後日談5 未来へ続く扉を開く鍵
未来へ続く扉を開く鍵
どこまでも透き通る青空が広がる中、ミスガルム領の主要な町の一つであるシュリッセル町は、いつになく賑わっていた。町民たちはもちろんのこと、他の町から訪れている人たちでもごった返している。
町にいる人々が目的としている出来事が始まるまではもう少し先。それが始まる前に少しでも売り込もうと、町の商人たちは声を張り上げていた。
その様子を眺めながら紺色の髪を背中に流したメリッグは、足と腕を組んで噴水の傍にあるベンチに座っていた。行き交う人たちは誰もが明るい表情をしている。既に幸せな雰囲気は波及しているようだ。
しばらくその場で待っていると、彼女の姿を見つけたバンダナを巻いた青年が慌てて寄ってきた。
「すまん、遅くなった。飲み物だけにしようと思ったが、美味しそうなものがあったから……つい」
トルはジュースが入ったコップを渡し、さらにできたてのアップルパイを差し出してきた。メリッグは目を丸くして、そのパイを眺める。
「あら珍しい物が売っているのね」
「メリッグ好きだろう。美味しいって評判みたいだから買ってみた」
「……お腹空いていないけれど、勿体ないから食べてあげるわ」
手を伸ばし、パイを取り上げて一口食べる。思わず頬が綻んだ。その様子を見ていたトルも表情を緩ませる。メリッグは横を向いて、黙々とパイを食べた。トルも自分用に買ったパンを頬張り始める。
「なんかお祭りみたいだな」
「お祭りでしょう。数十年に一度しかない大きな出来事よ。あの子、昔から屋敷にこもらず町の中を駆け回っていたって言うじゃない。成長を目の当たりにしていた少女の一大行事対して、自分たちの子供のように喜んでいるのよ」
「なるほどな。この町の人たちもリディスの虜ってことか」
「そういうことね。――あら、来たわよ」
アップルパイを食べ終えたメリッグは立ち上がると、視線があった人物に軽く頭を下げた。亜麻色の髪を一本に結っている女性と彼女に寄り添っている赤褐色の髪の青年、そして一歩離れたところで微笑んでいる亜麻色の髪の青年を出迎える。髪を結っている女性は軽く手を振って、メリッグの出迎えに応えた。
「お久しぶりです、メリッグさん。お元気そうですね」
「こんにちは、スレイヤさん。本日お子さまは?」
「エリーさんたちに任せています。たまには二人でのんびりしてきなさいって。ケルヴィーさんのところのシルも構ってもらっているみたいなので安心です」
「良かったですね。久々でしょうから、どうぞじっくりと二人の関係を深めてください」
メリッグは少し膨れ上がっているスレイヤのお腹に視線を向けた。
「二人目……ですか。それはおめでたいことで。子沢山なお家になりそうですね。きっとお二人なら素敵な家庭を築けると思いますよ」
「ありがとうございます。お優しいメリッグさんも、素敵なお母様になれると思いますよ」
スレイヤが曇りのない笑みを向けると、メリッグは顔を逸らす。
「……スレイヤさん、まだ時間はありますので、屋敷でも行きましょう。きっと今なら会えるでしょうから」
そう言うと、メリッグは背を向けて歩き始めた。
トルは頭をかきながら、先に進み出したメリッグの後を追ってくる。
ルーズニルもやれやれと肩をすくめていた。そしてきょとんとしているスレイヤの肩を軽く叩いた。
「スレイヤ、今のはたぶん照れているだけだから気にしないで。さあ会いに行こう、リディスさんに」
「そうね。弟子の晴れ姿を見なくちゃ」
「あまり興奮するなよ、俺が大変なんだから……」
そして三人はメリッグとトルの後に続いて、目的の場所に向かった。
人通りが多い中をメリッグは突き進んでいく。スレイヤから言われた内容に照れを感じたのもあったが、どことなく罪悪感もあり、真正面から彼女のことが見られなかったのだ。
スレイヤとルーズニルはさぞ幸せな家庭で育ったのだろうと、二人の雰囲気から察していた。たとえ幼い頃に両親が亡くなろうとも、それまで愛情をいっぱい受けて育ったのは間違いないだろう。
それに比べてメリッグはどうだろうか。もはや愛されて育てられたかどうか聞けない状況にある。
それを問いただすために、そして自分の罪悪感を少しでも払拭するために、ドラシル半島を離れ、微かな可能性にすがりながら、トルと共に各地を転々としていたのだ。
結論から言うと、ほぼ収穫はなかった。
