第4話
「爆裂!」
気合いの乗った声が常闇の中に響くと、パッとオレンジ色の花弁が開いた。その花弁は凄まじい熱量を持って広がり、地面を抉り、小川の水を瞬時にして沸騰させた。爆音と爆風が夜陰を振るわせ、ククルの森に潜む生物の眠りを妨げた。
「これで完璧だろう! 深さも大きさも、バッチリ! ちゃんと岩の表面だけを刳り貫いてるぜ」
そう言って胸を張るのはアリアスだ。先ほど魔晶術で吹き飛ばした一枚岩の表層に、大きな擂り鉢状の穴が空いていた。小川から水が流れ込み、まだ溶解しかかっている岩を冷却させ、水は瞬時に沸騰した。
「ちょっと待って、すぐに堰き止めるから!」
そう言って、ヨハンは周りから石を拾い集め、小川から流れ込む水の量と温度を調整した。これで、即席だが浴場が誕生した。
「シシリィ! 入りましょう。ヨハンとアリアスは、どっか行ってなさい」
「あいよ」
「は~い」
そう言って、男性陣二人は焚き火へと戻っていく。
旅装を脱ぎ捨て全裸となったルージュは、タオルで前面を隠しながら、少し熱めのお湯の中にそっと浸かった。
血行が良くなり、指先が痺れる様にジンジンする。オークに縛られた蔦の後がヒリヒリと痛むが、不快な痛みではなかった。ハァっと溜息をつき、ルージュは擂り鉢状の縁に体を預けた。隣ではシシリィが大きく伸びをしていた。眼鏡を外したシシリィは、グッと大人びた妖艶な雰囲気が漂っている。眼鏡を外した素顔は、見知った相手でもドキリとしてしまう。これが男だったら、きっとグッと惹かれる物があるのだろう。これが俗に言う眼鏡萌えというのか。
(眼鏡か、私も使ってみようかな……)
眼鏡を掛けたルージュを前にしたルシフルは、どんな表情を浮かべるだろうか。笑うだろうか、それとも、よく似合っていると褒めてくれるだろうか。想像するだけで自然とルージュの顔は綻ぶ。
「こんな時によくやりますね」
「え?」
シシリィの言葉に、ルージュは素っ頓狂な声を上げた。想像に没頭しすぎて、考えていることが口に出てしまったのだろうか。顔を赤らめて口を塞ぐルージュをよそに、シシリィは軽く顎で示した。その先には、焚き火の前でナイフを振るうヨハンの姿があった。彼の足下には、剣術のテキストが開かれている。
ちょこまかと動き、ナイフを振るう度、乾いた風斬り音が聞こえてくる。
「ああ、ヨハンね。昨日の夜もやっていたわね」
タオルで顔を拭いながら、目を細めヨハンを見つめた。
アルビスを内に宿す青年。田舎者で、突出したセンスが何一つ無い。大きな後ろ盾もない彼は、間違いなくアルバレイス学園に合格することは出来ないだろう。努力ではどうにも出来ない生まれの差で、彼は不合格通知を受けることになるだろう。
「あんな事しても無駄なのに」
何故、ヨハンはああも頑張れるのだろう。いくらルージュが現実を突きつけても、分かろうとしない。結果が出るまで諦めないと言い切るヨハン。何故か、彼を見ているとイライラしてくる。
「でも、羨ましいです。私もヨハンさんみたいに頑張れたら、って思う時があります」
「頑張って、努力して、オーガス家が再興できると思ってるの?」
「それは、……分かりません。出来ないかも知れないし、出来るかも知れません、やる前から駄目だと決めつけたら、そこで終わりじゃないですか。ヨハンさんも言っていましたけど、結果が出るまで分からないじゃないですか。少なくとも、ヨハンさんのように頑張れれば、どんな結果になろうとも後悔はしないと思うんですよね」
「感化されちゃって」
少しムッとしながらも、ルージュは遠目にヨハンを見つめた。迷いのない真っ直ぐな眼差しで、必死にナイフを振っている。そんなヨハンの向こうで、アリアスは岩に背を預け、ボンヤリとしている。彼の横には、アルビスの剣が無造作に立て掛けられている。
遠目でも見事だと分かる剣の装飾を見ていると、先ほどの会話が耳の奥に蘇ってきた。
「ねえ、どうして適性試験をアルビスで受けなかったのよ。アルビスなら、殆どのセンスが一五点なんじゃないの?」
素朴な疑問に、ヨハンは笑って応えた。
「アルビスは、関係ないんだよ。出来れば、僕はアルビスの力を借りずにこの試験を終えたかったんだ。アルビスを出せば合格できるかも知れない。だけど、それじゃ意味がないんだよ。自分の力でやり遂げることに意味があるんだ。それに、アルビスと交代するのも楽じゃないんだ」
「好きな時にアルビスを出せるんじゃないのか?」と、アリアスが口を挟んだ。
「うん。アルビスは僕が死にそうな時とか、一定の出血、もしくは気を失うか、寝ている時にしか出てこられないんだ。僕の意識がハッキリしている時にアルビスが強引に出てくると、僕の意識が壊れちゃうらしいんだ」
「なるほど。だから、オークにワザと切られたんですね?」
「うん。僕が死ぬような大怪我をしても、アルビスが体の中にいる限り、魔晶術で治してくれるからね。こういう危ない事は二度とするなって言ってるけど、今回は仕方がなかったんだよ」
