2
ピンポーン
マサオは、「藤原」と書かれた表札にある、呼び出しボタンをゆっくりと押した。
すると、家の中でドンドンドンと、上から駆け下りる音が聞こえてくる。
その迫る音が、マサオの背筋をひどくこわばらせた。
(うわぁ、どんな人が出てくるんだろ~)
マサオはそう思いながら、小さな心臓の動機が強く脈打つのを感じ、ふと右手で胸を押さえた。
扉の向こうで、草履が擦れる音が聞こえてくる。
そして、ゆっくりと扉が開かれた。
その扉の向こうには、鼠色のスーツをまとった、茶髪頭のおじさんがいた。
顔はやや痩せており、頬骨の骨格がくっきりと浮かび上がっている。
その顔の額には、3本の細長いシワが寄っている。
見たところ、彼は四十代あたりの年齢のように見受けられた。
彼のまわりには、甘酸っぱい香水のにおいが漂い、心地いい空気をまとっている。
ただ、彼の目つきが鋭いせいか、小学生であるマサオにとっては近寄りがたいようであった。
(うわぁ~、オーラがハンパないよ~)
表情がガチガチにこわばった少年に、茶髪のおじさんは軽く微笑む。
「こんにちは。君が、俺と話がしたいっていう、小学生の子だね?」
「は、はいっ! はじめまして」
「はじめまして。藤原拓也です。どうぞよろしく」
そう言って、拓也は胸ポケットから小さな名刺を取り出した。
そして、それをマサオの目の前に丁寧に差し出す。
マサオはその名刺を受け取り、しばらく自分の手元ばかり見つめている。
どうやら、あまりに興奮してしまっているようだった。
「さぁ、入って。あまりきれいじゃなくて申し訳ないけど」
「あっ、はい!」
「はい?」
「あっ、いえ、その……おじゃましま~す」
玄関へ入ると、マサオはいきなり驚いてしまった。
まず、玄関の大きさがハンパない。
戸口から上がり段までの距離が、普通の家庭よりも3倍は遠かった。
そして、玄関に並んでいるたくさんのきれいな革靴。
それも同じように見えて、微妙に色づかいやつや・形が違っていて、見ていて飽きることがない。
「なに、どうしたの。そんなに珍しい? ウチの靴」
やさしく拓也が声をかけると、マサオは焦り顔になって上がり段へ駆け寄っていく。
「あっ、いえ、その……失礼します!」
「あはははっ、緊張してるね」
拓也は白い壁に手を伸ばして重心を置き、靴からスリッパに履き替える。
「はい、どうぞ」
彼はマサオに、外来用のきれいなスリッパを差し出す。
「あっ、ありがとうございます……」
「いいえ」
薄暗い廊下の上を淡々と歩く拓也の後ろ姿を、マサオはじっと見つめている。
彼は拓也に誘導されるがままに、廊下の向こうのダイニングへおそるおそる入っていく。
とてもまぶしい!
窓から差し込んでくる日の光が、ダイニングのなかを乱反射しているせいだろう。
辺りがすごく明るく、目を開けてられない……
「ああ、ごめんね。太陽がまぶしいよね」
拓也は急ぎ足で窓へ駆けていって、太陽の上に白いカーテンで隠した。
「さ、そこの椅子に座って。コーヒーを出すから」
「はい……おじゃまします」
マサオはすっかり恐縮してしまい、一歩一歩の進みが遅い。
こうしてトボトボと、拓也に用意された自分の席に座るのだった。
目の前に出されるコーヒー。
マサオは、不慣れな手つきでコーヒーに砂糖やミルクを入れ、ちょびちょびと飲みだす。
「それで、俺に話したいことがあったんだっけ」
拓也は自分の席にずっしりと座りながら、マサオにそう聞いた。
「はい! そうなんです!」
「言ってごらん。どんなことなの」
マサオは急いでコーヒーを飲み干し、拓也に率直に聞いた。
「おじさんは、どうやって今の地位にまでたどり着いたのですか?」
「は?」
拓也の意外な反応に、マサオはすっかりひるんでしまう。
「す、すみません! 変なことを聞いてしまって」
「いや、それはいいんだけど……」
そう言いながらも、拓也は苛立たしげに頭をかいている。
(まずい。怒らせちゃったかも……)
マサオは冷汗をゆっくりと手で拭い、ゴクリと自分の唾をのみ込んだ。
しばらくして、拓也はやさしい口調で、マサオの質問に応じた。
「まず、古本の物販をやったんだよ。ウチにある漫画をひたすらフリマサイトで売りまくって、小遣いを稼いでたんだ」
「ほう」
少年は歓心を得ている様子で、ニコニコとじっと拓也を見つめている。
そんな彼の視線を感じながらも、拓也は話を続けた。
「だけど、古本の物販は忙しい割にあまり儲からなくてさ。それから俺は、もっと儲かる仕事に手を伸ばしたわけ」
「なるほど。その『儲かる仕事』っていうと?」
「セールスコピーだよ」
「セールスコピー?」
マサオが急に眉をひそめて、ポカンと上を向きだした。
そこで、拓也はマサオに丁寧に説明する。
「『セールスコピー』っていうのは、つまり商売の売り文句を考えることだよ」
「ああ、そういう意味だったんだ」
「知らなかった?」
マサオは恥ずかしげに「はい」と応じ、自分はまだ社会のことをよく知らないことをつぶやいた。
「そりゃそうだ。君はまだ、小学生だもんね」
「あの、そこでちょっと質問なんですけど」
「なぁに?」
「『セールスコピー』って、つまり売り文句を考えることなんですよね」
「ああ、そうだよ」
