夢語り
池田屋事件から四年後の慶応四(一八六八)年五月、沖田は江戸の千駄ヶ谷にある植木屋の家にいた。「
「刀」から「鉄砲」の時代へ。かつて栄光の道のりをともに歩んできた彼の仲間たちは、各地で転戦を繰り返していた。大将・
「京へでもどこへでもついていくんで、覚悟しておいてくださいね」
かつて、土方にそう語った沖田は、複雑な思いを抱えていた。一人江戸に残された今となっては、近藤や土方、他の隊士たちの安否を知る由もない。
昼下がり、植木屋の家主が剪定している様子を眺めているうちに、彼は布団の上でまどろんでいた。
「いいところだな。手入れが行き届いている」
近づいてくる足音。そして、聞き覚えのある声……沖田は目を明けた。まもなく視界に入った姿を前に、彼はしばらく言葉を失っていた。
「……土方さん?!」
「おう。悪いな、起こしちまって」
「構わないですよ。せっかく会いに来てくれたのに、すみません。こんなところ見せちゃって」
沖田は慌てて起き上がろうとしたが、体が思うように動かない。土方に支えられ、ようやく起き上がることが出来た。
「その服装、相変わらずなんですね。前にも見たのに、まだ見慣れないや」
「刀の時代は終わった。悔しいが、外国からの武器を駆使してくる奴らに対抗するには、これしかないんだ。たかが服装……だが、動きやすいことにはかわりねぇからな」
沖田は辺りをゆっくり見まわす。
「そういえば、先生は? 他の皆も、元気でいるかな」
洋装に身を包んだ土方は、懐中時計で時間を確かめてからまじめくさった様子で話を切り出した。
「あまり時間もない。お前にどうしても伝えたいことがあって、ここへ来た」
「伝えたいこと?」
二人の間に何とも言えない緊張感が走る。沖田はごくりと唾をのんだ。
「俺はこれから北へ行く。お前も病気を治して必ず来い」
まっすぐな目でそう言う土方に対し、沖田は乾いた笑いを浮かべる。
「何を言っているんですか……必ず、だなんて。土方さんだって、分かっているんでしょう? 私はもう……」
沖田の言葉を遮るように、土方は言葉を続けた。
「江戸を出て、まずは会津を目指す。会津の次は仙台、仙台が駄目なら……
「……はい」
沖田は声を震わせた。目から大粒の涙がこぼれる。
土方はその様子を頷くようにして見た後、
「待っている」
そう言い残し、沖田の元を離れていった。
「あれ? 今のは……」
気が付くと、沖田は布団の上で横になっていた。
「夢、か……ははは、土方さんがここに来るわけないか」
庭の方から「パチパチ」という焚火の音ともに、「ニャー」という猫の鳴き声がする。
「黒猫か……」
彼は、枕元に置いてあった刀を手に持った。鞘の先を地面に押し当てながら、縁側からゆっくり下りる。
ガラス玉のような黄色い二つの目は、こちらの方を黙って見つめていた。
沖田は刀の鞘をその場に捨て、黒猫に切りかかろうとするが、思うように狙いが定まらない。
黒猫は、なおもこちらを見つめていた。
もう一度切りかかろうとするが、ついに握っていた刀が手から離れる。刀の落ちた音に驚いた黒猫は、どこかへ逃げて行ってしまった。
「……だめだ、斬れない。猫にまで見通されているようじゃ、な」
庭に転がり、ふと目を閉じる。
彼の脳裏に浮かぶのは、かつて土方と語り合った夢。
沖田はゆっくり起き上がった。庭の焚火には先ほど家主が剪定していた枝や葉がわずかに残っていた。懐にしまっていた紙を焚火の中へ放り込む。
『差し向かう 心は清き 水鏡』
「パチパチ」と、音を立てて燃えるさまをその目で見届ける。そして、「お前も来い」という土方の言葉を頭の中で
『動かねば 闇にへだつや 花と水』
「この身が滅びようとも、魂だけは……」
その数日後、沖田は一人静かにその生涯を終えた。
(了)
水鏡 櫻井 理人 @Licht_S
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