たった一人の証言を除いては。
『農業しながら、たくさんの村人が水晶玉を覗いている村があるんだ。自分たちは未来を見ることができる人間だって言っていてよ、それなら俺の未来はどうだって聞いたんだ。そしたら多少時間はかかったが、人生が変わる時はいつからいつの間だと教えてもらったよ。樹の加護があればもっと短くできたのにすまないとか、よくわからないことを言っていたが……。結果として、その人の言っていたことは正しかった。その時期に、俺が持っていた品物が売れまくって、一躍有名商人になったんだ。すげえな、未来を見られるやつってはよ。――そういえばお嬢さんと同じ紺色の髪だったな、その男は』
その話をした男から、メリッグは話に出た場所を聞き出して、メモを取った。そして地図と見あって、場所を視覚で判断した結果、そのメモを見返すことなく本の間に挟み込み、ドラシル半島に戻っている。
場所が非常に遠いだけでなく、正確な場所を把握できなかったため。そしてその話を聞いた時から、何となく心の中にあったしこりが消えたからだ。
家族三人の未来が垣間見えただけで良かった。もしかしたら赤の他人のことを言っていたのかもしれない。それでもメリッグとしては一区切りついた気がしたのだ。
もう十年近くたつ。いい加減過去の波紋を追わなくても、いいのではないだろうか。
温かみのある家庭が築けるかどうかわからないが、二人の姉妹と二人の騎士たちが新しい未来を進んでいるのを見て、そろそろ腰を落ち着かせるべきではないかと薄々感じていた。
メリッグは当然のように隣にいるトルを横目で見る。視線に気づいた彼は歯を出して笑った。
それを見てメリッグは心の中で決めた。
戻ろう、あの村に。お節介なこの男と一緒に。
町の中を歩いていると、一際目立つ集団が目に入ってきた。
頬に傷がある男や鮮やかな赤髪の女性、筋肉質で焦げ茶色の髪の男性、微笑んでいる薄茶色の髪の青年、鋭い目つきをしている薄灰色の髪の青年など、私服を着ているが明らかに周囲の人間とは違う雰囲気を醸し出している人たちが立っていた。
その中で最も強面の男がメリッグたちを見ると、口元に笑みを浮かべた。
「お、お前ら、やっと来たか。待ちくたびれたぜ」
「隊長、別に約束していないでしょう。私たちは勝手に来ているんですから」
セリオーヌが容赦なく指摘をし、メリッグたちに顔を向けた。
「こっちの方向から来たってことは、これから屋敷に顔を出す予定で?」
「そういうところです。槍術の先生が弟子の晴れ姿をいち早く見たいそうですよ」
メリッグがスレイヤを手で紹介しながら言うと、セリオーヌは目を丸くした。一見して町娘に見える女性。彼女がスピアを自由自在に振っているなど、想像できないのだろう。
メリッグは集団を見渡すと、思わず首を傾げた。
「あら、ここにいるはずの二人は?」
カルロットたち、ミスガルム騎士団がいるのならば、リディスたちと非常に親しいあの二人もいなければおかしい。セリオーヌは屋敷の方を見て答えた。
「二人で屋敷に行っているわ。誰よりも祝福したがっている二人が、今日という日の主役たちを祝うためにね」
メリッグは仄かに表情を緩ませる。そしてまた合流すると騎士団の皆と約束して、屋敷に向かって歩き出した。集団の端で背の高い栗色のくせ毛の青年が、ひどく項垂れているのをちらりと見てから。
シュリッセル町の町長の屋敷に到着して、護衛の者たちに事情を話すと、すんなり通してくれた。
中に入るとオルテガが目を赤らめて座っていた。フリートの父ヘルギールは穏やかな表情で、彼と対面して腰を下ろしている。二人はメリッグたちに気づくと、立ち上がった。
「メリッグさんたち、来てくれたのかい、ありがとう。おや、スレイヤさんまで。お久しぶり」
「御無沙汰しています、オルテガさん。リディスに会いに行ってもいいですか? 私、あの子の晴れ姿、ずっと待っていたんです!」
「そう言ってくれて私も嬉しいよ。客間にいる。先ほどあの二人も行ったところだ」
オルテガに連れられて、奥に案内される。あるドアの前で止まると、オルテガは軽くノックした。中から明るい声が聞こえてくる。一言断って、中に入った。
その部屋の中心にいる人物を見て、誰もが感嘆の声を上げる。
