第41話 風の囁き

 小高い丘の上。


 平日の午後。住宅街に設置されている児童公園には散策する人すらいない。

 その児童公園は小高くなっている丘の上にあった。そして、公園の眼下にあるテニスコートが一望できていた。

 テニスコートには部活なのだろうか、付近の中学校の生徒たちがラケットを振るっていた。

 そんな学生たちをクーカはベンチに座ってぼんやりと眺めていた。


「ここに居たのか…… 探したよ……」


 クーカがチョコンと座るベンチの隣に先島が腰を掛けて来た。


「……」


 クーカは先島がやって来た事に関心が無いようだ。気が付いて無いかのように無言でコートを眺めている。

 眼下に見えるテニスコートからは、テニスボールを撃ち返す音が響いて来た。それに交じって仲間を応援する声もする。

 それは平和な日本を満喫するどこにでもある風景だ。


「俺にもあんな時代があったな……」


 生徒たちの上げる嬌声を聞きながら先島がポツリと言う感じで言った。


「周りに居る大人は全部自分の味方だと信じていたもんさ」


 そんな学生たちを見ながら、先島がおもむろに口を開いた。


「無心に部活に打ち込んで、家に帰ってからは勉強そっちのけでゲームばかりやっていたっけ……」


 もちろん人間関係の煩わしさもあったが、大人となって足枷だらけになった今とは雲泥の差だ。


「……」


 クーカは先島の話に関心が無いのか無言のままだった。



 二人が見つめるコートの中に、一人の女子生徒が歩み出て来た。どうやら打球を受ける練習を行うようだ。

 それを見ていた先島がおもむろに口を開いた。


「彼女の名前は親谷野々花(おやたにののは)。年齢は14歳の中学生……」

「成績は中くらいで友人は多数。 勉強は大嫌いだがスポーツは大好き」

「まあ、どこにでも居る平均的な女の子だな」


 少女は無心にボールを追いかけている。そんな彼女を友人たちが声を上げて応援していた。


「しかし、彼女は小さな頃に今のご両親の養女となっている……」


 その少女を見ながら先島が書類を読むかのように言い続けた。


「……」


 クーカは黙ったままだった。



「元の名前は榊原野々花(さかきばらののは)」



「……」


 クーカの目がすぅーと動いた。それと同時に右手が背中に回っていった。


「お前の生き別れの妹なんだな…… 日本に来たのは彼女と自分の関係を消す為……」


 クーカの一家は全員で渡航する予定だったのだが、旅行会社の手違いで野々花の席だけ手配されていなかった。そこで祖父母が翌日に追いかける形で野々花と渡航する事になったのだ。

 しかし、そこで運命の歯車は狂った。野々花が到着した時には一家は誘拐された後で、途方に暮れた祖父母は傷心のまま帰国。その後、幼い野々花を残して相次いで亡くなってしまった。

