10.ワタシの異世界
カルルッカ攻略戦は、条約加盟国軍の勝利に終わった。
一報によると、幻宗皇国軍で強い権力を有していた、とある魔術師が討たれたことで、指揮が乱れたことが決定打になった……とか。
しかし、そんなニュースなど些細なことだ。
ドアを開くと、見覚えのある黄土色の壁の狭い部屋。小さなサイドテーブルが床に転がり、その奥にはとても丈夫なベッドが据えられている。
条約機構カルルッカ支部。私が、この世界で最初に目を覚ました……と思っていた場所だ。
ほこりっぽい室内をそのまま歩いて渡り、あの日には開けられなかった、ベランダへ出るためのもうひとつのドアを開け放つ。
明るい日射し、乾いた風が、部屋いっぱいに飛び込んでくる。
さらに一歩、踏み出してみる。張り出した一階の屋上は広く、大きな日よけで覆われていて、端には金属の柵がしっかり巡らされている。その向こう側に、広がるカルルッカの街並みを一望できる。
柵に手をかけ、辺りを眺望すれば、視界いっぱいに連なる家々の屋根。その下から湧き上がってくる活気が耳にまで届く。ゆるやかな下り坂に沿って目を走らせれば、中央広場の賑わいも見通せる。
条約機構は、本当はこの景色を最初に見せたかったんだ。
広場には、復興のための資材を満載した馬車が集められていた。人々はそこから物資を受け取っては運び出し、街を新しく造り直している。
戦線は、はるか彼方まで押しやられ、街はめまぐるしい復興をはじめている。
その活動の核となっているのは……私が持ち出し、アンロックした『カルルッカの聖なる炎』のエネルギーだ。
あの地下室で、私はもう一度だけ老人に会った。生まれ変わった箱を手渡すと、彼は深く
あれは、もしかすると本当に夢だったのか……いや、現実に起きた出来事のはずだ。街はこうして、復興を進めている。そして私は、あの箱の温もりを覚えている。
そんな事を思いながら、街の様子を眺め続けている間に……背後では、黒いスーツをまとった男たちがベランダに現れて、テーブルと椅子、お茶とお菓子を運び込んでいる。
振り返った時には、すっかりお茶会の準備が整いきっていた。そこへやってきたフミに向け、男たちはきっちり胸に手を添えて、深く長いおじぎをする。
「それではフミ様、私どもはこれにて失礼を。御用がございましたら、いつでもお申し付けくださいませ」
続けて、私に向けても、そろって一礼。みんなやたら体格が良く、精悍な顔つきをしているせいで、なんだかフワフワした気持ちになってしまう。
ありがとう、と彼らに告げて白い椅子に腰掛けたフミは、久しぶりのおめかしとして、現実世界の制服に袖を通している。私も同じく着てきた制服のスカートが、強い風に吹かれそうになって、あわてて両手で押さえ込む。
黒スーツの一団が去ったのを確認してから、私はフミにこっそり声をかけた。
「なんか、教育間違ってない?」
「磨けば光ったんだから、いいじゃない」
あの猫背でユーモラスな仮面のバルバロイたちが、こんな姿になっちゃうなんて、まるで想像も付かなかった。
まあ……面食いだったフミが喚んだのだから、美形揃いなのは理にかなっているし、礼儀正しく育ったワケだけど……ホントにいいのだろうか。
黒い揃いのスーツは、この支部に残されていた品をフミが勝手に回収して、配ったものだ。たぶん、あの支部長の私物だったのだろう。
その支部長は……ずっとシセインを敵国に差し出そうとしていたのだけど。その代わりとして、街の住民に一切危害を加えないことを要求していたらしい。私たちが脱出路を確保した後は、先に住民を全て逃がし、最後の一人になるまで街に残り……そして敵に捕まって、処刑されたと耳にした。
結局、いい人だったのだ、とは思う。でも、なんでだろう、素直にほめてあげる気にはなれない。
そんなモヤモヤを打ち消すために、私はふわりと香るお茶に口をつけ、もう一度視線を外に向ける。
物資の流通が適切になったおかげで、動物たちの落とし物は、みんな郊外の畑へ運び出される。だから、道からたい肥の匂いなどしていない。いや、していない……よね?
