第50話:あむ・らび(Amour Labyrinthe/最終話)

 あたしは空き家になっていた明先家の離れへ、隆紫と一緒に戻ってきた。

「まさか、隆紫りゅうじが優良物件に見られることを最も忌避きひしていたのが、実の父親だったとはね…」

「さすがに僕もそこまで根が深かったのは読めてなかったよ。あかねとの結婚を否定される理由については闇の中だったからね。本当は、何度でもおやじを見返してやって、折れるまで食い下がるつもりだった」


 あれから隆紫が留学中に作ったアメリカのRMEは摩擦なく合併へ至り、心配だった隆紫と過ごす時間は前より明らかに増えた。

 何しろ職場が海外にあるから、今は通勤せず在宅勤務をするようになっている。

 国際電話の代わりにWeb会議システムを使って声を届けるほか、メールで報告を受けたり指示を出している。

 今まで出かけていたのは、あたしが何かのきっかけで隆紫が何をしているかを知られたら困るという理由から、コワーキング・スペースやレンタルルームを使っていたらしい。 

 アメリカとは時差があるものの、どうしても仕事量が多くてあたしよりも帰りが遅くなっていたことも話してくれた。

 あたしはというと、隆紫の秘書として離れで在宅勤務をしている。

 とはいえ隆紫が在宅勤務だから、秘書といってもやることはほとんどない。

 いつもリビングで隆紫の隣に座って、その仕事ぶりを眺めているだけ。

 今のままではあまりに低効率だからとRMEの業務引継をして、隆紫の手から離れる予定はあるけど、今のところは隆紫のお眼鏡に適う後継者が現れていないため、引継は保留の状態になっている。

