第3話 降臨
カルディナ王国、某所。
今年で13歳になる伯爵家の令嬢、私、ユークレシア・クラウディウス・エイルドレイクはお父様の命令により馬車に乗ったわ。知らない中年男性が座っていたんだけど、私が知らない護衛の人か何かなのはきっとお父様の古い癖が現れたせいなのだと思うの。優しそうなその中年男性は私に名前を教えることもなくまるで執事か何かのように洗練された動作で私の手を握ってエスコートしてくれたわ。
お父様から私に名前を教えてくれたことになっているのかしら。それなら納得だわ。杜撰な仕事はお父様の十八番なんだもの。
彼は貴族にしては頭の回るほうではなかったのよ。名誉も誇りもよくわからなくて、受動的におじいさまのいいなりになるだけだったんだから。けどお父様は私のためならなんだってしてくれるの。
私は欲深い女にはなれなくて、庭で裸足のまま歩いて回りたいと思ったら許してくれたりするわ。裸足で鬼ごっこをするととっても幸せな気持ちに成れるの。皆もそうするといいんだけど、貴族以外はそんな余裕もないんでしょうね。知っているわ。領民たちは貧乏ではないけれど、毎日仕事をして祈りをささげるだけの生活をしているの。
子供でも例外にはなれないわ。幸いここ百年、飢饉や流行り病なんてことはなかったけれど、子は生まれたら放置され、6歳になるのもまれだと聞くわ。そして成人になれるのは十人のうち一人か二人。
最近は戦争が起きそうで、物騒な話もたくさん聞くけど、病で死んだ人間の数はその数十倍に及ぶわ。
だから私も戦争より病のことが気がかりな年ごろなの。この歳にかかる病には下手すると一生不細工な顔になったり目が見えなくなる熱病なんかがあるんだもの。
けど幸せな気持ちを満喫するのを一度も忘れたことなんてなかったわ。ああ、なんて生きるって素晴らしいのかしら。お花さんはいつ見ても綺麗で、歌を歌うと天にも昇る気持ちだわ。
今日はどんな驚きが私を待っているのかしら。この御者さんと護衛さんは前見たお花畑に連れて行ってくれるのかしら。
滅多にないサプライズなんだもの。きっと素敵な場所に違いないわ。けどなぜかしら、胸騒ぎがするの。怖いの?なんで?私は、私は今まで何かに強い恐怖なんて感じたことはなかったわ。
なのに今回は違うの。何か、私の内側から込みあがってくるの。赤い、とても赤い感情。
これは何ていう気持ちなのかしら。
「目隠しをしよう、お嬢さん。驚きというスパイスのためなら、人生の一幕に目が見えない瞬間があっても、それは後に甘美な快楽となってくるでしょうから。さぁ。」
「別にいらないんですけれど。あなたは護衛さんではないのかしら。」
「私は君を新たな世界へ誘うもの。君が踏み入るところには冷たくおぞましい闇があるかもしれない。しかし眩しい光より心地よい音色を奏でるかもしれない。経験したことのなかったものにはきっと優しくも残酷な誤算がひそめているでしょう。」
「なぞかけのようだわ。何か意味のある言葉なのかしら。」
「はて、言葉を交わすことも大事ですが」彼は私の目の周りを黒い布を巻いたわ。許可をした覚えはないのだけれど、どうせ馬車の中から何か別段不思議な景色が見えるわけでもなし。
これが死に繋ぐ道だとして、この世に生まれた時点から死は常に付きそうもの。だから瞬間を、刹那を楽しむのが大事なのだわ。
馬車に揺られること数時間。お手洗いに行きたくなったりして途中で止まった時に済ませたりしたけど、侍女じゃなく私の目を隠した中年男性が世話をしてくれたの。恥ずかしかったけど、多分お父様が信頼する人物なのでしょう。
違ったとしたら私の命はないのと当然。なら恥をかくことに何のためらいがあると言うのでしょう。
そしてやっとたどり着いた場所には目隠しをしなくてもわかるほど暗く澱んど空気が流れていて、あちらこちらから炎とネズミの音がしましたわ。
「ここはどこですの?」聞いてみたところで、執事風の中年男性が答えたわ。
「ここは世界の果て。すべてが費えるその時に輝く赤き炎を照らす場所。」
「もっとわかりやすい言葉で説明して欲しいわ。」
「ああ、きっと今夜は綺麗な赤い花が咲くでしょう。」前から別の声が聞こえたわ。今度は誰なのかしら。歳を取った、気品のある女性の声のように聞こえたわ。
「だからここはどこですの?見たことのない場所ですわ。劇場かしら。」私は自分で目隠しを外して周りを見渡したわ。どこか雰囲気が似てる場所を知ってるわ。円形劇場の地下通路。お母様と一緒に演者たちを見てサインをもらいに来た時に訪れた劇場の地下ととっても似ているの。
舞台裏の劇団員は衣装を脱いで裸だったり、化粧を落として素顔になってたりしてちょっと恥ずかしかったことを今でも鮮明に覚えているわ。
