見習い騎士の転換点 後編

 しばらく走ると、桃色のツインテールの少女が視界に入る。声をかけようとしたが、彼女の目の前に大型獣が立っているのを見て、言葉を飲み込んだ。大型獣の足下には意識を失ったらしい青年が横たわっている。

 リアは右手に小さな本、左手に腕の長さほどの小さな杖を持って、大型獣と対峙していた。彼女から発せられる雰囲気は鋭く、只者ではなかった。こんなに張りつめた空気を出せる人だったのかと知り、心底驚いていた。

 獣の視線がこっちに振り向きそうなのを見て、僕は慌てて大木の陰に身を潜める。そこから顔を出して、大型獣を観察した。

 大型獣は非常に大きな図体をしており、人間たちを悠々と見下ろしていた。あの巨大な前足を振れば、人など簡単に弾き飛ばしてしまうだろう。頭には大きな角、尻からは長い尻尾が生えている。ざらざらとした体の表面の色は濃い灰色で、四本足でどっしりと構えていた。

 距離をつけて見ただけでも、立ちすくんでしまうほどの威圧感がある。だがそれより近くにいる彼女は引き腰にならずに、果敢に立ち向かっていた。

「彼から離れなさい!」

 大きな声で気を引こうとしている。大型獣はリアをじっと見て、唸り声をあげた。


『……私の楽しみを邪魔するな』


 獣の口から野太い声が出される。人語を喋る獣を僕は初めて見た。国内には何匹かいるらしいが、実際に見たという証言はほとんどなかった。なぜなら出会った者の多くが殺されているからだ。

 その事実を思い出し、僕はどっと汗が噴き出してきた。今、僕は一生の中で最も危険な地帯に踏み入れているのではないか?

 そんな危険な相手にも関わらず、リアは震えすら微塵も感じない声を発した。

「楽しみですって? 人間をいたぶることが楽しみだなんて、嫌な性格ね」

『なんだと? 勝手に作り出して、必要がなくなったら殺そうとした人間に言われたくはない!』

 怒りの声と共に、獣はリアに向かって鋭い爪を振りかざした。

 彼女は慌てずに、後ろに跳躍して攻撃をかわす。華麗で俊敏な動きにより、獣の爪は宙を裂いた。

 後退したリアは、口を動かしながら、獣に向けて杖を軽く縦に振った。杖から閃光が放たれると、獣の動きが一瞬鈍くなる。

詠唱をし、杖から何かを放つ行為は、魔法を発動する際によくする行動だ。つまり彼女は魔法使いだったのか?

 リアは軽く視線を本に落とす。その隙を獣は逃さず、すぐさま鋭い爪でひっかこうとしてきた。彼女は本を閉じ、横に移動して攻撃をかわす。しかし動くのが少し遅かったのか、獣の爪はリアの服をかすった。

 彼女は歯を噛みしめつつ、襲いくる攻撃を寸前のところで次々とかわしていった。息を吐く暇もない攻防。その光景を僕は息を殺して見ていることしかできなかった。

 序盤は五分五分かと思ったが、徐々にリアにも疲れが出てきたのか、爪が体をかする回数も増えていった。やがてうまくかわせずに、左腕がざっくり切られた。左腕を右手でかばいながら数歩下がる。彼女の呼吸は荒々しくなっていたが、鋭い視線は衰えていなかった。

 獣が目を細めてリアをつぶさに観察する。

『その魔力の雰囲気と戦い方、お前は昔俺に楯突いた男と女の娘だな?』

 獣は腹に一直線に伸びている傷を忌々しい顔つきで見た。

 あれほどの傷を負わせる人が彼女の両親? 言い換えれば、彼女自身もその力を引き継いでいるということか?

