18 橘(END)

 逮捕された佐野は、自分の罪をすべて自白した。

 なぜそうしたのか、どうやってそれを成したのか。時系列通りに淡々と話し続ける様は、まるでプログラムされているロボットを見ているようで薄気味悪かったと、取り調べに当たった刑事達が話していた。


(罪を全て喰らわれたせいか……)


 そのせいで佐野からは、自我や感情といったものが失われていたのかもしれない。

 佐野の自白で世間は爆弾を落とされたかのような大騒ぎになった。

 今まで事故だと思われていた幾つもの死が掘り起こされ、次々に殺人だと認定されていく。その被害者が十人を軽く越えていたために騒ぎはなかなか収まりそうもなかった。

 そんな中、佐野が死亡した。

 留置所内で就寝中に心不全を起こしたのだ。

 生命力が枯渇したのだろう。罪の全てを自白するまで佐野の命が保ったことに関しては神に感謝した。

 佐野の死はやはり世間に衝撃を与え、取り調べや留置所内での対応は適切だったのかと、ひとしきり取り沙汰された。

 同時に、児童福祉に関する組織や法律の見直しを求める声がよく聞かれるようになる。

 佐野が犯罪に走った要因が、親からの虐待による心の傷にあったからだ。そして、犠牲者となった女性達の生涯がマスコミに暴かれることで、虐待の連鎖や貧困問題などもクローズアップされるようになった。

 この一連の流れが実際に法改正へと繋がったなら、佐野が母親を排除することで救ったつもりでいた子供の数より、もっと多くの子供達が救われることになる。

 失われた命は戻ってこないが、それがせめてもの救いとなればと橘は願う。



 そんなこんなで忙しい日々を過ごしていた橘がやっと落ち着いた頃には、すでに桜の開花が取り沙汰される季節になっていた。

 久しぶりに桜居のいる居酒屋に顔を出し、やっと妻を樹に会わせることができそうだと話していると、いきなり高木が宣言した。


「じゃあ、花見をしましょう!」


 どうせなら『真夜中の祠』の関係者をみんな呼んで、賑やかに楽しもうと高木が言う。


「たまには馬鹿騒ぎもいいですね。いい気晴らしになりますよ。桜の下でぱあっと飲みましょうよ」


 桜居も同意して、あれよあれよという間に計画が立てられていく。若者ふたりの行動力には驚くばかりだ。

 そして花見当日、ちょうどお昼時に参加者達は高木が場所取りをしてくれていたお花見スポットに集まった。

 料理を提供してくれたのは、桜居がバイトしている居酒屋のおやっさんで大学生の孫娘と共に参加している。

 他の参加者は、桜居とその父親、高木の上司である須藤とその娘、結愛。それから水瀬桐子と樹、橘一家三人と、発起人の高木は会社の同僚だという女性も連れてきた。

 総勢十三人、男女ほぼ半々で年齢層も幅広くなかなかに賑やかでいい感じだ。


「みなさーん、飲み物行き渡ってますかー?」

「はーい」

「ありまーす」


 高木の音頭に、ノリのいい樹と結愛のもうじき中学生コンビが応じて、朗らかにみんなで乾杯して宴会ははじまった。


「良いお天気でよかったわ」

「そうだな」


 冷えないようにお腹にストール巻いとけと、橘が妻を構っていると、樹がコップを手に近寄ってきた。


「おねえさん、元気そうでよかった」

「坊や……じゃなくて、水瀬樹くんね。大きくなったわね。会えて嬉しい。よかったら、私のことは麻美って呼んでくれる?」


 さすがにもうおねえさんといわれる年齢じゃないからと、麻美は少し照れくさそうに言う。


「そう? じゃあ麻美さん。お腹の赤ちゃん楽しみだね。男女どっち?」

「まだ聞いてないの。上が女の子だし、今度はあなたみたいな男の子がいいんだけど……」

「俺は産まれてきてくれさえすれば、どっちでもいいな」

「そっか。えっと……百花ちゃんだったっけ?」

「はい!」

「百花ちゃんは弟と妹、どっちがいいの?」

「おとうとなの」

「そっか。弟がいいんだ」

「ううん。おとうとなの!」


 百花が小さな手で母親の膨らんだお腹をよしよしと撫でる。


「最近、ずっとこうなの。お腹の子は弟だって言うのよ」

「ふうん。じゃあ本当にそうなのかも。子供ってたまに不思議なことを言ったり、やったりするもんね」


 樹のその言葉を聞いて、麻美がぷっと笑う。


「樹くんにそれを言われるのって変な感じ。私の中であなたは、ぶっちぎりで不思議な子だったんですもの」

「えー、僕は普通だよ。……最近は深夜徘徊もしてないしさ」


 樹は少し寂しそうだ。


「呼び出しはもうないか」

「うん。やっぱりもうお役後免みたい」

「その方がいい。君と『真夜中の祠』の神との縁は切れてないんだ。次に呼び出されるとしたら、いつか君がひとりの力ではどうしようもなくなって追い詰められた時だ。そんな日は来ないほうがいい」

「そっか。……うん。そうだよね」


 橘の言葉に、樹ははっとしたように頷いた。

 『真夜中の祠』の案内人として過ごす日々の中、樹は沢山の悩める人々に会ってきたはずだ。

 だからこそ、樹にもわかるのだろう。

 『真夜中の祠』に呼ばれるのは不幸を背負う人々だ。

 神に呼ばれる日など、もう来ないほうがいいに決まってる。

 

 宴会は賑やかに続く。

 酒を酌み交わし、美味い料理に感動して、桜の花々の間から届く明るい日差しの中で楽しい時間を過ごした。


(ああ、いい日だ)


