おたよりついた

山田沙夜

第1話

 今日の晩めし、かっちゃんと食べるから、よろしく。

 あ、たぶん飲みもね。


 ダンナのありがたい通告に、わたしは「はーい」と返事をする。さっそくみきこさんへメールする。

 晩ごはん、どこかへ食べに行かない?


 トイレへ行き、コーヒーを飲み、掃除機をかけて、もう一杯コーヒーを飲んだ。

 卓球のレシーブのごとくのみきこさんの返信が……こない。スマホはマナーモードにはなっていないし、メールの受信音量もマックス手前の大きさだ。

 みきこさん、なにがあった? というか、こういう日もありだよね。自分をなだめる。

 

 軽くストレッチ。スマホをキッチンへ置き、タイマーを五〇分にセットする。それから仕事場机の前へすわった。

 娘たちが使ってきた学習机をふたつ並べて、仕事場。

 タイマーが鳴ったら十五分休憩、また五〇分タイマーをセット、を繰りかえす。わざわざキッチンまで動けば、ついでに休憩をとる気にもなる。

 まず、赤えんぴつをナイフで削る。えんぴつの先はトキントキンじゃなく、少し丸くしておく。

 小学三年生の通信教育添削をしている。一年生から六年間おなじ子どもたちを担当していく。その子たちが六年生になって卒業すると、また一年生の担当になって、六年生までいっしょに学んでいく……というのがわたしが仕事をもらっている塾のシステムなのだけれど、この仕事をはじめて二〇年、一年生から六年生までおなじ子どもたちを担当できたことはなかった。とくに数年前からは、たとえば三年生を担当していると、三年生というくくりで回答プリントがドーンと送られてくる。回答の採点とちょっとした添削をして送り返す。

 締め切りというか納期間近に追加があったりして、「残業」が続いたりするが、プリントの絶対数は減り続けていると思う。うちの塾だけなのか、他社のことはわからない。うちの塾はローカルだから、それなりに厳しいのかもしれない。

 そろそろ定年だね、と感じるこの頃だ。世間的にもそういう年齢だし。タブレットやPCでこの仕事はしたくない。

 赤えんぴつで、プリントの向こうにいる子どもたちと幼いころの娘たちを重ねながら、プリントの端っこにひとことだけ書くおたよりが楽しみだから。ときどき子どもたちからもおたよりがあって、それはそれはとても楽しみだ。

 来年はわたしの昭和の年数が平成と同じになって、再来年は平成が一年多くなる。定年感増し増しだ。いくら世間が定年延長といってもね。


 イエデンが鳴った。留守電が応答して切れた。五秒もたたずにまた鳴り、また留守電が応答する。

『あこさん、いるんでしょ。いるよね! わたしです。電話に出てよ!』

 わたしって、誰だ?

 仕事への集中力が切れて、のそのそ電話へ出ようとしたら、ピーと鳴って留守電が終わった。両手を腰にあてて、電話を見下ろす。

 声はみきこさんでは、絶対にない。

 イエデンにかけてきそうな人を思い浮かべようとしても、思考はただいま停止中だ。

 またかかってくるサ。

 そして、かかってきた。

『わたし? みはるです。み・は・る。ねえねえ、わたし、スマホを買っちゃった。一番新しくて、大きいほうのやつ。使い方を教えてよ。どうしたら電話がつながるの? というか、どうしたらテレビのCMみたいな画面になるの?』

 いきなりスマホって、どういうこと? なにがあったの?

