TSUKI

naka-motoo

人間は月を創れるのか

 李浩りひろは出された課題に取り組んでいた。どうしてだか余りにも壮大な、けれども少し考えれば大層なこととも取れない、そういう思いで計算を始めた。

 止むことのないかと思われたその作業が終了したのはPCの最初の数字を入れた瞬間から72時間後だった。三日間、寝ずに食べずに排泄すらせずに椅子に座り続け腰より先に背骨が損傷するのではないかと恐れていたが、かろうじて体は持った。だが精神はそうはいかなかった。なぜならば計算の終了と同時に氏神にその報告と報謝とをしに行ったとき、彼女は氏神を親しみを込めて呼ぶ際の呼称を告げて二礼二拍手一礼をしたのだがついぞ正式なその神の名を思い出すことができなかった。おそらくは睡眠を取らないことによる一時的な記憶喪失なのであろうが研究を生業とする自分にそのようなことが起こることが恐怖ではあった。なぜならば研究というものが極めてギャンブル性の高い水商売であるということを嫌というほど知り抜いているからだった。ノーベルが結局は殺戮に用いられる火薬を作りアインシュタインの研究が原爆と水爆を作りノーベル平和賞と呼ばれる不可思議なイベントの大賞受賞者は時として大虐殺(massacre)の張本人となるからだった。だが李浩は今始めたばかりのこの研究者としての起死回生の一撃となるであろう大冒険とも呼べるようなその作業に自信を持っていた。これが人類のためにならないはずがないだろうと思っていた。


「月を創る」


 だが担当教授の飯坂いいさかは露骨に嫌な顔をした。飯坂は以前小惑星を創ろうとした前科があるのだ。それを前科と呼ぶのはなぜかというに彼が作り始めた天体には水ができ空気ができ生命体が発露しそうになったからだった。「いいおもちゃだ」そう飯坂はスタッフたちに言い放ち、その小惑星を大宇宙に放とうとした。「流浪する惑星となる」おそらく本来の意味からいえばそれは惑星という定義からは外れるものであったろうが瞬間的には惑星となりうるのだ。なぜならば、ぶん、と初動で放ったその天体は太陽系においてはしばらくは太陽の周囲を公転するのだが、微妙なバランスが崩れるように緻密に計算されており、三年経つと太陽系とは別の系列の宇宙に引力で惹かれ(誤字ではありません)、旅立っていくからなのだ。飯坂はこのような緻密な計算ができるのは神以外にあり得ないと考えて神を自称した。その飯坂にしてこの李浩という弟子がある。飯坂は生態系を乱す外来種のごとき可能性を持つ生命体をその海の中に発生させた天体を創造から3年で野放しにしたも同然なのだ。もしも流浪してたどり着いた系列の宇宙に人間に似通った生命体がいた場合、飯坂の作った天体に巣食う生物は毒を持って噛まれると患部が焼けたように腫れ上がる蟻のような作用を及ぼす生物になるかもしれなかったが時もう遅し、その天体はありえないスピードで別の太陽系に到達したことがブラックホールを観測する際に使われた地球の数カ所を結ぶ電波望遠鏡によって観測されたのは皮肉なことではあった。


「誰が月を創れと頼んだ」


 一応飯坂は李浩にそう嫌味を言いはしたものの麻薬的な作業としてのみの研究の虜となってしまっていた。ふたりは愛し合うようにしてその研究をスタートさせそして継続させていた。


「月ならばいくつあってもいい」


 李浩の発想は飯坂すら受け入れかねるようなものであったが飯坂自身は月はふたつまでならば空を見上げた際の鑑賞としても美しいであろうし引力のバランスも返って整い、月の引く力によって様々な体調の変化を催す人類の数%は恩恵を被るだろうと考えていた。


「できたわ」


 半年後に李浩が成層圏の外へ日本国のロケット100基に分散して材料となるコンクリートをまるでミサイルのようにして従来あった月とちょうど点対称となる宇宙空間の一点に撃ち込み続けて丸くなくゴツゴツした『2nd LUNA』はやはり太陽光の反射を持って、月としての光を放った。


 月を創った科学者。


 ふたりはそう称賛され、月のサブネームは『E-RI』と呼称された。


 詩人は宙空を見上げてつぶやいた。


「消えてくれ」

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