「お茶目なお嬢様だこと。大人しくしていれば最後まで自分の身にかかるものが何なのかなんて想像しながら夢のような心地でいられたことを。」女性が私に言ったわ。私はずっと馬車の中で一緒にいた男性に手を引かれて通路を歩いていたの。
「もしかしなくても違うということなのかしら。」
「見た目より賢いわね。あなたみたいな年齢の子がどこまで賢いか、忘れたつもりもないんだけど。エイルドレイク家の娘であってるわよね?」
「ええ、彼女は極上の少女。きっと我らが主様も喜んでくれるに違いありません。」
「ならいいわ。」
極上の少女?何を言っているの?私はどこの貴族にでもいる普通の貴族娘に過ぎないわよ。女だからこそやれることを学び、家を男とは違う形で支える方法を教えてもらい、懸命に学び、いろんなものと向き合う。それでいて幸せを追い求めるのもやめたりはしないわ。
淑女としての嗜みだもの。
私たちはしばらく無言のまま歩いて、ああ、やっぱりここは円形劇場で、主役は私だったようね。
もしかしてお父様はいかがわしい儀式にでも私を参加させるつもりなのかしら。私はまだ処女で、きっと薄暗い貴族や聖職者たちの欲望を満足させる劇を上演するにぴったりだからとここに来てもらったんだわ。
ランプの光はどんよりとしていてまだ暗く、辺りが少し見通せる程度で、私の目にはすべてを見通すことなんてできなかった。
「さぁ、我らの主様が待っております。」舞台の上には黒い髑髏の仮面を被った男が鷹揚でありながらな憮然とした態度で私を迎えた。
「主賓がここに。儀式の火がともる。」男が喋る。よく通る声で、劇場の座席に座ってる人達に向かって声をかけるかのよう。
「「「赤き花が咲く。」」」四方八方から聞こえる声に背筋がぞわっとする。
「少女をここに。」
私と手を繋いでいて男が真ん中にある祭壇のような場所まで私を引っ張る。私は恐怖と言うか、不安に駆られ抵抗するも男の力は想像したより強かった。
服を脱がされた後に祭壇の上に寝かされる。こんなに大勢の人の前に裸にならなきゃいけなかったのね。どういう儀式なのかしら。私は別に恐怖を感じていないわけではないの。ただ恐怖を感じたところで何もできないことを知っているから傍観者になることにしたの。
何かの原因で処刑される人間もきっと私と同じ目をしていたのでしょう。
ああ、これは、バカでないなら誰だってこの後どうなるかわかるだろう。
髑髏の仮面を被った男が懐から光る何かを取り出す。それは人を殺めるにたりえるもの。私に死をもたらしてくれるもの。
死とは解放なのだろうか。生の苦しみ、繰り返される強迫観念から逃れるための手段の一つとして人が手に取れるような選択肢なのだろうか。
そういう、どこかの本で読んだ言葉が脳裏をよぎる。体は祭壇の石がもたらす冷たさのせいなのか、この場がもたらす異様な空気のせいなのか、まるで生まれたての小鹿のように震えている。
涙をこぼしたりはしない。不条理な死に方だって、貴族の未来にはあり得るもの。群衆でもいたら泣き叫んだかもしれないが、ここにいるのは誰だか知らない、まるで堕落してしまったかのような、貴族と聖職者の集まりなのであろう。
逃げ場もなく、見方もない。ほんの数時間前まで、私は家の中で夢想をしたり刺繡をしたり本を読んでいたわ。
なのにこうなるって、おかしいんじゃないかしら。
「無垢な存在の死を持って、血の女王は現われるだろう。無垢な少女の血を持って、憎悪の悪魔は夢から覚めるだろう。」
謎の呪文が男の声から発せられる。やっぱり殺されるのね。どこか幻のような風景で、現実感がない。けど現実はいつだってそういうものじゃなかったかしら。私が見ているのが、見てきたのが現実だったか幻だったか、証明する手段なんてないんだもの。
だから我思う、ゆえに我あり。
「少女の悪夢を通して、地上に君臨するだろう。慈悲なる悪魔よ、赤い炎の化身よ、ここがあなたのいるべき場所です、さあ。」
彼女が選ばれたのは偶然でもなんでもなかった。今時の貴族の娘は社交界を開いてはちょっとでも眉目秀麗な貴族の男を見れば股を開く。
それはこの国が裕福だからとか、貴族たちが奔放に過ごしても問題ないからだとかと言った理由ではなく、単純に戦争が近くなると真っ先に前線に駆り出されるのが貴族で、結果そういう雰囲気になってしまっただけであったが、ユークレシアはそういった雰囲気の中、家から出ようとせず、パーティーを開くこともなかった。
だから彼女は選ばれた。戦争に駆り出されたくない父が、長男と自分の徴兵を拒否する手段として娘を差し出した。彼ら彼女らはカルト教団のような、悪魔崇拝を平然とやってる集団ではあったが、同時に中央にいる権力者たちでもあったのだ。
