第5話

 アルバレイス学園入学試験、三日目。


 ククルの森を抜けたシシリィ達は、竜の墓標へ向かう渓谷を進んでいた。森から更に西へ、晴天の草原を歩くこと約一時間、竜の墓標へ続く渓谷へ差し掛かった。この渓谷は『枯れた渓谷(ウィザーバレー)』と呼ばれている。竜の墓標とは、ウィザーバレーの奥にある洞窟を指していた。


 緑一色だったククルの森や草原のすぐ間近にありながら、このウィザーバレーは文字通り枯れた谷だった。草一本生えていない渓谷は、褐色の岩が剥き出しとなっており、命の息吹は何一つ感じられない。


「気をつけて下さいね。竜の墓標に通じるここは、通称『悪魔の谷』と呼ばれています」


「悪魔の谷? 竜の墓標もそうだけど、随分と不吉な名前だな~」


 先頭を歩くシシリィは顔だけ振り返り、ヨハンの疑問に答えた。


「ヨハンさん、ここは文字通り不吉な場所なんですよ。草木が生えていないのは、ここが地表が岩だらけと言う事に関係があるそうなんです。生えた草や木を、お腹を空かせた魔物が食べてしまうそうなんです。草木の生えないここは、餌に乏しいですからね」


「ええ? じゃあ、ここにも魔物がいるの?」


 素っ頓狂な声を上げるヨハンに、アリアスとルージュが同時に「シー」と立てた人差し指を口に当てる。


「ええ、ですから気をつけて下さいね。魔物も危険ですが足場も不安定ですからね、ここは」


 吹き上げてくる風に揺れる三つ編みを押さえながら、シシリィは足下に広がる闇色の空間を見下ろした。


 蛇のようにくねる渓谷を通る道は、幅が二メートルほどしか無く、右手には断崖が天高く続いており、左手にある谷は見下ろしてみても底が見えなかった。


「………」


 地図を手にしたシシリィは、コンパスと見比べながら眼鏡の奥の瞳を細めた。


「アリアスさん、ちょっと良いですか?」


 足を止めたシシリィは、最後尾を歩くアリアスを呼び寄せた。


 王都アルバレイスを出た時は何も感じなかったが、ククルの森に入ってから、シシリィは一つの疑念を胸に抱いていた。その疑念が明確になったのは、つい先ほど。渓谷へ入った時だった。


「どうした?」


 横へ来たアリアスを、ルージュとヨハンから少し離れた所へ連れて行き、地図を広げた。二人に隠すようなことではないが、無用な混乱を広げることもないだろう。それに、シシリィは自分の考えに確証が持てたわけでもないのだ。


「この地図を見て下さい。ククルの森から少しおかしいと思っていたのですが」


 地図には、アルバレイスから竜の墓標への道が赤線で記されている。白魚のように白く透き通った指が、これまで歩いてきた道をなぞる。


「それがどうした? 道でも間違えたのか?」


「道は間違えていません。ククルの森でトラブルもありましたが、修正して本来のルートを通っています。だけど」


 シシリィは周囲を見渡す。頭上には、波打つ断崖に切り取られた狭い空が見え、足下には奈落が広がっている。


「このルートは危険すぎると思いませんか?竜の墓標へ至る道は幾つもあります。入学試験で、足を滑らせれば死ぬ可能性のある危険な場所を通らせるとは思えません」


 言葉を止めたシシリィは、少し離れた場所に立つルージュを振り返った。腕を組んだルージュは、ヨハンと二人、気まずそうな沈黙の中にいた。


 感じていることをアリアスに言うべきか、言わざるべきか。少しの間迷ったシシリィだったが、意を決してアリアスに自分の考えを告げた。


「ククルの森での盗賊の襲撃でも感じましたが、あれは、誰かを狙った物ではありませんか?」


 アリアスが、地図からルージュへと視線を移した。漆黒の目には、夜空に輝く星の如く、冴え冴えとした冷たい輝きが宿っていた。


「ルージュさんが、狙われているんじゃありませんか?」


 漆黒の瞳に何の変化も見られない。しかし、シシリィの言葉を肯定するように、アリアスはこちらに目を走らせる。


「そう思う根拠は?」


「アリアスさんの行動です。盗賊、いえ、あの動きからして、暗殺者と言えば良いでしょうか。あの時の襲撃の際、アリアスさんは真っ先にルージュさんを背中に置きましたよね?それと、今までの歩く位置からして、私が先頭、ヨハンさん、ルージュさん、最後にアリアスさんでした。それは、襲撃を予感していての事ではないでしょうか?」


