最終話 後日譚


 自分の気持ちを取り戻してから数日。そういえば私の髪と瞳の色をまだ直していなかったことを思い出してラミアにお願いしたけれど、彼女がどれだけ頑張っても私の色は元に戻らなかった。色が馴染んでしまったのか、それとも私の身体がより魔王さまに近づいたからなのかはっきりとは誰も分からなかった。ただひとつ、魔王さまはおそろいの漆黒の髪と燃える赫の瞳をとても気に入っていた。

 ま、いっか。


 そして私はまた人間界へのゲートの前で仁王立ちしてその入り口を睨みつけていた。機嫌が悪いわけじゃないの、意気込んでいるだけなのよ。

 私の後ろで微笑ましく見守る魔王さまと、呆れた顔で首を傾けてため息をつく堕天使がいた。


「あんまり出かけられるとよお、こっちが大変なんだぜ。留守番する気持ちにもなってみろよ」

「今回は遊びじゃないわ。魔界と人間界との大事な話をしに行くの! まあでもすぐ帰ってくるわ、たぶん」

「どうせ文句ばかりで本当は平気だ。ゆっくりしても構わん」

「やめろよ! 不死身だって胃は痛えよ!」


 全力で抵抗する堕天使がおかしくて私は思わず吹き出してしまった。そういえば、私ずっと聞いてみたいことがあったんだわ。これを機に私は堕天使の方へ向き直ってその顔を覗き込んだ。澄ましていれば儚げで端正な顔が不機嫌そうに歪んでいる。


「ねえ、ずっと気になっていたけれど」

「な……なんだよ」

「貴方は普段粗野だけど、肝心なときはいつも私を助けてくれるのね。どうしてそんなに良くしてくれるのかしら」

「は?」

「だって私、貴方になにもしていないじゃない」


 追及するようにさらに一歩近づいてみると目を反らされた。逃げたわね。さらに一歩踏み出そうとしたら魔王さまの腕が伸びてきて抱きとめられてしまった。


「あんたはさ、思ってる以上に魔王サマそっくりだからな」

「そうかしら?」

「これでも俺は魔界を統べる王に心酔してんだぜ。その身体の一部にも同様にな」

「そうだったのね」


 なるほどと思った反面少し寂しい気持ちになった。やっぱり私自身の力ではなかったのね。これからみんなと私自身で向き合わなくちゃ。


「……なんてな。何もしてないわけないだろ」

「へ?」

「姫サマの身体は魔王サマと一心同体だが、あんた自身の言葉や行動はあんたの意志だ。ちゃんと姫サマ自身のことも気に入ってるぜ、俺は」

「……ありがとう」

「手は出すなよ」

「冗談よせよ。俺は魔王サマなんて抱けねえよ気持ち悪い」

「私のことなのか魔王さまのことを言っているのか境界線が曖昧ね」

「あんたらってもうそういう存在になってるんだよ。そのうち魂も混ざっちまうんじゃねえかな」


 実感はないわ。申し訳ないけれど。けれどそれも良いかもしれない。二人の身体も魂も境目が分からなくなるくらい混じり合ってしまうのはどんな感覚なのだろう。

 あ、でも自由に歩き回れる足は欲しいわね。


 堕天使と別れて私たちは人間界へと足を踏み入れる。目指す場所はそう、もちろん。


「お父さま! 今日は魔界と条約を結んでもらうわよ!」

「ひいい! 誰かと思えばお前……うっ」


 無遠慮に王の間に勢いよく乗り込んだ私はそう叫ぶと、お父さまは驚きのあまり玉座から転がり落ちた。そして落ち着かない再会にも関わらず涙を浮かべる。さすがのマイペースね、私もだけど。

 今日は魔界と人間界との平和条約を結びに来たのだ。細かいことは後々固めていくとして、まずはその意志を伝えに来た。魔物は人間に攻め入らないこと、人間もむやみに魔物を迫害しないことを望んだ。

 魔物といえど人間の町に溶け込んでこっそり暮らしている者も少なくなかった。そして町の外にいる野蛮な魔物も魔王さまが手綱を握っていて管理していくことや、何年何百年先になるかは分からないけれど魔界の町と人間の町との交流もしてみたいことも伝えた。

 人間というのは条約や法で安全を守るのが好きな種族だから、平和的解決を望むならこれが一番だと思ったのだ。私も時々城下町に行きたいし。

 結果は悪くなかったと思う。他の国に連絡する時間は欲しいと入ったけれど、きっとお父さまも快諾をするはずだ。

 すべての話を終えたあとで、お父さまは紅茶を飲みながらふと言葉をこぼした。


「姫や、わしはお前を信じてあげることができなかった。記憶を飛ばしてしまったことにも気づいているだろう」

「なんとか思い出すことができたわ。なんとかね」

「すまなかった。民のため、お前のためと言っていたが本当はわし自身の保身のために他ならなかったのだ。許して欲しいとは言わない」

「そうね、でも大丈夫よ」

「そうか、ありがとう」

「けれどお父さまたちが私の記憶をいじらずにいれば、最初から私が覚えていればあんなに魔王さまと遠回りすることもなかったのにとは思うわ」

「ぐ、すまん」


 私だって苦労したんだもの、少しくらいお父さまに棘を刺したって構わないわよね。お父さまが小さく「お前は強い子じゃ」と呟くのを聞いて思い切り舌を出してあかんべした。

 これで魔王さまに攫われたときから決意していた「お父さまに謝ってもらう」ことは実行できたと思う。こんな形で叶うとはあの時は予想だにしなかったけれど。

 長々とした話を終えて私たちはお城の外に出た。大きくのびをして自然の空気を吸い込む。魔王さまは相変わらずの無表情で私を見下ろしていた。


「さて、これで用事は済んだわけだが」

「城下町に行きたいですわ!」

「先日ラミアと行ったのでは……」

「あそこは広くて一日ではとても回れません。それに、今日はラミアとではなく魔王さまとなんですもの。きっと見る風景は違いますから」

「なかなかいじらしいことを言う」

「私ね、何年先も、何十年何百年経ってもこうしてここへ遊びに来たいです。例えここがどんなに変わってしまっても、私自身が変わらなくても、このお城は私の大切な場所ですから」

「そうか。やはり、お前は強い娘だな」

「そうでしょうか」

「そうだ」


 見上げた先にいた魔王さまの眼が優しく細められた。それだけで私は何も言えなくなってしまう。もっと好きだと伝えたいのに、うまく言葉を選べない。

 貴方の微笑んだ顔はとても穏やかで、それは私が一番幸せになれる魔法みたいだった。


「ずっと、私と一緒に生きてください」

「ああ、誓おう。この身朽ちるその時まで」


 私たちの間をぬるい風がすり抜けてゆく。それは季節の変わり目を知らせる穏やかなものだった。


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魔王の嫁にはなりません! 楸白水 @hisagi-hakusui

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