不良少年と自伝図書館

岡本ジュンイチ

1

(すごい! すごすぎる!)

 平日の人通りが少ない自伝図書館のなかで、少年は心の奥からそう思った。

 彼の名は、マサオ。いまは登校拒否している真っ最中の、小学2年生だ。

 マサオはろくに学校に通わずに、この広くて大きな自伝図書館のなかで、ただひたすら自伝を読んでいたのだった。

 片手には、電子辞書アプリを搭載したスマートフォンを持ち、もう片方には一冊の本を持ち、ページをめくるたびにわからない言葉を見つけては、スマホの画面とにらめっこしていた。

(すごいなぁ~。世の中には、本当にこういう人がいるんだ……)

 マサオは自伝のページを凝視して、ほれぼれとしている。

 ただ目の前にある分厚い自伝小説をグッと握りしめて、目をキラキラさせて次々と読み進めていく。

 なぜマサオが、こんなにも感激しているのか。

 理由はほかでもない。

 彼が読み進めている自伝の著者も、実は小学校時代は不登校だったからだ。

 この自伝によると、彼は登校拒否を6年間続けてきて、義務教育はすべて通信教育でやり過ごしてきたらしい。

 でも、彼自身は全然不幸な人生を歩まずに、むしろビジネスの世界で大成功を収めているのだという。

 学校で勉強しないかわりに、「社会」という名の教室で自主的に学び続けたことによって、彼はみずからの幸せをつかみ取ったのだ。

 彼は、今では地元のベンチャー企業である芸能事務所の社長になっているらしい。


 自分の好きなことをやろう。

 仕事になるまで突き詰めよう。

 きっと、あなたの人生はスリリングになるから。


 マサオは、この最後の数行を読み終えた。

 そして、不思議と心の中でわいてくる、何とも言えない興奮が暴走した。

(会いたい! この人と直接会って、話をしてみたい!)


 いつの間にか、マサオは図書館の受付窓口に並んでいた。

「はい、次の方どうぞ~」

 スリムな受付係の女性が、やさしく少年に声をかける。

 マサオは辺りを見回し、おそるおそるデスクに歩み寄っていった。

「あの……す、すみません」

「はい」

 女性の声に、マサオはつい後ずさりしてしまう。

 しかし、彼は勇気をふりしぼって、受付係にお願いをした。

「あの……ボク、この本の著者と、直接話がしたいんです」

「え?」

 女性は、ポカンとした表情で、目を丸くして少年を見つめる。

 マサオは、口調をハッキリとさせた。

「ボク、この自伝の著者と話がしたいんです!」

 まわりの音が、数秒間の沈黙に包まれた。

 係りの女性は驚いた表情で、「な、なるほど~」とつぶやき、少し待つように、とマサオに言った。

 それに対し、マサオは「お願いします」と返事する。

 自分の震える身体が、おさえきれない。

 マサオは、一冊の本で自分と同じ心境だった人に出会えて、言葉にできないほどの安心感と、妙な緊張感を同時に感じた。

 彼は、深くため息をついた。

(いくら自伝図書館でも『作者と直接会う』なんて、むずかしかったかな~)

 マサオは今さらながら、強く後悔した。

 自分は何をしでかしてしまったんだと、気が狂うほど悔やんだ。

 この気持ちをたとえて言うのなら、まるで日本一の山・富士山の山頂から飛び降りるほどのスピード感とよく似ている。

 もっとも、マサオは富士山に登った経験は皆無なのだが。

「お待たせしました」

 係員の女性が戻ってきた。

 マサオは、不意に背筋をピンと伸ばす。

 緊張したマサオの顔を見て微笑みながら、女性は彼に話した。

「ただいま作者の方にお問い合わせをしたところ、『今度の日曜日の午前中だったら大丈夫だ』とのことです。どうですか、日曜日の午前中は空いてますか?」

 数秒間ポカンとした表情になっていたマサオは、ふと我に返った。

 マサオは、女性からの問いかけに急いで応じる。

「は、はい! ぜひお願いしたいです!」

「うふふふ。かしこまりました。それでは作者の方に、そう伝えておきますね」

 マサオは喜々として、再び返事をする。

「はい! どうもありがとうございます!」

 そう言って、マサオは、自伝を係の女性に差し出し、嬉しそうに走り去っていったのだった。

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