「茜、珈琲を淹れてくれないか?」

「うん。わかった」

「違うだろ。仕事中の時は…」

「はい、かしこまりました」

 こういうところはきっちりと線を引いていてちょっとやりにくいけど、ずっと夢見てきた隆紫の仕事に直接関われて嬉しく思う。

 離れで隆紫のお世話をする時は、メイド服を自分で選んで着ている。

「そろそろ時間だ。準備してくれ」

「うん」

 仕事の時間が過ぎたから、口調はいつもの感じでよくなった。

 在宅勤務を続けると運動不足になるから、朝と夕方に隆紫と散歩をするのが日課。

 今はいいけど、これでRMEの引き継ぎが終わった後でどうなるのかは不透明ながらも、専属秘書としての立場がある限りはずっと一緒にいられる。

「ずいぶん遠回りしてしまったな」

「ん?いつもの散歩コースでしょ?」

 夕日を眺めながら、隆紫が口を開く。

「いや、こうして茜と一緒に過ごせるまでの月日のことだ」

「…そうだね」

 そもそもの始まりは姉と麗白ましろさんの出会いから。

 姉の事故に対して罪の意識を持っていた隆紫は、自分を抑え込んであたしを側に置いて守ろうと、それでも好かれず嫌われるため、散々嫌がらせをしてきた。

 隆紫と出会わなかったら、あたしはどうなっていたんだろうか。

「でも、こうして一緒に居られて、とても幸せよ」

「僕もだ」

 お互いに見つめ合って、軽く微笑む。

 あたしたちの関係は、いい感じに豹変した。

 豹の毛が、春に向けて少しずつ変わっていくように。

 これからも、変わっていく。


「茜ー、おめでとー」

 隆紫と入籍したことをかおるに伝えるため、駅前のカフェで待ち合わせてお茶している最中に話題を出した。

「ありがとう、薫」

「やー長かったなー。こーこーの頃からだから、7年もかかったんだー」

「大学受験の時で既に気持ちが折れかかったけどね。それとこれ」

 手にとって薫へ渡したのは、結婚式の招待状。

「おー、招待状しょーたいじょーだ。しっかり式挙げるんだねー」

「うん。郵送にしようと思ったけど、直接言って渡したかったら隆紫に待ったをかけたんだ」

「茜がウェディングドレスを着るのかー」

 ほわーんと薫が何やら想像をしているらしい。

「それで、薫はどうなのよ?」

 前から触り程度には聞いていたけど、大学を出てからはほとんど話題にしていなかった。

「あー、彼ね」

 そう言って、薫は左手をテーブルの下から上へ置く。

 その薬指にはシルバーのリングがキラリと光っていた。

「…もう結婚したの?」

「んーんまだ。これエンゲージリングだから」

 あたしにキスしてきたあのチャラ男とはもう連絡を取っていなくて、別の人を見つけてゴール寸前まで駆け抜けていたみたい。

「薫は式挙げるの?」

「そのつもりー。来てよねー」

「もちろん行くわ。待ってるわね」


「とてもお似合いですよ。新郎さんもさぞ喜ぶでしょう」

 着付けしてもらった女性スタッフが、満面の笑みを向ける。

「ありがとう」

 純白のウェディングドレスを纏ったあたしは、姿見で自分の晴れ姿を確認する。

「失礼します」

 控室に女性が一人入ってくる。

 シックなセットアップスーツながらも、胸に赤いバラのブローチが自己主張しているその人に、見覚えがない。

「お久しぶりでございます。茜様」

 その女性はドアを背にぺこりとお辞儀して、顔を上げた。

「………え?まさか…」

「いやですわ、茜様。わたくしのことお忘れになってしまいましたか?」

「…麗白ましろさんっ!?」

「はい。6年ぶりでございましょうか」

「ドレス姿じゃないから全然わからなかったわ」

 そこにいたのは、アメリカでその手腕を奮っているお嬢様だった。

 あたしの姉と知り合い、資金難の櫟託送便くぬぎたくそうびんと、一般向け物流を展開したかった明先みょうせん物流ロジスティクスの利害が一致して業務提携に向けて調整していたお嬢様。

 すっかり明先傘下に入って、今はあたしのお父さんがその経営を任されている。

「ふふっ、わたくしとてTPOはわきまえておりますわ。主役を差し置いてドレスを着てくるとでもお思いになられましたか?」

「ずいぶんイメージが変わるものね…」

「それは茜様も同じでございますわ。純白のドレスに身を包んでいるそのお姿、とても素敵でいらっしゃいます。わたくしもそんなドレスを着てみたいものです」

「麗白さんはまだご結婚していないのですか?」

「あちらの国では明確に入籍する文化が敬遠されております」

「どうしてですか?」

「法律の問題でございますわ。パートナーはおりますが、日本の様な夫婦関係というものがあいまいなままにされております」

 そうなんだ…。

「それはそうと、これでわたくしたちは親戚同士になりましたね」

 あ…そうだ。

 姉の事故。あの真相を聞く前に言われたんだっけ。

「これからも末永く、愚弟ぐてい共々よろしくお願い申し上げます。そして、ご結婚おめでとうございます」

 ぺこりとお辞儀して、お嬢様はドアの向こうに姿を消した。

 まさか麗白さんまで参列してくれるなんて…。

 それにしてもドレスは素敵なんだけど、そのドレスに合わせる体型を整えるためのコルセットがきつい。

 浴衣にしてもサラッと一枚を羽織るだけならともかく、見せるために着るオプションが多すぎて、見た目の華やかさとは裏腹に、お世辞でも快適とは言い難い。

 というか、早く脱ぎたい。


 結婚式が始まり、すごい人数が参列してくれていることに驚く。

 明先の関係者がかなり多いみたいだけど…。


「ねえ隆紫、本気でお色直しがこれ?」

 お色直しが終わり、控室のドア前に立つあたしは不満を口にする。

「これが始まりだったんだから、これ以外にはありえない」

「もう…」

 あまり気がすすまないけど、有無を言わさない隆紫の様子に、あたしが折れるしか無かった。


「それでは新郎新婦、お色直ししての入場です!」

 司会の合図と共に、あたしたちはスポットライトを浴びながら皆の前に姿を出す。


 ざわっ…


 やっぱりの反応。

 拍手が一瞬で止まり、絶句しているようだった。

「このお色直しは『二人の始まり』がテーマです!新郎は対照の演出としてですが、新婦に合わせて衣装を選択しました!」

 黒のふわっとしたドレスに、白のフリルがいっぱい付いたエプロンと、フリルがヒラヒラするヘッドドレス。

 そう。

 あたしのお色直しはメイド服だった。

 対して隆紫は、明先家で実際に使われている黒い執事服。

 司会に代わって、薫が演台に立つ。

「二人の始まりは主従しゅじゅー関係かんけーでした。二人が初めてお互いにしっかり話をしたのは明先のお屋敷で、当時は櫟託送便が全国展開を前にして資金難となり、当時新郎が経営層に所属していた明先みょーせん物流が融資ゆーしをする条件として新郎しんろーは新婦をメイドとして預かるという話でした」

 ここまで聞いても、参列者がにわかにざわついているのがよくわかる。

「その頃から新郎しんろーは新婦に密かな好意を寄せていて、けど深く関わらないと決めていました。新婦は新郎しんろーの冷たい態度と執拗しつよーな嫌がらせで嫌っていましたが、一つ屋根の下で暮らす内に新婦は新郎しんろーへ想いを寄せ始めて、でも振り向いてくれない新郎しんろーに新婦は焦れていました」

 薫、まさか全部言うつもり?