先に入っていた群青色のローブを羽織り、フードを外していた金色の髪の女性ミディスラシールは、目に涙を浮かべていた。隣にいた正装姿の銀髪の青年ロカセナもいつになく穏やかな表情だった。
トルが呆けながら呟く。
「すげえ、綺麗。一瞬誰かと思ったぜ」
「女性の人生の中で最も美しい瞬間よ、当然でしょう。――二人とも、いくつかお祝いの手紙を預かってきたから、机に置いておくわよ」
メリッグは近くにあった机に手紙の束を乗せた。ルーズニルがにこにこしながら口を開く。
「よく似合っているね、リディスさん。素敵だよ」
「着飾れば綺麗になるとは思っていたけど、予想以上。悔しいけど私の時よりも綺麗だわ」
「スレイヤも綺麗だったけどよ、これは……思わず立ち止まって見ちまうくらい綺麗だな」
さらにスレイヤ、フェルと次々と言葉を並べていくと、部屋の中央にいたリディスは口元に笑みを浮かべた。
彼女の姿をまじまじと見続けていたが、部屋の脇で腕を組んでいた青年が急に咳払いをして、大股で寄ってきた。
「おい、人の女をそんなにじろじろ見るな。あとで披露宴もやるんだ、そこで話でもできるだろう」
「フリートも相変わらず独占欲が強いね。時間になれば誰でも見られるんだ。どうしてここで見させたくないの?」
ロカセナは正装を着ている凛々しい顔つきのフリートをにやけながら見る。フリートは眉間にしわを寄せた。
「黙れ。俺がこいつの姿を見ようとした矢先に、お前が来るからいけないんだろう!」
「ほら、独り占めしたがる。本当に面倒な男だよ」
「いつまでもうじうじと本命の女に対して躊躇っていたお前に言われたくない!」
「いや、それこそお前に言われたくない」
ロカセナははあっと息を吐くと、リディスに背を向けて、ミディスラシールに視線をやった。
「新郎がうるさすぎるので、僕たちはここら辺で引き上げましょう。そろそろ式も始まりますし」
「そうね。本当の晴れ姿はこれからだものね。――リディス」
声を投げかけられたリディスは軽く返事をした。
「お幸せに」
満面の笑みで言ってから、ミディスラシールはフードを被って廊下に出て行った。メリッグたちも名残惜しくもその流れに従った。
部屋の中には金髪の女性と、黒髪の青年だけが残った。青年は左手を腰に当てて、横目で女性のことを見る。
「どうした、さっきからあまり喋っていないが」
リディスは部屋の中を歩き、机の上に置かれた手紙の宛名を見る。予言者のアルヴィース、ムスヘイム領の領主スルト、ニルヘイム領の女医エレリオ、そしてアスガルム領民の護り人イズナの名などが目に入った。
事前に他にも手紙は受け取っている。血の繋がった父親からの手紙もあった。
彼ら、彼女らは旅の途中で出会い、そして旅の道標となった人たちだ。そんな人たちが皆祝福してくれる。嬉しいことだが、その反面抱いていた暗さが表面にでてしまう。リディスは手紙を置いて、手を握りしめた。
「あのね、ずっと疑問に思っていたことがあるの。――私、幸せになっていいのかなって」
「何を突然」
フリートは笑うが、リディスは表情を変えずに窓の外を見つめた。
「お母様が大樹のもとに行き、マデナがモンスターに殺された。つまり私が今生きているのは少なくとも二人の命の上にある。他にも多くの人が傷ついて、倒れて、涙した。家を壊され、生活を変えざるを得なくなった人もいる。――そんな中で幸せを掴んでいいのかって、疑問に思ってしまうのよ」
美しい顔が徐々に暗くなっていく。フリートはそっと近づき、リディスの肩に軽く手を乗せようとした。
だがその前にリディスは自ら顔を上げた。
「でもね、いつまでも俯いたままでは失礼だと思うの。自ら進んで不幸な道を歩んで誰が喜ぶかしら。想像でしか言えないけど、生きている人も逝ってしまった人も決して喜ばないと思う」
「本当に想像でしか言えないのか? お前だって他人が不幸になるのを見るのは嫌だろう。それと同じだ」
フリートが左肩に軽く右手を乗せてくる。リディスはその手の上に、自らの右手を乗せた。
「私ね、きっと幸せになるのが怖かったんだと思う。魔宝樹を巡る争いを通じて、いつ死ぬかわからない状況を突き付けられて――どうせ幸せが崩壊してしまうのなら、いっそ幸せにならない方がいいんじゃないかって思ってしまったのよ」
フリートは右手を抜いて、リディスの手の上に置いてそっと握りしめた。
