あたたかいばしょ

キジノメ

あたたかいばしょ

 身体を前後に揺らせば、きぃ、きぃ、とロッキングチェアが軋んだ。

『まるで壊れそうだな。買い換えないと』

 君の声が聞こえたけれど、実際に聞こえるなんてあり得ないから幻聴だ。君の声を無意識に思い出して、考えて、捏造してしまうくらい、私は悲しんでいるらしい。笑おうとしたら喉が締め付けられるように苦しくなって、知らず知らず泣いていた。

 ぼやける視界の向こうで、暖炉の炎が爆ぜていた。


『彼は、私の恋人は、なにで死んだんですか?』

『病気ですよ。内臓の、癌です。聞いていなかったのですか?』

『病気とだけ。でもそんな、重たいものだなんて聞いてなかった……』


 癌。私の家系に癌で死んだ人はいないし、身近にも、まあ君がそうだったんだけれど、君を除けば癌の人はいないから、どんな病気か分からないよ。放射線治療が辛いとか、末期患者にはモルヒネってほとんど麻薬みたいな薬を出されるとか、民間治療はエセばっかなのになくならないとか、そんな、ありきたりな事しか知らないよ。たまにこれから病院だと行って帰ったね。あの時以外にも通っていたの。すごいね、私達、結構会ってたと思うんだよ。よく隠し通したよね。ねえ、隠さなくてもよかったんだよ。

 最後に会ったのいつだっけ。もう3か月は経ってる。誰かを忘れる時って、まず声から忘れるんだって。さっき君の声は思い出せた! じゃあ私はまだ君のことを1ミリだって忘れてないのね。誇らしくて無理やり笑った。私しかいない部屋に湿った笑い声が響いた。あとは炎の爆ぜる音だけ。君の声も、衣擦れも、ほんの些細な音だってしないや。


『彼のご両親は?』

『親族、いないらしいです。みんな死んでしまったって』

『では、あなたが葬式を行いますか』


 なんで病院で、真っ白な、けれど穏やかな表情した君と対面しないといけなかったんだろう。そんないつもするような顔を浮かべてたら、いつまで経っても私は君が死んだと信じられないよ。目なんて決して開かないくせに、どうして今にも目覚めそうな顔してるの。思わず縋りついた君は冷たくて、清潔な、生物ではない香りがしたね。生きている時は、子供のようにあったかかったのに。

 生きている時、だなんて! なんで人間の説明にそんな言葉を使わないといけないの。おかしいでしょう。そんな言葉、君を説明する方法に入れたくなかった。なんで死んでしまったの?

 私、冬に君に抱きつくの大好きだったんだよ。湯たんぽみたいにあったかいから、いつまででも寝ていられたんだ。


『一度だけ、彼を、家に連れて帰ってもいいですか』


 今は、寒いや。

『俺があったかいのは、あなたを愛しているからだよ』

 愛しているって、きっと心で考えていることでしょう。心ってどこだろう。脳にあるの? 心臓にあるの? 身体中を巡っているの? でも愛していると私に宣言した時、君は自慢げに心臓あたりを指さしていたね。じゃあそこに心があると思っていい?

 心のおかげであったかいのなら、君の心臓を暖炉に入れれば、またあったかくなれるって思ったんだ。君に包まれて寝ている時のように、安心していつの間にか明日の朝日を迎えられると思ったんだ。

 なのにさあ、少しだって暖かくなかった。寒くて寒くて仕方がなかった。暖炉は燃えているのに、それ以上に頬を滑る涙が冷たかった。あったかくないよ。

「寒いよ」

 心臓を燃やす炎の傍でなら、それは君の分身だと思ったんだ。だから、まだ君と一緒にいられると思ったんだ。けれどそんなことなかったね。違ったよ。だって私を愛した君の心臓を燃やした炎は、私をちょっとだってあっためなかった。君は、本当に逝ってしまったんだね。

 立ちあがって暖炉を消さないといけない。そして慎ましくても君の葬式を無事行うために、明日は動かないといけない。だから寝ないといけない。

 寝れるわけないじゃん、ばか。寒いよ、寒いよ、悲しいよ、ねえ。

 涙が止まらない。暖炉がぱちりと爆ぜている。君が蘇ればいいのになあ。あの炎の中からフェニックスのように再生されればいいのになあ!

 それでも火は変わらず爆ぜるだけだった。いつ癒えるかなんて考えられない心臓こころを抱えて、私は生きなければならないんだった。

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あたたかいばしょ キジノメ @kizinome

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