「それから何年もかけていろいろとあり、晴れてここに新たなカップルが誕生たんじょーしました。この衣装いしょーは、二人を結びつけた思い出深いものであり、絆の証でもあり、二人の門出に相応ふさーしーものです!」


 しーん


 理解が追いつかないのか、参列者は呆然としていた。


 パチパチパチ…


 拍手の口火を切ったのは、麗白さんだった。

 パチパチパチ

 近くにいた参列者が我に返って拍手を始める。

 水面に落ちた雫が波紋として広がるように、会場は一気に拍手のお祝いムードで満たされた。

「隆紫、薫に原稿渡したでしょ?」

「わかったか。若干添削されたようだけど」

「あたしが高校3年に上がった時も模試を送ってくれたじゃない?薫が読み上げてる時点でピンときたわ」

「茜には条件をクリアしてくれなければ、困った展開になったからな。僕も必死で作ったんだ」

 そうね。万一、あたしが指定の大学に入れすらしなかったら、青慈せいじ…いや、隆紫のお父さんがここぞとばかりにあたしを追い出してきたはず。

 そうなったら隆紫が何度でも見返してやるっていう、先の展開が組めなかった。

「うん、ありがとうね」


「はあ、結局あのままゴールインしちゃったかっ…アメリカ留学って聞いた時はチャンス到来だと思ったのにっ」

 参列者の中に一人、小さくため息をつく女の姿があった。

 腰のあたりで左右の指を交互に組んで、舞台に立つ二人…いや、一人をジッと見つめていた。

「そろそろ本気で他の相手探さなきゃっ…あの二人が別れるのを待ってたら棺桶に片足突っ込むことになりそうだわっ」


「うおおおおぉ!隆紫よ、立派になって!」

 ドバドバと滝のように涙を流しながら、感動に浸る髭面の姿もあった。


「坊っちゃん、わたくしは専属ドライバー兼参謀役兼護衛としてお側におりますゆえ…」

「お前はいいよな。こっちは正式に護衛を外されてしまったよ」

「その脳筋を、もっと別の方向に回せば明先のどこかにまわしてくれたかもしれませんね」

「ハッ、こっちは暴れてなんぼの世界にいたんだ。お前みたいなインテリガードマンみたいなことはやってられん」

 懐から一枚の小さな厚紙を差し出す。

「こちらで人手が足りないそうです。連絡してみてはいかがですか?」

「…まあ、検討してみるか。古巣の遠い縁での組織って部分が気になるけどな」

 手のひらに収まる大きなの厚紙を懐にしまう大男。


「新郎、明先隆紫殿。その健やかなるときも、病めるときも、喜びのときも、悲しみのときも、富めるときも、貧しいときも、これを愛し、これを敬い、これを慰め、これを助け、その命ある限り真心を尽くすことを誓いますか?」

 誓いの文句を読み上げる神父。

 隆紫の希望により、お色直しした後にこの流れを作ることになっていた。

 あたしたちの新たな始まりを、最初の始まりに絡めたい、と。

「誓います」

 隆紫はハッキリと、迷いなくまっすぐ見つめる瞳に込めた想いを、口に出した。


「新婦、明先茜殿。その健やかなるときも、病めるときも、喜びのときも、悲しみのときも、富めるときも、貧しいときも、これを愛し、これを敬い、これを慰め、これを助け、その命ある限り真心を尽くすことを誓いますか?」

「はい。誓います」


「それでは誓いのキスを」


 大勢の前で口づけするのは恥ずかしいけど、この盛り上がっている会場の熱気にあてられたあたしは、恥ずかしさが薄れていた。


 散々遠回りしてきた。

 これまでいろいろあったけど、この誓いを口にして、やっと愛する人と一緒になれることを約束して実感できた瞬間だった。


 まだまだ道半ば。先が長い二人の時間。


 これからも数え切れないほどの壁にぶつかって、迷いながらも二人で乗り越えながら、共に過ごしていくのだろう。


 けど、隆紫となら…愛する人となら、きっと乗り越えていける。

 光差す出口を見つけて進める。


 二人で足を踏み入れて…迷い込んだ…Amour迷宮Labyrinthe なら。


 あむ・らび 全50話 -完-

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あむ・らび 井守ひろみ @imorihiromi

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