見習い騎士の転換点

桐谷瑞香

見習い騎士の転換点 前編

「初めまして。これから貴方を監視させていただきます。――覚悟はいいですね?」


 僕が宿を出た途端、目の前に現れた桃色の髪の少女はにっこり微笑んでそう言った。それを聞いた僕はすぐに状況が飲み込めなかった。

 呆然としていると、少女は僕に近づき、目と鼻の先まで寄ってきた。ぱっちりとした瞳、長いツインテール、そして十代半ばにしては発達した胸。彼女の胸に視線を落とし、頬を赤くしていると、僕の足は少女に踏まれた。

「痛っ……!」

「繰り返します。覚悟はいいですね? ちゃんと返事をしてください」

「は、はい……」

 嫌々ながらも言うと、少女は満面の笑みを浮かべた。しかしそれとは裏腹に足を踏む力は強くなる。

「紳士たる騎士になる予定のお方が、そのような表情をしていては、女性に失礼ですよ?」

彼女に言われて伸ばしかけた鼻の下を元に戻すと、彼女はようやく足をどけてくれた。

 少女との出会いにより、騎士を目指す日々が急展開を迎えるなど、その瞬間は思いもしていなかった。



 * * *



 カーテンの隙間から漏れ出る光が顔に当たり、僕は薄らと目を開けた。視線の先にはいつも就寝前後に見ている天井。わくわくしたり、ドキドキするといった特別なことが起きるわけでもない、平凡な一日が始まる――。

 ゆっくり体を動かして、寝ている脳を起こしていく。そして頭が少しずつはっきりしてきたところで、宿に併設されている食堂に向かった。


 朝食の混雑している時間帯も過ぎていたため、店内は比較的空いていた。窓の近くの椅子に座って、メニューを軽く眺めてから注文をする。食事が出されるまでは左肘をつき、ぼんやりと外を眺めた。

 変わらない風景、変わらない日常、変わらない自分――。それが一番いいはずだ。変化を求めれば、自ずと辛いことが待ち受けている。率先してその中に飛び込んでいっても、いいことがあるわけない。

 ふと、机に人影が映ったので、もう食事がきたのかと思い、視線を上げかける。だが途中で桃色の髪が視界に入ると、無言で席を立ち、他に空いている席を探し始めた。

「どうして席を立つのよ。ここはあなたの席でしょ、ウォルタ!」

 少女の元気な声に反応することなく、店内を見渡す。すると奥まった場所にある一人席を発見した。

「無視しないでよ! 聞こえているのでしょ!」

 何も聞こえない、何も見えない。僕はそう暗示ながら、黙々と机に向かっていく。

「ひ、酷い……。これってあんまりだわ……!」

 声のトーンが変わったので、思わず振り返ると、彼女は今にも泣きそうな顔で俯いていた。その姿を見た僕はさすがに無視はできなかった。

「私が悪かったのね、そうなのね……」

 彼女の目からぽろりと涙がこぼれ落ちる。食堂にいる人たちからきつい視線が突き刺さってきた。元を正せば僕の方が被害者なのだが、この光景だけを見た人たちからすれば僕が悪者だと思うだろう。

僕は近くにあった二人席に腰を下ろすと、溜息を吐いた。

「リア……、とりあえず座って。目立つから」

「でも、ウォルタは私のことを――」

「いいから座って。話だけ聞くから」

 僕が肩をすくめて言うと、リアの目元に溜まっていた涙は一瞬でなくなった。そして彼女は口元を緩めて僕の正面に座る。

 どうせあの涙は嘘泣きだとわかっていた。それでも周りの目を考えると、演技であってもやられた側は非常に苦しい。今は我慢して話を聞き、適当に彼女の機嫌をとるほうがいいだろう。

 リアは目を輝かせて、僕のことを見てくる。

「ねえ、ウォルタ、今日はどこに行くの?」

「まだ決まっていない。……ねえ、いつまで僕に付きまとうの?」

 運ばれてきたパンを食べながら、極力視線を合わせないようにして問いかける。

「あら、それは前にも言ったでしょ、然るべき時までって。別にいいじゃない、減るものでもないのだから」

「君が傍にいると、気が散って集中できない。ただでさえ僕はたくさんの仕事をこなさなくてはならないのに……」

 今後のことや彼女のことを考えるだけで、頭痛がしてくる。水を飲んで、また息を吐きだした。

 見習い騎士である僕は、騎士になるための試験の一つとして、地方にあるイマージ村に派遣されている。この村で様々な仕事をこなし、それらの量と質によってある段階を超えると、次の試験が受けられる仕組みとなっていた。