私が慣れきってしまっただけだろうか?
顔をしかめながら道を眺めていると、大きな買い物カゴを提げた女性が、赤ちゃんをあやしながら歩いているのが目に留まった。
この街に、平和が戻ってきたのだ。まだ、遠くの空で戦争は続いているわけだけど。
思わず、顔に笑みが浮かぶ。
「すまない、遅くなった」
そこへ息せき切って飛び込んできたキョウヤに、私とフミは揃って口をとがらせた。
「遅ーい」
そのタイミングがあまりにもぴったりだったので、思わず揃って笑い出してしまう。
「大規模な内乱が起きて、幻宗皇国が崩壊しそうなんだ」
「じゃあ、科学帝国が皇都にまで……?」
「いや。どうも、そっちでもキナ臭いことが始まったようだ」
今聞いてきたばかりのニュースを、キョウヤはお茶会そっちのけで熱く語ってみせる。
コイツはいつだって、この調子だ。
世界情勢はすごい勢いで動いているみたいだけど、正直、私は彼の語る情報を全て理解できるわけじゃない。
でも、まあ……そんな関係も、悪くない。私だって、赤ちゃんみたいな理不尽をキョウヤに散々叩き付けているのだ。
そんな彼の顔を見つめていると、不意に振り向いてきたキョウヤと、目が合ってしまった。とっさに浮かんだ笑みを、彼に見せてやる。
それに彼も笑みを返した時、フミが心細そうな声を上げた。
「条約機構は、どう動くのかな……」
本日付けをもって私たちの『天星隊』に配属されたわけだから、彼女の不安はよくわかる。今日は休みをもらって、こうして彼女の歓迎を兼ねてお茶会ができたが……この先、またすぐに戦争に投げ込まれるかもしれないのだ。
しかし。私はいつものように、
「大丈夫」
そう、告げるのだ。
「ミラ様が見守ってくれているもの!」
そして私たちは、笑みを交わす。
ミラ様が、全てなんとかしてくれるわけじゃない。
見守られる中で、恥じることがないよう、頑張るのだ。だから、何でもうまくやっていける。それを、私たちは理解し合っている。
私たちはみんな、この異世界をどうにかできるような、特別な存在じゃ、ない。
だけど、本当は信じたいんだ、自分は特別で、すごいんだ、って。
それが素直にできないから……間を取り持つために生まれたのが、ミラ様なのかもしれない。自分の信じる守護天使はすごいから、自分は大丈夫なんだ、って。
もしそうだったとしても……彼女の存在は、今はもう嘘じゃない。
そして……仮に、アルティールが最期に叫んだあの言葉……この世界が得体の知れないナニカに作られた、という話が本当だったとしても。今では、この世界こそが『現実』だ。
そこに私が居て、みんなが居て、ミラ様が見守ってくださっている。
この異世界で、私たちは、私たちの特別を信じて、生きていく。
「それより! 今日、ここに私たちが集まった目的!」
私がかけたひと声に、キョウヤがあわてて居住まいを正す。その姿はまるで、眠っている私に土下座していた時のようだ。
そういえば、最初のあの日。アリデッドは、私のミラ様を「まるきり異世界の話だ」と口にしていた。
その異世界を生み出させたのは……コイツの責任なのだ。
そのため、今日は私たち、現実世界出身の三人が集まったのだ。全ての始まりの事件について、じっくり話し合っておきましょう、と。
私はまだ、怯えている。
はっきり言って、自信が無い。
どんな言葉で、キョウヤの重荷を下ろしてあげたらいいのか。そのアンロックを、ずっと考え続けている。
だけど……そんな私の両肩に手を置いて、ミラ様が「がんばって」と後押しをしてくれている。私にはそれが、確かに感じられている。
私はそっと肩に手をあて、彼女の指に温もりを返す。
穏やかな風が巡る中、高い空から、清らかな光が降り注ぐ。地上から掲げられる祈りを、祝福するように。
ワタシの異世界はコイツの責任 和泉 コサインゼロ @izumicos0
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