ここに王の弟がいて、それが髑髏の画面を被っていたことはこの場にいる誰しもわかってることだった。
裸にひん剥かれて、なまめかしい肌をさらしている。艶やかな金髪に紫色の瞳。膨らみ始めた胸は扇情的というより神話の一節を描いた絵画のよう。
そして黒い仮面の男の短剣が無垢な少女の胸に刺さる。
少女の悲鳴が木霊するも、誰も目を背けたりはしない。まるで予定調和のように誰しもが受け入れている。
だがそれも一瞬、血の代わりに炎が吹き上がる。赤い炎が、天井を貫き薄暗い地下を赤く染める。
集まった人たちはその眩しさに感動して両手を組み祈りをささげる人、涙を流す人、叫び始める人、様々な反応をするも共通点があった。彼ら彼女らは確信していた。自分たちが救われることを。自分たちにこの後待ってるのが絶望でないことを。
少女の血が床に刻まれた魔法陣に流れる。それは複雑な丸い円を中心として四方に広がる複雑な幾何学模様をしていて、どの国でも使われたない文字がかかれていた。
「陰湿なところね。悪魔崇拝なんて、こんなところじゃないとできないのかしら。」しかし場違いな明るい声が聞こえてきた途端、熱気に包まれた劇場は冷水を浴びせたかのように静まり返る。そう、それは殺されたはずの少女の口から漏れだした声。
死んだはずの少女が、恐怖に身をすくみ何もできない、無力だった少女がまるで自分の血で編み込んだかの如く深い赤色のドレスをまとい、祭壇から降りて喋ったのだ。
まるで真夏の湖面に沈む夕日のような金色だった髪は真っ白に染まって、紫色の瞳は深い闇を内包していた。
「あ、あなたは…。」仮面の男が思わず少女に手を伸ばすも
「気安く触らないでくれるかしら。」
少女が軽く指を振ると男の腕があらぬ方向に捻じ曲がる。
「ぐ、がああぁああ!」
その光景を見て観客たちは一斉にあたまを下げたが
「生きて返すわけないでしょ?無垢な女の子に群がって、目的のための手段にしようとした。そして貴様たちはそれを見て見ぬふりをした。全員ギルティ、死刑。」
誰も口を開くことができない。少女の声には逆らえることが許されない重圧があった。しかしそれだけが少女が今出せる力の全てではないのは明白。
少女が指を鳴らすとその場にいる全員が念動力により押さえつけられた。そしてゆっくりと力が加わる。
「い、痛い!」
「やめて!やめてくれ!」
「俺たちはあなた様の僕です!どうか、どうかお慈悲を!」
「主様!」
「主様、どうかお許しを!」
「ふふ、私が書いた話、全部信じているのね。」そう、彼女は地獄にいた頃から物語を書いてそれを地上に、この世界にばらまいた。それは、真の意味で生の苦しみから人間を救えるのは神ではなく悪魔であり、そのために必要な手順やらなにやらを事細かく説明していたのである。
「私はあなたたちを利用しただけよ。」観客に、いや、観客だけではなくこの場に少女を連れてきた中年男性と、ここの到着して一緒に通路を歩いた女性もまるで縫い付けられたかのように床にへばりついて動けないでいる。
力は徐々に強まり、骨が軋む音が反響する。
「そ、そんな。」
「う、嘘だ!」
「悪魔!」
「そう、私は悪魔なのよ。あなたもわかるでしょ?ユークレシアちゃん?」ユークレシアが、少女が生唾を飲んで喉を鳴らす。彼女は自分の身に何が起きたのかわかってない様子。当たり前である。死んだと思ったら自分の体が膨大な力を持つ何者かの依代になってしまったんだから。
あっちこっちから悲鳴が上がり始める。
圧縮された体は壊れてからつぶされて、やがてもともとの形状が何だったのかわからないくらいになってしまう。
この場に少女以外生きている人間の呼吸の音が聞こえなくなった時、少女が指をくるりと回すとすべての死体から血が集まり、
「えいっ。」指を地面の方に向かわせるとその血はまた別の魔法陣を描き始めた。
そして今度は青い炎が立ち上る。
「一つの文明が安定した状態で長くの間その形を保ち続けすぎると、やがては堕落に向かう。どこの世にもそれは同じのようだ。」現れたのは白い髑髏の仮面を被った男。
王の弟を依代に選んだようで、彼と同じ声をして、同じ体格である。
「そうね、ここから出ましょ。ちなみにこの体の主、あなたと違ってまだ生きているから。」
「趣味が悪い。」
「ふふ。」
少女の幸せをかみしめるかのような、それでいて簡潔に感情を圧縮した短い笑みが暗い劇場の中で短く響いた。
悪魔令嬢は世界を赤に染める @Lopi
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