 僕たちへの仕事は、予め騎士団と提携しているギルドで集められている。見習い騎士への依頼料金は破格の安さのため、量はそれなりにあった。

 しかし試験を突破する段階を超えるには、相当の量をこなすか、村の存続に関わる重大事件を解決するしか道はなかった。

 村人の警護をしたり、ゴロツキを何十回蹴散らすだけでは、その段階には到底及ばない。それに村の一大事など、そう滅多に起きるわけでもない。

 それゆえ、騎士になるための訓練や試験はいくつかあるが、今回の地方派遣は一番時間がかかり、かつ脱落者が多い試験でもあった。

 だから今日もとりあえずギルドに行き、仕事があるか聞いて、地道にこなしていくしかないのだ。

 しかしその行動を遮るかのように、リアは発言してくる。

「特に行く場所が決まっていないのなら、私の用事に付き合ってくれない?」

 僕はあからさまに嫌な表情をリアに向けた。

 彼女は僕がこの村に赴任した当初から、何かと言いくるめて跡をつけてくる、もしくは彼女自身の考えを押し付けて行動させようとする、迷惑極まりない少女である。

 なぜ監視するのか、試験と関係があることなのか、など何度も聞いた。しかし彼女の口からはっきりとした回答は得られなかった。あまりにも頻繁に付きまとってくるため、時に冷たく突き放したりもしたが、彼女はめげずに図々しくも一緒にいるのだった。

「何も言わないってことは、付き合ってくれるのね? よかった、こんなこと頼めるの、ウォルタしかいないのよ」

 彼女の言葉を聞き、今までの経験からしてあまりいい予感はしなかった。僕の脳内では急いで彼女から離れるよう指令が出ている。それに従い慌てて席を立った。だが途端に強い力で左手を引っ張られる。

「ご飯も食べ終わったのなら行きましょう。あまり私の手を煩わせないで」

 誰もが見とれてしまいそうな笑顔を向けられる。だが、それとは別に握られる手が強くなっていく。しまいには骨が軋む音が聞こえてきた。

 僕はたまらず声をあげる。

「わ、わかったから! ついていくから! さっさと案内してくれ!」

いつまでこんな生活が続くのだろうか……。漠然とした不安が僕の心の中を覆う。

 見習い期間を終えて騎士になりたい。しかしそれよりも一刻も早く彼女の手から逃れたかった。

 部屋に戻って急いで支度をし、紺色のマントを羽織る。金色の髪がよく生えるマントだと、リアに言われたことがあった。見習いであるが、皆から頼られる象徴でもあるらしい。だからかマントを羽織ると、いつも以上に気持ちが引き締まった。

 部屋を出る前に日々の稽古で使用している、腰より長い長剣を持って外に出た。

 宿の外にある木の下で、黄緑色の瞳でじっと紙の束を見つめているリアを見つける。澄ました顔で立っている彼女は、品のいいお嬢さんに見えた。白を基調とした服を着ているからか、いっそうそういう風に見えた。

 リアは僕に気付くと、紙の束を小さな肩掛け鞄にしまい、嬉しそうに駆け寄ってきた。

「じゃあ行きましょう、ウォルタ」

 今日はどこへ連れていかれるのだろうか。平凡な毎日を過ごしたい気持ちと、平凡ではない出来事を密かに楽しみにしている想いが交錯しながら、僕は彼女の後を追った。


「見て、素晴らしい薬草がたくさんあるでしょう! これを摘んで売れば、いい額になるわよ」

「え……、売るの?」

「摘んだものは、このバスケットに入れてね」

 リアは僕の言葉を流して、一面に広がる薬草を摘み始める。

 僕が連れて来られたのは村外れにある、村の中でもあまり知られていない薬草が豊富に生えている場所だ。腰を下ろしてせっせと摘んでいる彼女を見下ろしながら、疑問を投げかけた。

「ねえ、どうして薬草摘みを?」

「お小遣い稼ぎよ。それにこの村は薬草が不足しがちだから、少しでも貢献できないかって」

 時折リアが見せる、村に対する思いを真摯な表情で語る姿はとても魅力的で、ついつい見とれてしまう。しかし彼女の表情が一転し、含みがある笑みを浮かべられると、反射的に警戒した。

「ほら、早くこの種類の薬草を摘んでちょうだい。このままだと次の場所に行けないわよ?」

「え、ここだけじゃないの?」

「他の種類の薬草も摘みたいのよ。ああ、そっちの群生、すべてとってちょうだい!」

 指で示した先には、視界からはみ出すくらいの大量の草花が生えている。その量を見て、顔をひきつらせた。ただ働きで、ここまでしなくてはいけないのか!