「…………」


 アリアスは何も応えない。ただ、こちらの瞳を見つめるだけだ。


「それに、そうでもなければ、アリアスさんがオークの巣に私達を助けに来るとは思えません。最初、アリアスさんの視線は常にルージュさんを捕らえていたので、私はアリアスさんがルージュさんを好きなのかと思いました。しかし、ルージュさんの口振りからすると、アリアスさんとルージュさんは、名前は知っているけど面識は余りないのではないか、そう思いました。それに、アリアスさんのお父様は将軍です。剣術に優れたアリアスさんを、ルージュさんの護衛に付けても何なら不思議はありません。

 アリアスさんは、アルバレイス学園の入学よりも、ルージュさんの命を守るこが目的なのではありませんか? そうだとすれば、全てに説明が付きます。この危険なルート設定も、アリアスさんとルージュさんが同じチームにいるのも」


 全て言い切った時、アリアスが突然笑い出した。


 自分が立てた仮説は間違っていたのだろうか。だとしたら、アリアスは単純にルージュが好きなのだろうか。


「流石だな、良い線いってるよ」


 声を潜めたアリアスは、地図を覗き込むようにしてシシリィに囁いた。


「確かに、大体はシシリィの考えで当たってる。ただ一つ、違うことがあるけどな」


 それはルージュへの想いだろうか。判決を下される容疑者のように、緊張で心臓をバクバクさせながら、アリアスの下す判決を待った。


「ルージュの事は、正直どうとも思っていない。ただ、オークの巣に行ったのは、俺の意志じゃない。あれはヨハンの意志だ。アイツが、シシリィとルージュを助けようと言わなければ、俺は助けに行かなかった。と言うよりも、行けなかったと言うべきかな」


 恥ずかしそうに笑ったアリアスに、シシリィも笑みを浮かべた。


 深くアリアスを追求しなくても分かる。アリアスの変化は、やはりヨハンが深く関わっていた。魔神アルビスを宿しつつも、常に真っ直ぐに生きるヨハン。彼はセンスこそ皆に劣るが、人を引きつける不思議な魅力を秘めていた。生まれや才能では手に入らないものを、ヨハンはすでに持っているのだ。


「恐らく、このルートは貴族派の連中が仕組んだ物だろう。このルートだと竜の墓標へ行けないのか?」


「いえ。いけない事はありません。この道をまっすぐ行けば、今日の夕方には間違いなく竜の墓標へ辿り着けます。ただ、これが貴族派の選んだルートだとしたら、何かしら仕掛けがあると思いますけど」


「……今から戻っても、大幅に時間をロスするだけか」


 暫く考えたアリアスは、ヨハンとルージュに目をやった。


 ルージュの身だけを守るのだとしたら、ここで引き返すのが無難だ。しかし、シシリィもヨハンも、アルバレイス学園の合格を欲している。オールージュにいる家族のことを思うと、ここで引き返すという選択肢は考えられなかった。何としても、シシリィはこの先にある竜の墓標へ辿り着かなければいけない。


「アリアスさん、私は」


 このまま進もうと言おうとしたシシリィの言葉を、アリアスは手を挙げて遮った。


「このまま進もう、だろ? 竜の墓標まであと少しだ。竜の墓標に着けば、アルバレイス学園の他の生徒や、教師達も大勢いる。今日の夕方までルージュを守りきれば、貴族派の連中も手出しできないからな」


 アリアスの言葉にシシリィは、ホッと胸を撫で下ろしながら頷いた。


「ちょっと~! 何こそこそ相談してるのよ! さっさと行きましょうよ」


 腰に手をやったルージュが、眉をへの字に曲げてこちらを見ていた。その後ろでは、地面に這いつくばったヨハンが谷底を覗き込んでいる。


「何でもありません! アリアスさんに道の確認をしてもらっただけです」


「道の確認も何も、ここは一本道でしょう?」


 待ちきれないとばかりに歩き出したルージュは、シシリィの手から地図を取り上げると、先頭に立って歩き出した。


「ったく、誰のために相談していたと思ってるんだ。あ~あ、くだらねー」


 文句を言いながらも、埃を叩いて立ち上がったアリアスはルージュの後を追う。そんなアリアスの背中を見送っていたシシリィの耳に、ヨハンの声が聞こえた。


「あれ?」


「どうかしました? ヨハンさん」


 立ち上がったシシリィは、恐る恐るヨハンが横たわる縁へと近づいて行った。あと数歩でヨハンの横に立つという時、鋭いヨハンの声が渓谷に響き渡った。


「シシリィ! 来ちゃ駄目だ!」


 切羽詰まった怒鳴り声に、シシリィの動きは制止した。次の瞬間、シシリィが近づこうとした場所から、突風と共に白い何かが空高く舞い上がった。


 中天に差し掛かった太陽を背に、黒いシルエットが浮かび上がる。四枚の翼を広げた長い首の生物。鳥にしては、スケールが桁違いに大きいその生物は、太陽の周りを一度旋回すると、獲物を狙うかのようにこちらへ向けて急降下してきた。