「そんなんで、本当に仕事になるんですか?」
マサオのその問いに対し、拓也は声をあげて笑い出した。
「それが仕事になってるんだよ。世の中には、そういう売り文句を考えてほしいっていうお客さんが、たくさんいるんだ。もっとも、仕事の案件を獲得するのには苦労するんだけどね」
「へえ~! それってつまり、言葉を考えるだけでお金がもらえるってことですか!?」
「そうだよ」
拓也がそう応じると、マサオはビシッと挙手をした。
「それじゃあ聞きたいんですけど、おじさんはどうやって、そこからテレビの有名人とお仕事をするようになったんですか?」
マサオの問いに対し、拓也は言葉を選ぶように、できる限りわかりやすく自分の生い立ちを話した。
「どうやってって、あの本に書かれた通りなんだけど……つまり、古本の物販から入っていって、そこからセールスコピーライターに変わって、その能力を活かしてブロガーになったんだよ。で、そのブログをきっかけに、大手の会社から取材ライターの仕事も増えていったワケ。それで、その取材相手の有名人と仲良くなっていくんだよ。おかげで今では、彼らの仕事を取りに行っている、芸能プロダクションの代表取締役だよ」
「なるほど~」
マサオは目を輝かせて、拓也のほうを見つめている。
彼はぱちくりとまばたきを繰り返しながら、拓也にもう一歩踏み込んだ質問をする。
「ねえ、おじさん。おじさんは、学校についてどう思う?」
「は?」
拓也はあっけらかんとした表情で、マサオを見下ろした。
だが、彼はしばらくするとニヤリと笑いだし、マサオに話す。
「あはは。坊や、おもしろい質問をするね。でもどうして、そんなことを聞くの」
すると、マサオは真剣な目つきになって話し出す。
「ボクさ、学校がキライなんだ」
「ほう、それはどうして」
「だって、ほかのみんながロボットに見えるんだもん」
「ほ~」
拓也は感心した表情になり、ふと腕を組みだす。
少年は、熱心に話を続けた。
「だってそうでしょ? みんな先生の指示ばかり聞いて、好きでもない勉強をさせられて、おまけに『宿題』っていうタダ働きまでさせられちゃうんだよ? 何だってみんな、ああいうことが気軽にできるのかがわからないんだ」
それに対し、拓也はにこやかに切り返す。
「いやいや、そういう学校の用事は、キミでも行ってるんでしょ?」
すると、マサオは拓也の問いかけに対し、「いいや」と応じる。
「えっ、どういうこと?」
「ボク、いま登校してないんだ」
「え!? つまり、登校拒否してるってこと?」
少年は、喜々とした表情で「うん!」と応じた。
すると、拓也はいきなり大声をあげて笑い出した。
あまりの唐突さに、マサオは目を丸くしてしまう。
「なに、なんで笑うの?」
すると拓也は、自分の口元を押さえながら「いやぁ、ごめんごめん」と言い、自分の感じたことを素直に話した。
「ただおじさんは、自分と同じ考えを持ってる子がいて、つい嬉しくなっただけなんだよ」
「えっ、どういうこと?」
拓也は腕を組むのをやめて立ち上がり、窓のほうへと歩み寄っていく。
「コーヒーをおかわりはいる?」
拓也は窓の戸を網戸に代えながら、そうやさしく問うた。
首を振るマサオ。
「ああ、そう。……実は、おじさんもあんまり、学校が好きじゃなくてね」
「そうなの?」
「ああ。大嫌いだよ」
びゅうっと、窓辺から風が入り込んでくる。
拓也は涼しげな表情でありながらも、アツく自説を語り出した。
「大体さ。いまはインターネットが普及しきっている社会なのに、学校でスマホがいじれないなんてナンセンスなんだよ。なんだって日本人は、偉くもない教師を神様みたいにたてまつってるんだろうね。俺も、いまだにそれが理解できないんだ」
マサオは拓也の熱弁を聞いて、ついにんまりとしてしまう。
「へへっ。おじさんもそうだったんだね」
「当たり前だよ」
「あははは。やっぱり、おじさんと話ができてよかったよ」
マサオはそう言って、さらに拓也に質問をした。
「ねえ、おじさん。これからの時代、どうやったらおじさんみたいなお金持ちになれるの?」
その言葉を聞いた途端、拓也の表情は一変した。
「金持ちに?」
「うん」
拓也は、急にくもった表情になり出す。
「どうしたの?」
マサオはなれなれしく、拓也にそう聞いた。
すると彼は、にこりと微笑みながらも、自分の思った本音を少年にぶつける。
「くだらない質問だなぁ。キミ、本当に俺の本を読んでくれたの?」
「え……?」
マサオは、返答に困ってしまった。
拓也はマサオの返答を待つことなく、話を続ける。
「金持ちになる方法だったら、あの自伝の中でハッキリと書かれてあるよ。わからなかった?」
そう言われて、あんなに調子よく笑っていたマサオの頬が、急にこわばってしまった。
「え、えーっと……その……」
彼のおぼつかない返事を聞いて、拓也は深くため息をついた。
「もう一遍、俺の自伝を読み直すことだね」
彼のその言葉が、マサオの胸に重くのしかかった。
そして、少年はついうつむき顔になり、その小さな口から、「ごめんなさい……」とつぶやくのだった。
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