 リアはくすりと笑みを浮かべた。

「あら、よくわかったわね。十年前、あなたにその傷を負わせたのは私の両親よ」

 血が流れているにも関わらず、リアは背筋を伸ばし、しっかりとした口調で言い放った。

「十年前、あなたは私たちの村に踏み入れようとした。そこで多くの人が抵抗し、傷つけられ、死者も出た。私たちの両親も全身全霊の力を使い、あなたを倒した――はずだった」

 語尾が強くなり、唇を噛む。そしてきっと睨みつけた。


「なのに、あなたは今、ここに存在している! どうしているの? 二人の命を持ってしても、なぜ生きているのよ!」


 杖を真っ直ぐ獣へ向ける。そこにはあどけない笑顔などどこか置いていった、憎しみという感情を露わにした少女がいた。


「これ以上、村に近づくのなら、今度は私がこの村を守る。リア・イマージの名にかけて!」


 凛とした強い主張は、びくびくしていた僕には絶対できないことだった。その言葉が胸に深く突き刺さる。これが舞台の上だったら、彼女の頭上には光が燦々と当たり、物語もいよいよ最高潮の時だろう。

 だが、威勢のいい声を発しても、現実に勝てるかどうかは別の問題だ。客観的に判断すると、リアは追い詰められているように見える。ならば戦況を変えるのは、第三者の介入か。

 不意に一つの考えが頭をよぎる。しかし僕はすぐにその考えを振り払った。それはあまりにも今の自分にはあり得ないことだった。

 彼女を助けるためには、加勢できる力を持った誰かを連れてくるのがいいだろう。僕は背中を彼女に向けて、こっそりその場から離脱しようとした。

 再び戦闘が激化したのか、獣の唸り声とリアの叫び声が耳に入ってくる。一度は決心したが、足を止めるには十分すぎる状況になっていた。

 視線を下げれば、腰には剣がある。ずっと共に過ごしてきた、見習い騎士の剣。この村に来てからも、鍛錬をし、手入れをし忘れた日はない。剣の柄に手を添えると、小刻みに手が震えているのに気付いた。

 僕の剣の腕は同期の中では上の中くらい、模擬演習時には多くの人を打ち負かせた経験はある。だが実戦に関しては、実力差がある相手を見ると手が震えてしまい、思うように剣を振れなかった。

 自嘲気味に笑みを浮かべる。ずっと気づいてはいたが、改めて思い直すのが怖かった。

 僕は命の駆け引きをするとなった場合、真っ先に体が反応してしまい、まともに動かなくなる。これを克服しない限り、騎士になるのは相当難しいだろう。

 その時、激しい音と共にリアの悲痛な声が耳に入ってきた。

「……っ痛!」

 反射的に振り返る。彼女は背中を木に強く打ち、その下で喘ぎながら地面に転がっていた。

 大型獣はそんな彼女を冷たい目で見下ろしている。そして一歩一歩詰め寄りながら、彼女が使用していた杖を踏んで真っ二つに割って、近づいていった。

『これでわかっただろう。明らかな実力差があるということを。お前自身がもっと強くならなければ、結末は何も変わらない』

 大型獣は爪を見せつけ、リア向かって腕を振り落とす。

 攻撃を仕掛けられても彼女が動けない状態であるのを見て、僕は背中を強く押された気がした。無意識の内に柄を握りしめ、大木の裏から出て獣に一喝する。

「待て!」

 獣は動きを止めて、うるさそうな目で僕を見てきた。

 目を疑っている彼女の表情がちらりと視界に入ったが、すぐに獣だけに視線を戻した。そして僕は迷いなく剣を抜き、獣に切っ先を向けた。

 剣を構えた瞬間、僕は目を大きく見開く。抜いた剣がいつも使っている細剣ではなく、太い刀身が薄い青色で輝いている、一人前の騎士が使っているものだった。

 これはなんだ――と、思考が一瞬剣に向けられたが、すぐさま意識を戻して、警戒している獣に目を向けた。

 はっきり言って、相手になるとは思えない。だがリアが頑張ってくれた分、相手も疲弊しているはずだ。その点は分があるはずである。とにかく獣の動きだけに集中して攻めようと覚悟を決めて、獣に向かって勢いよく飛び込んでいった。



 * * *



 気がつけば、僕は冷たい地面の上で横になっていた。視線の先に見えるのは、葉の間から漏れる眩しい光。手を軽くかざして、少し光を遮った。意識を失っている間に薄暗い雲はどこかにいってしまったらしい。

 もう少し状況を把握するために起き上がると、全身に激痛が走った。切り傷や打撲傷があるだけでなく、全体的に体が重い。体の上には汚れている白いマントが被せられていた。それを見て、瞬時に脳が覚醒した。

 白いマントの持ち主の少女はどこにいる?