 拒否したかったが、突き刺さる視線が痛い。ここで放り投げれば、彼女は村の人たちに、「ウォルタは薬草摘みを放棄した見習い騎士」と言いふらすだろう。

 歯をぐっと噛みしめて、溢れ出そうになった言葉を抑え込む。そして無心で薬草を次々と摘み始めた。

 リアに言われた部分を四分の一程度摘んだ頃、不意に生ぬるい風が吹き、木々がざわめきだした。空は雲に覆われ、薄暗くなっている。空気は肌寒さを感じるほどの温度へと急激に下がっていた。

「嫌な空気ね。雨でも降るのかしら? 帰るときに雨が降られても困るから、適当な量をとったら村に戻りましょう」

「わかった。それじゃあ、これくらいでどうだい?」

 僕は薬草を入れたバスケットを抱えて、リアのもとに寄った。バスケットの中は薬草が小さな山となっている。彼女はその量を見て微笑んだ。

 その時、体を震わすような獣の遠吠えがした。低く重みがあり、若干癖のある鳴き声――それはここら辺で最も危険と言われている大型獣の鳴き声にそっくりだった。

 聞いた瞬間、僕は鳥肌がたった。危険なものが近くにいると、全身が反応している。

「リア、急いで戻ろう。ぼうっとしていないで、早く!」

 僕の判断は普通の人であれば当然のものだった。僕が思い描いている大型獣であるならば、立ち向かえるのはそれなりに戦いを経験した騎士くらいだ。見習い程度では歯がたつはずがない。僕はといえば既に手が震え始めている。この状態で何かできるわけがない。

 しかし、リアは表情を険しくしているが、先ほどまでとは違う雰囲気を漂わせていた。

「リア?」

「……今の鳴き声は、獣が誰かに対して威嚇している声。つまり獣のすぐ近くに誰かいるわ」

「それって、その人がすごく危ない状態なんじゃ……」

「そうね」

 彼女はさらりと言う。顔を強張らせているが、何か深く考え込んでいるように見えた。

 僕は思わず彼女の腕を握った。目を丸くした顔を向けられる。

「何かしら?」

「すぐに村に戻ろう。僕たちまで襲われたら大変だ。さあ―」

 軽く腕を引いたが、それを振り払われる。唖然としながら黄緑色の瞳を見つめると、静かに微笑まれた。

「ありがとう。ウォルタって本当に優しいよね」

「そ、そんなことよりも早く!」

「そうね、早く逃げるべきだとは思っている。でもごめんね、やらなければいけないことを思いついたから、先にこれを持って村に戻っていて。―いつも付き合ってくれて、ありがとう」

 彼女の微笑みに見とれて、何も言い返せずにいると、バスケットを無理矢理押し付けられた。そして彼女は踵を返して、その場から去っていった。

 彼女の背中がどんどん小さくなっていく。僕はそれをぼんやりと眺めていた。

 リアはどこに行くのだろうか。あの方向は村ではない。なら、どこへ――。

 考えていると、またあの遠吠えが聞こえた。鼓動が速くなる。すぐにここから立ち去ろうと思い、バスケットを抱え直して、リアとは逆方向に走ろうとした。だが唐突に彼女が走っていった方向に何がいるのか察し、足を止めた。

「ちょっと待ってくれ。あっちに向かって何をするつもりだ?」

 彼女が向かったのは獣がいるだろう方角。誰もが遭遇したら逃げたいと思っている相手がいる地に、誰かを助けるためにそこへ向かっているのだろうか? なんて無謀な行動をするんだ!

 いやいや、別の道を通って、村へ逃げた可能性もある。僕にその道を教えたくなくて、先に戻ったのではないか? 僕よりも長く村にいる少女だ、それくらいの道、知っていてもおかしくない。

「って……、違うに決まっているだろう!」

 後から思い浮かんだ考えをすぐさま却下した。あの表情や台詞、そして彼女の性格からして、逃げるはずがない。

 僕はバスケットを地面に置き、震える手をぎゅっと握りしめた。そしてリアの背中が消えていった方向を見る。薄暗い森が広がっていた。唾をごくりと飲み込み、帯剣しているのを目と手で確認してから、紺色のマントを翻して彼女の背中を追って走り出した。


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