「魔物だ! シシリィ! 逃げて!」


 立ち上がったヨハンは、空を見上げて立ち尽くすシシリィの手を取り走り出した。


 嵐のような羽ばたきと共に、先ほどまでシシリィが立っていた場所に、鋭い爪が突き刺さった。


「あれは、ロック鳥! このウィザーバレーの主です! 肉食で、知能も高く魔晶術も扱えます! そして性質は……!」


 急降下してくるロック鳥の爪が、再びシシリィに向かって振り下ろされた。シシリィはヨハンと共に壁際へ飛び、鋭い一撃をやり過ごす。


「性質はどう猛だって言うんでしょう? 説明は良いから!」


 耳元で怒鳴るヨハンに頷きながら、シシリィは先を行くアリアス達と合流した。


「くそ! オークの次はロック鳥かよ! 人間の方がまだ相手しやすいぜ!」


 両手に剣を持ったアリアスだったが、空を飛ぶロック鳥に攻撃が届くはずもない。



 カァァァァァァーーーー!



 甲高いロック鳥の声が渓谷に響き渡った。ロック鳥の周囲の空間が歪み、何本もの雷光がシシリィ達に向けて放たれた。咄嗟に飛んだシシリィ。しかし、雷光はシシリィ達から少し離れた場所へ着弾した。ホッとしたのも束の間。雷は細い道を舐めるようにして迫ってきた。


「ヤバイ! 逃げろ!」


 アリアスの掛け声に、シシリィは瞬時に反応した。呼吸を止め、振り返ることなく曲がりくねる道を進む。チームメイトのことが気になったが、気配と足音で、全員揃っていることが確認できた。


「あそこ! やり過ごしましょう!」


 真後ろから聞こえてきたルージュの声。その声が示すのは、五十メートル程先にある開けた場所だった。確かに、あそこならばロック鳥の魔晶術をやり過ごせるだろう。


 雷光が凄まじい音と閃光を上げて迫ってくる。シシリィは広場へ飛び込んだ。目の前を雷光が過ぎ去っていく。


「助かった~」


 荒い呼吸をするヨハン。しかし、まだ危機が去って訳ではなかった。ロック鳥の放つ魔晶術はやり過ごせたが、まだロック鳥本体が残っていた。


「……ッチ、マジーな。鳥のくせに、頭良いじゃねーか」


 広場にサッと影が差す。見上げると、翼を広げたロック鳥がゆっくりと下がってくる所だった。


「私達をここに誘ったって事ですか。……本に書いてある以上に、ロック鳥には知恵がある見たいですね」


 命があったら本の作者に抗議の手紙を書こうと決心しながら、シシリィは背中の槍を抜いた。


 ロック鳥は、翼を広げれば優に二十メートルはあるだろう。空を覆うロック鳥が迫ってくると、まるで空そのものが落ちてきたみたいな重圧を感じる。振りかざす爪は鋭く、人間の柔らかい肉を切り裂くには、十分すぎるほどの殺傷力を秘めていた。


「来るよ!」


 ヨハンが叫ぶ。


 ロック鳥の黄色い瞳が輝いた。その鋭い爪が狙っているのは、シシリィだった。


 鋭い爪が迫ってくる。シシリィは槍を構えて迷うことなく横へと走る。首に提げた魔晶具に触れ、魔晶術を引き出す。大気中の水分を凝縮させ、水の刃を生み出すが、それでどうにか出来る相手でないことは明白だった。


 水の刃を受けてもロック鳥の動きは鈍ることさえなかった。地上スレスレに滑るようにして、シシリィを捕らえようとするロック鳥。感情を宿さない黄色い瞳と目が合った時だった。視界の隅で動いた人影が、鋭い一言を発した。


「シシリィ! しゃがんで!」


 言われるがまま、シシリィは頭を抱える様にしてしゃがんだ。その一秒後、頭上で何かが弾ける音が聞こえた。


「え?」


 見上げたシシリィが目にしたのは、頭を粉砕され横倒しになるロック鳥だった。呆気にとられるシシリィ。ロック鳥の周囲には、ルージュの魔晶術であるビットがクルクルと回転しながら動いていた。


 ビットを見て、シシリィは何が起こったかを判断した。ルージュの一撃が、ロック鳥を討ったのだ。


「ま、いくら知恵があっても、所詮、鳥って事ね♪」


 ウインクをしながら、ルージュは手を差し伸べてくる。額に汗を光らせるルージュは、屈託のない笑みを浮かべていた。暫し、差し出された手を見つめていたシシリィは、ホッと息を付くとその手を握りしめた。

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大魔王の落とし物~入学試験は命がけ!~ 天生 諷 @amou_fuu

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