第24話 八代美月という過去の女


 病院を退院し、久々の我が家で迎える朝。なんていう清々しさなんだろうか。やっぱり病院より自分ちの方が居心地がいいもんだ。

 そんな最高の朝なのに、なぜか俺の家の台所では豪太が朝食を作っていた。しかもフリフリのエプロン姿で。


 なんでまだ家に居るんですかねえ。



「たっくん、ご飯できましたよ。温かいうちに食べちゃいましょう」


「おう。とでも言うと思ってんのか! さっさと出てけって言っといただろ」


「わかってますよぉ。東京で暮らすって決めたから賃貸を探してる真っ最中なんです。その間はしっかり家事をしますから。

 ね、いいですよね?」



 上目遣いにおねだりポーズ。見た目だけは最高に可愛いからマジで困る。

 だが、男だ。



「しゃあねえなあ。探している間だけだぞ」


「やった。たっくんはやっぱり優しいから好き」


「うっせ。いいからさっさとご飯喰うぞ」



 食卓に並べられた料理はザ・日本の朝食って感じだ。ご飯に味噌汁、アジの開きに納豆。しっかりと刻んだ小葱が入っているところはポイント高し。

 誰が作っても同じという人がいるかもしれないが、味噌汁ほど腕で差が出る料理はないと思っている。


 正直、豪太の味噌汁はめちゃくちゃ旨い。ほんとこいつはお嫁さんにしたい要素が無駄に完璧だ。



「美味しいですか? おかわりありますよ」


「ん。頼む」



 ご飯と味噌汁をよそってもらう。

 ちゃんと受け取った時、感謝の言葉を伝えとく。



「今日はお休みですけどたっくんは予定あるんですよね?」


「ああ。ちょっと会わないといけない人がいてな」



 そう。俺は今日、八代美月と会う約束をしている。あの時送ったメールを発端に、ここまで来てしまったのだ。

 

 ちょうど朝のニュース番組の時間。いつもなら八代がお天気コーナーを担当するのに、今日は別のアナウンサーが明るく解説している。

 八代は体調不良によりお休みとなったんだ。表向きはだが。やはりプロデューサーとの熱愛報道が原因としか考えられないタイミングだ。

 

 

「八代ってアナウンサー人気だったのに他の番組でも休業なんですよね。老若男女に好かれる人でしたのに残念ですよ」


「そうなのか。そういうとこちっとも知らなかったな」



 しかし手違いとはいえ、俺が八代の相談相手を務めて解決できるような内容なのだろうか。頼れる人が俺しかいないって書いてあったけど。そこで増長するようほど俺はアホじゃねえつもりだ。



「うし、ごちそうさん。洗い物は後で俺がやっとくから残しといてくれ」


「ありがとうございます。もう行かれるんですか?」


「ああ。夜に会うより朝の方がいいと思ってな。んじゃ行ってくる」


「はーい。行ってらっしゃい」



 玄関まで見送りに来てくれた豪太は完全に新妻ポジションかってくらいに溶け込んでやがる。お願いだからはやく賃貸見つけてくれよ。

 さて、待ち合わせ場所は都内の喫茶店。俺は足早に向かうのだった。




▼  ▼  ▼





 指定された喫茶店の場所は通っていた大学の近く。学生時代によく通っていた思い出の店だ。

 扉を開ければあの頃と同じ店内が出迎えてくれる。やる気のない店主に、謎の骨董品。そうそうこれだよ。金のない俺はここで八代とよくデートしてたっけか。


 ガラガラの店内を見渡すと、まだ誰もいない。いつものコーヒーを頼み2人掛けテーブル席へ座る。

 運ばれてきたコーヒーはいつもと同じ。何の変哲もない変わらぬ味だった。


 スマホにちょうど連絡が入る。内容は明日行くデートについて。

 悩みに悩みを重ねてデートコースは念入りに考えておいた。明日は存分に楽しむつもりだ。


 でも、少し後ろめたい自分がいる。八代とこうして2人っきりであっていることを知ったら茜は烈火のごとく怒るだろうしなぁ。

 別によりを戻す気なんて欠片もないんだけどさ。


 喫茶店の扉が開かれ、息を切らして現れた八代はサングラスにマスクといういかにも芸能人ですと言わんばかりの格好だった。



「走ってきたのか? 別にまだ約束の時間まで5分あったのに」


「うん。ちょっと変な人に付きまとわれてる気がして……最近多いんだ。こういうこと」



 マスクとサングラスを外した八代は困り笑いでそう答えた。

 芸能人ならではの悩みなのかもしれないな。特に今は週刊誌ですっぱ抜かれて騒がれてる時期だし。

 

 俺と同じコーヒーを注文し、八代は息で冷ましながらちびちび飲んでいく。そういえば猫舌だったっけ。よくそれで冗談とか言ったよな。


 いかんいかん。なんだか懐かしい場所に来たせいか気持ちが懐古的になってやがる。俺は今日、相談相手としてきたんだ。気持ちを切り替えないと。



「そのさ、やっぱり今は大変な状況なのか? 週刊誌を読んだ時びっくして連絡しちまったとけどよ」


「心配してくれてありがとう。プロデューサーとはお酒を一緒に飲んでただけでホテルは行ってないよ。

 週刊誌なんて嘘ばっかり。そのせいで幸人さんともギクシャクしてて」



 もう疲れちゃった、とため息をつく。



「大変だな。休業したのもそのせいか」


「うん。それもあるけど疲れちゃったのが一番の理由かな。

 やっぱりここは居心地がいいね。こうして孝之くんと向かい合ってると昔を思い出すよ」


「……別にいい思い出ばっかじゃねえけどな。だって――」


「――別れ話もここだったから、って言いたいんだよね。

 孝之くんはまだあの時のこと引きずっててくれてるんだ。嬉しいなあ」


「なにが嬉しいんだよ。意味が分からんぞ」



 八代の中では思い出として美化でもされてるんだろうか。ニコニコ笑って、俺の下の名前を変わらず呼んで。

 俺はずっと八代の心の奥底を1ミリも理解できてないのかもしれない。



「私はね、ずっと孝之くんが好きだったよ。別の男に愛をささやかれてる時やベットを一緒にしている時でも。考えることはいつも孝之くんのこと。

 今だって本当に愛しているのは、貴方だけだから」



 その黒の瞳は揺れることなく真っすぐと見つめてくる。真剣な顔をして理解不能なことをいう八代を俺は振り払うことはできなかった。

 

 

 

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三十路童貞婚活物語 まずかっちゃん @mofmofz

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