 そしてさっきの戦闘の結末はどうなった?

 無我夢中だったためか、残念ながら記憶にはなかった。だが僕が生きているということは、悪い結果ではなかったと思いたい。

 少しして草木を踏み分ける音が聞こえてきた。

「あら、ようやく起きたのね、ウォルタ。よかったわ、日が暮れるまでに起きてくれて。そうでなければ貴方を無理矢理起こさなくてはならなかったもの」

 声をかけられた方に向けると、桃色の髪の少女が歩いてきていた。

「リア? ああ、無事だったんだね。良かった……」

 彼女の服は至るところが切れ、左腕は白い布で縛られているが、普通に歩いている姿から大事に至っていないことがわかり、胸をなで下ろす。

「ねえ、あの大型獣はいったいどうなったんだ?」

「まさか覚えてないの?」

 目をパチクリしながら、リアは僕の前で腰を下ろす。そして渋い顔で視線を横に向けた。

「さっきの戦闘は悪くなかったし、求めていた剣が抜けたからその点は合格点だけど、今の発言からすると無我夢中過ぎて記憶にはないってところかな。これは他の部分で若干減点かも……」


「減点?」


 聞きなれない言葉が出て、今度は僕が目を見張る番だった。

「言っている意味がよくわからないんだけど、とりあえず僕がどうなったか教えてくれる?」

「いいわよ、簡単に説明してあげる。ウォルタは大型獣相手に果敢に切りかかっていたわ。悪戦苦闘しつつも、ある程度傷を負わすことができた。大型獣は堪らずこの場から逃げ、貴方は疲れたのか気を失ってしまったわけ。……出てきてくれたのは嬉しかったけど、人を守る立場になりたいのなら、戦闘後のことも考えて。自力で村に戻れるくらいの体力は残しなさい」

 リアは淡々と説明をし、最後は毅然とした態度で突き放した。

彼女の言っていることはもっともだ。仮に大型獣の仲間がいた場合、今回のように一匹だけを相手して、その場で力尽きてしまったら、その後仲間に襲われる場合がある。安全な場所に移動するまで、緊張の糸が切れてはいけないのだ。

「本当の戦闘だったら、やってはいけない行為よね……。意識を失ったのは、よく考えるとかなりの減点行為かな……」

「本当の戦闘? ちょっと待って、どういう意味? なんかさ、僕とリアとの間で考えていることが違う気がするんだけど」

「ええ、違うでしょうね。……私が黙っておく段階は過ぎたから、もう話しちゃおうか」

 楽しそうに喋る姿を見て、妙な胸騒ぎがした。唾を飲み込んで、彼女の言葉を聞く。

「最初に会ったときに言ったでしょ、私は貴方を監視しますって。そのまんまの意味よ。今回、騎士になるために見習い騎士が地方に来て、色々な仕事をして点数を稼ぐっていう試験だけど、本当にそれだけだと思っていた? 実はもう一つ課題があるのよ。ウォルタ、その剣の秘密を知らないの?」

「秘密?」

 この剣は見習い騎士になったときに支給される、ただの剣ではないのか?

彼女の質問に対して首を傾げるしかできない。彼女はそれを見て溜息を吐く。

「あのね、騎士になりたいのなら、これくらい知っておきなさい。――その剣はね、剣が持ち主の意思を汲み取って、ここぞというときに真の力を発揮する剣なのよ。細くて折れそうな剣ではなくて、太くて頑丈な立派な剣になるの。その剣を出すことが騎士になるための第一歩であり、試験課題の一つ」

 そんな話をどこかの講義で聞いたような……。

「実際に起こった事件を解決するときに、その力を引き出してくれるのが一番いいんだけど、たまにいるのよね、剣を抜く機会すら避けるヘタレの見習いが」

 それって、さりげに僕のことを言っている?