白く浮き立つ肩にお湯を掛けながら、ルージュはヨハンの言葉を反芻した。
知らず知らずのうちに、自慢の髪をお湯に浸し解きほぐしていた。二日間の慣れない行軍で、髪はバサバサになっていた。
「自分の力でやり遂げることに意味がある、か」
「え? 何か言いましたか?」
呟きはシシリィに聞こえなかったのだろう。ルージュは「何でも無い」と応え、再びヨハンを見つめた。
暫くナイフを振っていたヨハンだったが、不意にアリアスが立ち上がると、足下に広げてあったテキストを遠くへ蹴飛ばしてしまった。
「あ」と小声を上げたシシリィは、ハラハラとした目をアリアスに向ける。
「五月蠅かったんじゃない? 間近であんな事をされていたらさ」
二人の会話を聞き取ろうと、ルージュは耳を澄ませた。
「あっ、何をするんだよ!」
アリアスの突然の行動に、声を荒げるヨハン。そんなヨハンを暫く見つめていたアリアスは、唐突に腰から剣を抜き放った。
焚き火から放たれる赤い光を受け、アリアスの剣は血を吸ったかのように、赤く不吉な輝きを発した。
「ナイフを構えろ。俺が戦い方を教えてやる。テキストを見るより、全然役に立つと思うぜ」
「アリアス……!」
それは、思いがけない一言だった。ヨハンにしてもシシリィにしても、即座にアリアスの言葉を理解できなかったに違いない。何よりも、一番驚いていたのはルージュだった。
置かれている状況は違うが、同じ貴族としての立場はルージュと余り変わらないはずだ。親の決めたレールに乗るのを嫌い、せめてもの反抗としてアルバレイス学園へ逃げ場を求めた。アリアスは自分を殺し、無気力になることで未来を否定しようとしていた。
それがどうだろう。アリアスは自らの意志で立ち上がり、ヨハンに剣術を指南しようとしている。残りたった二日。それで、ヨハンとの繋がりも切れるというのに。
相変わらずの仏頂面を浮かべつつも、ヨハンを相手にするアリアスは何処か楽しそうでもあった。
「良いですね、こういう雰囲気。私、仲間って初めてかも知れません」
アリアスの叱責を受けながらも、必死に付いていこうとするヨハン。ルージュの目から見ても、ヨハンの動きは素人そのものだったが、アリアスは体の動かし方から足の運びまで丁寧にレクチャーしていた。
「ふんっ、めんどくさい」
二人から目を離したルージュは、水面に浮かぶ月を見つめた。僅かに体が動くだけで波紋がおき、真円を描く月の形を崩す。
溜息をついてしまったルージュを、横に座るシシリィがクスリと笑った。ジロリとシシリィを睨み付けるが、その行為でシシリィが再び笑った。口にはしないが、シシリィは自分が子供じみていると言いたいのだろう。そんな事、言われなくても分かっている。
その時、ルージュの視線はシシリィの胸元へ注がれた。そこにある物を見て、ハッと息を飲んだ。
「シシリィ……、貴方って、もしかして着痩せするタイプ?」
水面から僅かに覗く胸元には、大きく形の良いふくらみが二つ付いていた。その隣にある貧相な胸とは、比べるのもおこがましい。
「え? ええ、良く言われます……」
ルージュの胸をチラリと見たシシリィは、引きつった笑みを口元に浮かべた。
(悪かったわね! どうせ私は、体だって子供じみてるわよ!)
胸の中で愚痴るルージュに、シシリィは励ますように、
「でも、もう少しすれば、きっと大きくなりますよ。私は、ルージュさんよりも一つ年上ですし」
「あと一年で埋まるような差じゃないんだけど……」
ハァと、これ見よがしに溜息をついたルージュは、自分の胸に手を添える。容姿で言えば、唯一コンプレックスとも言える小さな胸。シシリィはあと一年経てばと言うが、数多くいる姉も、漏れなくルージュと同じく貧乳なので、救いがない。
「良いわよ、気にしないで。どうもエバーラスティング家は、貧乳の家系らしいから」
「そんな家系、あるんですか……?」
「生まればかりはどうしようもないわよ。努力した所で、どうにかなる物じゃないし」
そこまで言ったルージュは、心臓を鷲づかみにされたように苦しくなった。同じ言葉を、ルージュはヨハンに幾度となくぶつけていたのだ。
「生まればかりはどうしようもない、か……」
望む望まないに限らず、生まれはどうにも出来ない。ルージュはエバーラスティングを捨てたいと言うが、ヨハンは貴族の名が欲しいと言うだろう。
だが、生まれの事でヨハンが文句を言うとは思えない。彼は今置かれた状況で、精一杯、一生懸命生きようとするだろう。
ルージュとヨハンの考え方、人生に対する意識が違うのは、表面的な身分の差ではなく、もっと人間の根幹に当たる部分なのかも知れない。
自分の胸から目を上げたルージュは、もう一度遠目に映るヨハンを見つめた。
闇の中、炎の光で浮かび上がる彼の姿は、まるで炎を纏う太陽のようだった。
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