、それはいいんだけど……」

 そう言いながらも、拓也は苛立たしげに頭をかいている。

(まずい。怒らせちゃったかも……)

 マサオは冷汗をゆっくりと手で拭い、ゴクリと自分の唾をのみ込んだ。


 しばらくして、拓也はやさしい口調で、マサオの質問に応じた。

「まず、古本の物販をやったんだよ。ウチにある漫画をひたすらフリマサイトで売りまくって、小遣いを稼いでたんだ」

「ほう」

 少年は歓心を得ている様子で、ニコニコとじっと拓也を見つめている。

 そんな彼の視線を感じながらも、拓也は話を続けた。

「だけど、古本の物販は忙しい割にあまり儲からなくてさ。それから俺は、もっと儲かる仕事に手を伸ばしたわけ」

「なるほど。その『儲かる仕事』っていうと?」

「セールスコピーだよ」

「セールスコピー?」

 マサオが急に眉をひそめて、ポカンと上を向きだした。

 そこで、拓也はマサオに丁寧に説明する。

「『セールスコピー』っていうのは、つまり商売の売り文句を考えることだよ」

「ああ、そういう意味だったんだ」

「知らなかった?」

 マサオは恥ずかしげに「はい」と応じ、自分はまだ社会のことをよく知らないことをつぶやいた。

「そりゃそうだ。君はまだ、小学生だもんね」

「あの、そこでちょっと質問なんですけど」

「なぁに?」

「『セールスコピー』って、つまり売り文句を考えることなんですよね」

「ああ、そうだよ」

「そんなんで、本当に仕事になるんですか?」

 マサオのその問いに対し、拓也は声をあげて笑い出した。

「それが仕事になってるんだよ。世の中には、そういう売り文句を考えてほしいっていうお客さんが、たくさんいるんだ。もっとも、仕事の案件を獲得するのには苦労するんだけどね」

「へえ~! それってつまり、言葉を考えるだけでお金がもらえるってことですか!?」

「そうだよ」

 拓也がそう応じると、マサオはビシッと挙手をした。

「それじゃあ聞きたいんですけど、おじさんはどうやって、そこからテレビの有名人とお仕事をするようになったんですか?」

 マサオの問いに対し、拓也は言葉を選ぶように、できる限りわかりやすく自分の生い立ちを話した。

「どうやってって、あの本に書かれた通りなんだけど……つまり、古本の物販から入っていって、そこからセールスコピーライターに変わって、その能力を活かしてブロガーになったんだよ。で、そのブログをきっかけに、大手の会社から取材ライターの仕事も増えていったワケ。それで、その取材相手の有名人と仲良くなっていくんだよ。おかげで今では、彼らの仕事を取りに行っている、芸能プロダクションの代表取締役だよ」

「なるほど~」

 マサオは目を輝かせて、拓也のほうを見つめている。

 彼はぱちくりとまばたきを繰り返しながら、拓也にもう一歩踏み込んだ質問をする。

「ねえ、おじさん。おじさんは、学校についてどう思う?」

「は?」

拓也はあっけらかんとした表情で、マサオを見下ろした。

だが、彼はしばらくするとニヤリと笑いだし、マサオに話す。

「あはは。坊や、おもしろい質問をするね。でもどうして、そんなことを聞くの」

 すると、マサオは真剣な目つきになって話し出す。

「ボクさ、学校がキライなんだ」

「ほう、それはどうして」

「だって、ほかのみんながロボットに見えるんだもん」

「ほ~」

 拓也は感心した表情になり、ふと腕を組みだす。

 少年は、熱心に話を続けた。

「だってそうでしょ? みんな先生の指示ばかり聞いて、好きでもない勉強をさせられて、おまけに『宿題』っていうタダ働きまでさせられちゃうんだよ? 何だってみんな、ああいうことが気軽にできるのかがわからないんだ」

 それに対し、拓也はにこやかに切り返す。

「いやいや、そういう学校の用事は、キミでも行ってるんでしょ?」

すると、マサオは拓也の問いかけに対し、「いいや」と応じる。

「えっ、どういうこと?」

「ボク、いま登校してないんだ」

「え!? つまり、登校拒否してるってこと?」

少年は、喜々とした表情で「うん!」と応じた。

 すると、拓也はいきなり大声をあげて笑い出した。

 あまりの唐突さに、マサオは目を丸くしてしまう。

「なに、なんで笑うの?」

 すると拓也は、自分の口元を押さえながら「いやぁ、ごめんごめん」と言い、自分の感じたことを素直に話した。

「ただおじさんは、自分と同じ考えを持ってる子がいて、つい嬉しくなっただけなんだよ」

「えっ、どういうこと?」

 拓也は腕を組むのをやめて立ち上がり、窓のほうへと歩み寄っていく。

「コーヒーをおかわりはいる?」

 拓也は窓の戸を網戸に代えながら、そうやさしく問うた。

 首を振るマサオ。

「ああ、そう。……実は、おじさんもあんまり、学校が好きじゃなくてね」

「そうなの?」

「ああ。大嫌いだよ」

 びゅうっと、窓辺から風が入り込んでくる。

 拓也は涼しげな表情でありながらも、アツく自説を語り出した。

「大体さ。いまはインターネットが普及しきっている社会なのに、学校でスマホがいじれないなんてナンセンスなんだよ。なんだって日本人は、偉くもない教師を神様みたいにたてまつってるんだろうね。俺も、いまだにそれが理解できないんだ」

 マサオは拓也の熱弁を聞いて、ついにんまりとしてしまう。

「へへっ。おじさんもそうだったんだね」

「当たり前だよ」

「あははは。やっぱり、おじさんと話ができてよかったよ」

マサオはそう言って、さらに拓也に質問をした。

「ねえ、おじさん。これからの時代、どうやったらおじさんみたいなお金持ちになれるの?」

 その言葉を聞いた途端、拓也の表情は一変した。

「金持ちに?」

「うん」

 拓也は、急にくもった表情になり出す。

「どうしたの?」

 マサオはなれなれしく、拓也にそう聞いた。

 すると彼は、にこりと微笑みながらも、自分の思った本音を少年にぶつける。


「くだらない質問だなぁ。キミ、本当に俺の本を読んでくれたの?」

「え……?」

マサオは、返答に困ってしまった。

拓也はマサオの返答を待つことなく、話を続ける。

「金持ちになる方法だったら、あの自伝の中でハッキリと書かれてあるよ。わからなかった?」

 そう言われて、あんなに調子よく笑っていたマサオの頬が、急にこわばってしまった。

「え、えーっと……その……」

 彼のおぼつかない返事を聞いて、拓也は深くため息をついた。

「もう一遍、俺の自伝を読み直すことだね」

 彼のその言葉が、マサオの胸に重くのしかかった。

 そして、少年はついうつむき顔になり、その小さな口から、「ごめんなさい……」とつぶやくのだった。

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