第49話 ずっと心にあったもの
魔王さまに伝えたいことがある。けれど、どう伝えれば良いのか、どんな言葉にしたら良いのか見当も付かなかった。身体だけが前のめりに動き出して行動を起こす。私は寝室を出て魔王さまの謁見の間まで飛んできたのだった。
あの人は一体どこに居るのだろう。いつもならなんとなく予想が付いていたのに今では全く分からない。辺りを見回してみても誰も居ない。どこかへ出かけてしまっているのかしら。
「後ろだ」
「きゃああ!」
突然背後から耳元でそう申告されて心臓が口から飛び出そうなほどの勢いで叫んでしまった。人間はあまりに驚きすぎると微動だにできなくなるみたい。硬直したまま首だけ真上を向くと、複雑な顔で笑う魔王さまが私を覗き込んでいた。
「もう居場所も分からないか」
「あっ」
昨日堕天使に言われたことを思い出した。そういえばおかしいわ。私は身体の中の魔王さまの血で彼の居場所や感情まで把握できると言っていたはずなのに。
「どうして……」
「姫の身体を巡る私の血の動きを止めた。お前の身体はまだ作り替わっている最中だから、こうすると私とのつながりも消えるようだ」
「そんな」
「このまま血さえ抜いてしまえば元に戻れるかもしれんな」
そのまま身体を抱きとめられてあごを固定され身動きができない。私は真上を向かされたまま、逆さまの魔王さまの顔が近づいてくる。瞳の中の赫が暗く淀んでいるのが見えた。
傷つけてしまった。私が貴方を傷つけてしまった。今思えば昨日言ったことはなんて残酷な言葉だったのだろう。無知な私は貴方を理解できずに拒否することしかできなかった。
その瞳に映る私はどんな顔をしているのかしら。怯えた情けない顔か、それとも薄情で間抜けな顔か。魔王さまの表情ももう分からないから、怒っているのか悲しんでいるのかも理解できなかった。
「ごめんなさい……ごめ、」
「謝ることはない。始めはお前のためだったが、案外平和な魔界というのも悪くない。数百年後には人間界とさほど変わらなくなるのではないかと思うぞ」
ゆっくりと優しく頭を撫でられて、私の視界が滲んで何も見えなくなってしまった。違うの。謝りたいのは違うことなの。嗚咽で詰まって言葉がなかなか出てこない。もどかしい。
戻りたい。貴方を拒む前に時を戻したい。
「まお、さっ……」
「だが、血を抜く際は痛くしてやる。お前の舌に、私の牙を突き刺してやろう。元の世界に戻してやるんだからそれくらいは我慢しろ」
「まって、待って……くだ、さ」
「なんだ、何を待てば良い? これ以上私は何を待たされるんだ?」
私を苛む言葉にずきりと心が痛んだ。魔王さまが私を責めている。その事実だけでも頭がどうにかなってしまいそうだった。
「怖じ気づいたか? そうだな、思い切り噛んでやるから痛いだろうな。だが怖じ気づいてもたもたしているとより血がお前に馴染んでしまうかもしれない。あまり待たせると手遅れになるかもしれんぞ。どちらが良い?」
魔王さまが今までに無いくらい早口でまくし立てた。見開いた赫の瞳が何かを訴えている。もう私のことを嫌と思っているのか、それとも私を迷わせて時間切れにしたいという未練なのかすらも分からない。私は愚かな人間だ。
愚かだから、私は真っ直ぐに貴方を見ることしかできない。絞り出した声はかすれて半分も音にならなかった。
「話を、聞いてください。ごめんなさい魔王さま」
「どうした。最後に言いたいことでもあるのか」
優しく笑いかけられてもそれがどんな意味をを持っているのか私には理解できない。それはとても悲しくて、酷いことだった。私は一体この人の何を見てきたのだろう。果たして本当に見ていたのだろうか。後悔しても時が戻るわけではない。
「最後じゃ嫌です。もっと、これからも聞いてください」
「……どういうことだ」
抱きとめる腕の力が緩んだので私は体を反転させた。そのまま魔王さまの体にしがみついて顔を埋めると、彼の動きがピタリと止まった。
「私、昨日酷いことを言って、それで……」
「なに、もうずいぶんと昔の話だ。お前が忘れていること自体は最初から知っていたから気にしていなかった」
「ごめんなさい」
「だが、ああも拒絶されると堪えたな。私もお前を縛る者たちの一人だったらしい」
「縛ってなんかいません!」
お腹の底から絞り出すように、私は大声を上げた。喉が渇いてかすれてしまってはいけない。涙で言葉にならなくなってはいけない。この言葉だけはちゃんと伝えないといけない。私は魔王さまの服を掴んですがりつきながら大声で続ける。
「縛ってなんていなかったんです。貴方があの時私を認めてくれたから、今日この日まで私は私のままでいられたんです」
「まさか……」
「思い出しました。いまさら思い出したんです。遠い日の貴方の言葉のおかげで私は私のしたいことを貫いてこれたのに!」
ふと、なにかが背中に触れた。びくりと身体を震わせてしまったけれどそれは魔王さまの手だった。優しく撫でるように背中から腰まで滑っていって、そのまま両腕が私を包んでいった。私は顔を上げてその表情を伺う。
驚くほど優しい顔で笑っていた。
「もう遅いのですか魔王さま。いまさら私の想いを伝えることは叶わないのですか」
「言えば良い。聞いている」
困ったような顔で笑いながら魔王さまは私の頬に流れる涙をすくった。いくら拭ってくれても溢れるばかりでぐしゃぐしゃだ。魔王さまはそれを見てさらに眉を下げて笑う。
「私、貴方と出会えて良かった。わたっ……わたし、貴方がすきです。ずっと、ずっと貴方の言葉が私の中に、っ」
すべてを言い切る前に背中を押されて魔王さまの胸に顔が埋まってしまった。息がしづらいほどに抱きしめられて苦しい。苦しいけれど、けして嫌ではなかった。
「そうか。ならば仕切り直しといこう。私と共にこの城で生きてくれるな?」
「はい」
「お前にとっては気が遠くなるほどの年月だぞ。共に朽ち果てるまで、千年近いからな」
「嬉しいです、魔王さま。ずっとお慕いしますね」
魔王さまは私を抱き上げて玉座の方へと歩いて行った。そのまま私を膝に乗せて位置に付く。それはいつもの私たちのあり方だった。きっとこれから先も同じように、何年も何百年も続いていく姿だ。
「お前は生涯自由に生きるが良い。しかし、ただ一つ、私だけはお前を縛り続けることを覚えておけ」
「どんとこいですわ」
そうして私たちはどちらからともなく顔を近づけて口づけを交わした。これから紡いでいく私たちの物語が、どうか平和で幸あるものであるように。
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