「けど幸せを求めなければ、強い意志を持って生きていけないってわかった。だから前を向いて生きていくためには、幸せを追い求め続けるのが必要なのよ! ……ねえ、そうでしょう、フリート。私、貴方を見てそう思ったのよ……?」
リディスは振り返ると、フリートは表情を緩まして軽く首を縦に振っていた。その姿を見て、思わず目に涙が溜まってくる。彼の手を両手で握りしめて、俯きながら口を開いた。
「……ごめん、頑張って言ったけど、はったりも入っている
「知っているさ、そんなこと」
顔を上げたリディスの頭を優しく叩いた。
「婿入りする身として、虚勢を張っているお前をいつまでも支えてやるよ」
ドアがノックされ、廊下から出番だという声を投げかけられる。返事をすると、フリートがそっと手を差し出してきた。
「未来へ続く鍵を一緒に回そう、リディス」
リディスは再び泣きそうになったが、それを堪えてから頷き、光の騎士の手を取った。
「ありがとう。そして二人で扉を開こう、フリート」
大歓声の中、リディスとフリートは結婚式を見に来た観衆にその姿を見せた。
騎士時代の正装を着たフリートがリディスと腕を組んで、赤いカーペットの上を歩いていく。その周囲には町長の娘の晴れ姿を一目見ようと、大勢の人が取り囲んでいた。
金髪の髪が美しく生える、真っ白なウェディングドレスを着たリディスは、微笑みながら視線を前にして進んだ。長いベールは顔を覆い、後ろは背中から足下まで流れている。誰もが息を呑むほど美しい姿の女性が悠々と歩いていた。
途中、騎士たちも見かけ、彼らに向けて軽く手を振ると、それに合わせて大きな拍手が鳴り響いた。
そこから少し離れたところに、眼鏡までかけて変装しているミディスラシールが、ロカセナやメリッグたちに囲まれている。姫が目から涙をこぼしていると、ロカセナにハンカチを渡されていた。
二人の式もいつか見たいと思いながら、リディスとフリートは神父がいる壇上にのぼった。
神父が口を開くと、一同は静まりかえる。
「レーラズの樹のもとで、お二人に尋ねます」
神父がまずフリートのことを見る。
「フリート・シグムンド、貴方は
「はい、誓います」
軽く頷くと、次にリディスのことを見た。
「リディス・ユングリガ、貴女は健やかなる時も病なる時も、富める時も貧しい時も、死が二人を分かつまで、愛し合い敬い慰め助け、変わることなく愛し続けることを誓いますか」
「はい、誓います」
そして神父は二人を眺めた。
「あなた方は自分自身を双方に捧げますか」
「はい、捧げます」
二人で声を合わせると、神父は指輪を差し出した。リディスたちはそれを受け取り、お互いに受け取る文面を読んで、それぞれの左手の薬指に指輪をはめた。ひときわ美しい銀色の輪が、二人の指の中で光る。
「それでは誓いの口づけを」
二人は向き合い、フリートはおそるおそるベールを取り、頬が赤いリディスのことを見つめた。そして肩に手をかけて、そっと唇を合わせる。
一際大きな拍手が鳴り響き、白い鳥たちが大空へと飛び立った。あまりの音の大きさに驚いて、すぐに唇を離した。
そしてリディスは神父から受け取った小さなブーケをしっかり握りしめる。それにも軽く口づけをしてから、二人の幸せを祝ってくれた人に向かって空に大きく投げ出した。
鮮やかな色の花束が宙を舞う。
誰に届くかはわからないが、ここにいるすべての人が幸せな人生を歩まれることを願った。
皆がブーケに気を取られている間に、リディスはフリートと見合う。
二人で寄り添いながら視線を東に向け、青空の下で緑色の葉を付けている魔宝樹を、目を細めて見た。
いつの時代でも人々を見守り続けている大樹に、感謝の意を込めて……。
目映い陽の光に照らされ、多くの人に祝福されながら、二人の男女はお互いを想い合う。
大樹はその様子を遠くから見守っていた。周囲には精霊たちの姿が見え隠れしており、誰もがにこやかな表情をしていた。
世界の転換点を導き、そこから未来へ続く鍵を作り出して扉を開き、さらには新たな大樹までも作った男女。
彼、彼女は自らの未来に続く扉をようやく開くことができた。
それを密かに祝いながら、大樹は今日も魔宝珠を生み落とす。
次世代へ続く子供たちの未来を願いながら――。
了
魔宝樹の鍵 桐谷瑞香 @mizuka_k
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