 みはるさんはパソコンも使ったことがないだけじゃなく、必要ない! と全否定してきたのに。

 まじか。

 なんで、ガラケーとか簡単なスマホとかにしないかな、一番新しいのじゃなくてさ。

 電話の向こうで必死に説明するみはるさんの喚き声を左から右へ通過させながら、どうしてそうなった、と道端の石をひっくり返すように考えた。みはるさん、うるさいよ、ちょっと黙っててよと声なき声を閉じこめる。

 もしかしたら……

「それ、どこで買ったの? どこにあるお店?」

『栄だよ。松坂屋のお向かいのお店』

 やっぱり……きっとわたしは遠い目をしている。そこで一番新しくて大きいほうのスマホを買ったんだ……

「お店の人の説明、ちゃんと聞いた? わかんないことはちゃんと質問した?」

『いっぱい説明してくれたけど、わけわかんなくて、あとからあこさんか誰かに聞けばいいと思って、はいはいと返事しといた。

 息子にも、主人にも、パソコンは絶対触るな、携帯は持つな、ってまた言われちゃって、なんか悔しくてさ。買った者勝ちだと思ったんだ。

 スマホを買うって言うと、息子も主人も反対するに決まってるから、ひとりでお店に行ったんだよ。勇気あるねって誉めてほしいわ。

 店員さんがすっごく優しくて親切で丁寧に説明してくれたから、嬉しかったな』

 どれだけ優しく親切に丁寧に説明してくれたとしても、聞く耳がないんじゃしょうがない、とツッコミをいれたいのを、グッと我慢した。

 みはるさんの、ご主人がトイレに立ったすきにパソコンのキーをテキトーに触って、二時間かけた書類をきれいさっぱり無かったことにしたとか、息子氏のデスクトップがつけっぱなしになっていたのを、電気がもったいないとコンセントを抜いて、アップデートを中断させたとか、などなどなどなどの前科を本人の口から聞いてきた。

 ふたりして怒るんだよう、とちょっと嬉しそうに自慢げに話すのだから、パソコン接近禁止令が発令されるのはやむおえない。

 みはるさんとはコーヒーを飲む程度の仲のままでいよう、と決心を強くした。

「ちょっと、ちょっと聞いて。みはるさん、聞いてってば。いまの話はわたしでは手に負えないからね。だからね、息子さんかご主人に正直に話して、どうするのがいいか相談したほうがいいよ。絶対、相談するべき。相談しなきゃ、ダメ」

 うーん、とみはるさんは不満そうに鼻を鳴らして、無言のままガチャンと電話を切った。もう絶交したい。


 いったい何分、電話の前で正座していたのだろう。茫然自失の体感だ。

 電話が、また鳴った。知らんふりをしていたら、留守電が応答して、ファックスを受信中と知らせてくる。

 ファックス!

 前回使ったのはいつだったろう。あわててA4用紙を入れ、正座したまま印刷されたファックスが出てくるのを待つ。

 印刷がまだら模様になってる。

 なんとか読めないかと眼をこらすと、発信者がみきこさんだというのがかろうじてわかった。本文は、5ミリのボールペンででも書いたのだろうか、かすれて、途切れている。内容を想像しようにもできないほどだ。

 ファックス本体をのぞいてみたら、インクリボンが終わっていた。リボンを交換して、もう一度送信してほしい、とファックスした。今日の晩ごはんどこかへ食べにいかない? と書きそえて。


 格安シムに変えて、設定に手こずっている。番号はポータルしたけど、メールはOutlookでよろしく。今晩OK 十七時に金時計でどう?


 十七時金時計OK


 ファックス通信を無事終えて、ほっとした。なに食べようかと名古屋駅界隈の店を思い浮かべる。

 電話をかけるよりも、ファックスを使うなんて。なぜだ。謎だ。


 土曜日。みはるさんからファックスが届いた。

 みはるさんの最新スマホと息子氏のスマホを交換するという条件で、息子氏同伴でキャリアショップへ行ってきたことと、スマホの電話番号とe-mailアドレスを太めのマジックかなにかで書いてあった。

 ため息しかない。

 

追伸

トキントキンってなに? 知らない。それ名古屋弁じゃないの。

と関西人に指摘された。

トキントキン

先を尖らせること。先が尖っていること。

尖らせたえんぴつ、尖らせたえんぴつの先など。


noteより転載(2018/10/25擱筆)

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おたよりついた 山田沙夜 @yamadasayo

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