 日差しは温かく、軽い酔いも相まって心と身体が穏やかに凪いでいく。

 橘は幸せな気分で酒を口にしつつ、ぼんやり皆の声に耳を傾けた。

 訥々と話す居酒屋のおやっさんから料理のコツを聞いているのは、その孫娘と桜居親子。

 麻美と桐子はどうやら今はまっているドラマの話で盛り上がっているらしい。

 高木は連れてきた女性の同僚と共に、なぜか神妙な顔で須藤から仕事のレクチャーを受けている。どうやら彼女が、高木が以前から告白したいと言っていた相手らしく、高木とは正反対の真面目なタイプのようだ。自分にはないものをもとめたのか、なかなかに興味深い。

 樹と結愛のもうじき中学生コンビは、小さな百花にめろめろのようで、ぬいぐるみも交えたおままごとにつき合ってくれている。


(……可愛いな)


 小さな手が器用に動きスプーンを操り、くりっとした目が動いて楽しいものを見つけ、ぷっくりとした唇からきゃらきゃらと楽しげな笑い声が響く。

 生きて、動いている。

 ただそれだけのことが、本当に尊い。

 橘がしみじみ幸せを実感していると、「飲んでますか?」と桜居に声をかけられた。


「ああ、久しぶりに美味しい酒を飲めてるよ」

「それならよかった。――平和ですねぇ。……それもこれも全て、『真夜中の祠』の神さまのお陰……ってことになるんでしょうか」

「……そうだな」


 感謝はしている。しているが、いいように操られているようで微妙に面白くない。

 どうやら以前から桜居も橘と似たような感情を抱いていたようで、ふたりして少し眉間に皺を寄せてしまった。


(だが、まあ……。本当に神のお陰だ。もしも『真夜中の祠』がなければ、どうなっていたことか……)


 まず樹と桐子は死亡していた可能性が高い。桜居は冤罪で塀の中、その父親もまだ性犯罪者の汚名を背負って生きていただろう。

 須藤はたぶん妻に殺害され、父親の庇護を失った結愛の人生も、あの最悪な母親によって陰惨なものになっていたはずだ。

 麻美は百花を流産し、離婚してホスト通いで身を持ち崩す。橘自身は死んだ妻子への自責の念から、いつふたりの後を追おうかと考え続ける陰鬱な人生を送っていた、というところか。

 あまりにも惨憺たる有り様に、橘は首を振って嫌な考えを振り払った。


(まあ、感謝すべきだな)


 この平和な光景は、『真夜中の祠』の神の介入がなければ有り得なかった。

 それはまごうことなき真実だ。


「そこで二礼二拍一礼して、『真夜中の祠』の神さまに祈るといいんだよ。そうすると神さまがふたつの夢、ふたつの可能性を見せてくれるんだ」


 樹が結愛に『真夜中の祠』の話をしている声が聞こえてくる。

 何度も『真夜中の祠』訪れる人々を案内して馴れているのだろう。樹はよどみなくすらすらと話し続けていた。


「樹くん、どうしてそんなに詳しいの? 学校じゃそこまでの話を聞いたことないんだけど」

「僕の曾お祖父ちゃんが詳しかったんだ。小さい頃に色々聞かされたんだよ」

「……曾お祖父ちゃん?」


 その話が聞こえた桐子が首を傾げた。


「ねえ、樹。?」

「え?」

「父方の親戚とは疎遠だし、私の祖父は両方とも早く亡くなってるから、あなたとは会ったことないはずよ」

「嘘だよ。だって僕、よく曾お祖父ちゃんとお話してたし」

「どんな顔だったか覚えてる?」

「どんなって……。あれ? どんなだったっけ?」


 思い出せないのだろう。樹は頭を抱えてしまった。

 その時だ。


 ――してやったり。


 性別不詳の低い声が聞こえた。

 周りの誰も反応していないところから、聞こえているのは橘だけのようだ。


(神、これもおまえの仕業か!)


 そして爆音のような笑い声が辺り一帯に響く。

 その場に居た者全員が一斉に反応して、きょろきょろと周囲を見回した。


「この笑い声、『真夜中の祠』の神さまの声よ!」

「マジですか。やった! はじめて聞けた!」


 麻美が指摘し、高木は大喜びだ。


「このタイミングで笑うってことは、神さまがずっと曾爺さんのふりをして樹くんを騙してたってことか?」

「えー! じゃあ、子供の頃に色んなお話してくれたのって、神さまだったんだ」


 桜居の推論に、凄い凄いと樹が嬉しそうにはしゃぐ。

 本人が喜んでいるだけに、文句のつけようがない。

 それでも橘は、心の中で悪態をついた。


(小さな子供相手に遊ぶな!)


 と同時に、また笑い声。


 悪戯が成功したと、神が笑っている。





 爆音のような笑い声は、風に吹かれてほどけ、ばらされて、沢山の人々の笑い声の合唱へと変わっていった。

 男性、女性、老人、子供……かつて戦場に漂っていた無念の想いが、長い年月を経て再び笑い出す。

 彼らが不幸から掬い上げた人々の驚く顔に、これは愉快だと笑っている。


 楽しげに、朗らかに……。


 笑い声は桜の花びらと共に風に巻き上げられ、やがて青空へと消えていった。










 ☆ ☆ ☆




最後までお付き合いいただき、本当にありがとうございました。


完結記念の感謝や今後の予定などを近況ノートのほうにアップしておきます。

興味がございましたら読んでやってください。

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真夜中の祠 ――白い少年は誘う 灰市 @ro-kka

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