 両親も居らず祖父母もいなくなり天涯孤独となった野々花は施設に預けられた。その後、子供が居ない親谷家に養子として迎えられていた。

 野々花は優しい養父母に恵まれてスクスクと育っていたのだった。


「……」


 クーカの目が冷たく光った。先島が越えてはならない一線を越えたのは間違いなさそうだ。


「ファイルを消去した後には違うファイルで上書きするべきだ…… そうしないと簡単に復元出来てしまう」


 ピリリとした殺意がクーカの全身から漂い始める。


「心配するな…… 知っているのは俺一人だ。 そして、誰にも話す気は無い」


 そんな事を気にする風でも無く先島が言った。


「……」


 クーカから殺意の気配が消えうせた。小さくため息を漏らしたような気がした。


「榊原美優菜と榊原野々花との関連を示す情報は全て消去しておいた。 もう誰も彼女に辿り着くことは出来ないよ」


 情報の隠ぺい工作は先島の得意とする所だ。ここに来る前に事務所に寄って思いつくファイルを全て処分してきたようだ。

 カチッと何かが仕舞われる音が聞こえた。それはクーカが近接戦闘で好んで使うククルナイフであろうと想像は付いた。


「………… ありがとう …………」


 クーカの目から光が消えて、再びテニスに興じる少女を追いかけ始めた。

 先島は自分には嘘を付かない。そういう確信がクーカの中にはあった。


 『愛する人を喪失した絶望感』


 決して満たされる事の無い心の隙間。それを埋める術を知らない人間同士だ。

 きっと、同じような匂いを先島から受けたのかもしれない。

 クーカと先島はお互いの切ない孤独に共鳴しているのだ。


「あの娘はこれから友達を沢山作って、恋も一杯して、そしていつか結婚して子供たちに囲まれて静かに暮らす」


 クーカは目を細めて『妹』の姿を見ていた。


「そんな平凡な人生を送っていくの……」


 打球を撃ち返せずに悔しがる妹。その妹を励ます友人たち。微笑ましい光景だ。


「どれも…… お前には手の届かないものだな」


 そんな様子を見ながら先島が言った。 


「人は平凡なんかつまらないと言うけど、私から見れば眩しいくらいに羨ましいわ……」


 実の姉が生存している事を知らない『妹』は、周りに居る友人たちと屈託なく笑っている。


「彼女は私とは違う人生を送っていって欲しい。 それが私の残された願い…… 誰にも邪魔はさせないわ」


 きっと何事も無ければ、妹の隣で共に光り輝いていたであろう自分の青春に思いを馳せていた。


「……お前はそれで良いのか?」


 先島が尋ねた。


「物心付いてから今までに覚えたのは、人の殺し方と獲物を追い詰めるコツだけよ……」


 クーカは口元に薄い笑いを浮かべがら言った。自分の人生にあるのは硝煙と血の匂いだけだ。今、居なくなっても誰も気に留めないし振り返られもしない。


「……今更、どうにもならないわ」


 きっと、どこか遠い国の知らない街の路地裏で、ひっそりと始末されるのが運命なのだと悟っている。風に吹かれると消えてしまう煙のようなものだ。


「俺たちなら違う人生を送れるように手配できる」


 俺たちとは先島が所属する組織の事だ。


「表の世界に戻ってこないか? このまま暗闇の中をいくら走っても何も見えないままだぞ……」


 先島は彼女をスカウトしようとしていた。殺し屋になるしかなかった不遇の人生を思いやっている訳ではない。

 何とかして絶望の中で足掻いている少女を救いたかったのかもしれない。


「……」


 だが、クーカは答えなかった。

 世界中の軍や諜報機関・暴力組織を敵に回して、彼女はたった独りで闘い続けている。

 それは家族の亡骸を弔う闘い。それだけが彼女が存在する理由だからだ。

 しかし、先島の目には泣き虫の少女が映っているだけだった。


「陽の光に照らされても、身体に滲み付いた血の匂いが消える事は無いわ……」

「貴方なら良く知ってる事でしょ?」


 クーカは妹の姿を追いながらつぶやいた。


「……」


 思い当たる事のある先島は返答に詰まってしまった。


「やはり…… 行くのか…………」


 その先島からやっと出て来た言葉だ。


「……」


 クーカは先島の問いかけには答えなかった。きっと、彼女の孤独な闘いは終わっていないのだろう。


「いつでも、帰って来て良いんだぞ……」


 元々、先島もクーカの答えは期待していない。二人は黙ってコートに目を向けていた。

 二人の間に流れる無言の時間。ボールを撃ち返す音だけが響いて来る。

 先島がふと空を見上げると小鳥が空を飛んでいくのが見えた。空の高さは無限にあるのだと信じているように高く昇っていく。

 もうすぐ夏が始まる。

 そんな予感を思い起こさせる青空だ。


「……」


 先島がコートに目線を戻すと、隣に居たクーカの気配が消えていた。

 先島はクーカが行ってしまったのだと悟った。

 そんな先島の髪を初夏の風が撫でて行く。


『人は風にならなれるんだよ』


 いつかクーカが口にした言葉だ。彼女は風になれたんだろうかと先島は考えた。

 先島からひとつため息が出て来る。自分もそうであるように、クーカの孤独に終わりが無いのを知っているからだ。


 見下ろしていたコートの生徒たちはいつの間にかいなくなっていた。きっと帰宅したのだろう。

 無人のコートには、忘れ去られたらしいテニスボールが転がっていた。


「また…… 寂しくなるな……」


 先島はテニスボールを見ながら独り言をつぶやいた。


『すぐに慣れるわ……』


 クーカの声が聞こえたような気がした。

 先島は思わず立ち上がって周りを見渡したが誰もいない。

 無人の公園を風が通り過ぎていくだけだ。


 聞こえたのは風の囁きなのだと、先島は思う事にしたのだった。


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NAMED QUCA ~死神が愛した娘 百舌巌 @mosgen

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