 確かにそういう機会を極力避けるようにして、日々過ごしてきた。万が一、剣を抜かなければならない状態になったとき、引っ込み思案の性格が災いとなって、抜くタイミングが遅くなった結果、他の人に迷惑をかけないようにするために。決して怖いとかそういう理由ではなく……。

 必死に反論の言葉を探していると、リアはさらに衝撃の事実を打ち明けた。

「そういうとき、監視役となった人間が荒療治として事件を起こす場合もあるわけ。ちなみに監視役は点数の加算の確認をしている人間でもあるからね。――もし私が起こした事件にウォルタが飛び込まなければ、試験はほぼ落ちたも同然よ。今回はきちんと対処してくれたし、求めていた剣も抜いてくれたから良かったわ」

 僕の頭の中の整理が追い付かない。監視とは僕という個人ではなく、見習い騎士の僕を理由があって監視していたのか? 理由は試験の一つっていうこと?

 その時、背後にある葉が小刻みに揺れ始めた。それは段々と大きくなり、ついにはその揺れの元凶である何かが地面を揺らしながら現れた。おそるおそる振り返ると、先ほど対峙した大型獣が歩いてきていた。

「リ、リア、今度こそ逃げないと!」

 しかし彼女は僕の言葉にまったく関心を抱かず、獣の方へと歩み寄っていた。

「リア!」

 叫んだが、もう彼女と獣の間は爪を下ろせる距離になっていた。

 すると真っ青になった僕に向かって、彼女はきょとんとした顔で振り返る。そして頭を下げた獣の頭に手をのせた。

「逃げるって、何から?」

 口をあんぐりと開けている僕に向かって、彼女はにっこり笑みを浮かべた。

「この子は私の友達。どうして逃げる必要があるの?」

『……まったく、君がすぐにリアを助けに出てくれれば、彼女の服をこんなにも傷つける羽目にはならなかったのに』

 リアはカバンから出した赤い果実を僕に向かって投げつける。それは僕の横を通過して、後ろにある木に衝突した。衝突した部分は赤く染まり、まるで血のようにも見えた。

 それを見て、すべてが繋がった。大型獣とリアとの対決は、ただの芝居だった。血のような赤さも攻撃も、すべては僕が行動を起こすための前座だったのだ。

 リアは固まっている僕に近づき、両手を腰に当てて見下ろしてきた。

「私の村に来た見習いは、今までかなりの早さで騎士になった、いえ、そうなるように押し上げたわ。その実績を無碍にしないためにも、ウォルタも必死になって私から出す課題や時々起こる本当の事件をしっかり解決していきなさい。ただし採点は甘くしないわよ。村長である父さんからも、厳しくしなさいと言われているから。――さて、覚悟はいいわね?」

 紙の束を取りだし、彼女は中身を見て、ふふっと笑う。果たしてそこに何が書かれているのだろうか。ただ単に魔法関係の内容をメモしたものだけではないだろう。きっと僕にとってはろくでもない内容が書かれているに違いない。

 真実を知って愕然としている僕に対し、リアが腕を引っ張ると、全身に痛みが走った。

「痛っ!」

「痛いとか言っていないで、早く村に帰るわよ。今日中にやってもらいたいことが他にもあるんだから。あ、そういえばバスケットは?」

 含みを込めた笑顔を近づけられる。僕はそれを見て、瞬間的に背筋が凍りついた。

「ウォルタ、頼んだことをやるのは最低限の義務よ? 薬草摘み、つまらなかった? それなら今度はもう少し刺激的な仕事をさせようかしら……?」

 まるで悪女のような笑みを向けられる。彼女が言っている刺激的な仕事が想像できない。命の危険性もはらむのではないのだろうか。それは是非ともお断りしたい!

 僕は彼女の手を思いっきり振り払い、慌ててその場から逃げだした。

リアは僕の名前を呼びながら、意気揚々と追いかけてくる。それを見て、さらに走る速度をあげた。

 ああ、一瞬でもリアに気を許したのが間違いだった。彼女は他人を振り回す迷惑極まりない少女だ。ずっと一緒にいたら体がもたないに決まっている!


「お願いだから、僕は自分のペースで騎士になれればいいから、もう構わないで!」


 次の瞬間、僕は木の根っこに激しく躓いたのだった。





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見習い騎士の転換点 桐谷瑞香 @mizuka_k

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