愛する者を護る為に(6)

 リディスたちはミディスラシールから追い出されるようにして部屋から出た。廊下を少し進むと、一人の少女が壁に背中をつけて立っているのが見えた。明るい茶色の髪の少女ヒルダは、フリートの姿を見て口元に小さく笑みを浮かべた。

 良くも悪くも気をきかせたメリッグたちは早々にその場から去り、控え室に戻っている。その場にはリディス、フリート、ヒルダの三人が残った。彼はヒルダの前に立つと、軽く頭を下げた。リディスは眉間にしわを寄せていたが、次の言葉を聞いてさらにしわが寄った。

「ありがとう。こいつのドレスを提供してくれて」

「仕事ですもの、いいことですよ、シグムンド様。これを機会にご贔屓ひいきにして頂ければ」

 上の名で呼んでいることに気づき、リディスは不思議そうな表情でヒルダを眺めた。以前会ったときよりも、落ち着いた雰囲気を醸し出している。

 フリートは状況が掴めないリディスに軽く説明を付け加えてくれた。

「お前、ドレス持っていなかっただろう。急いで手配しようとしたら、ヒルダさんが言ってくれたんだ。いくつか店を経営しているから、そこから調達しようかって」

「そうだったの……。ヒルダさん、ありがとうございます。お手間をかけさせまして」

「いえ、構いませんよ。先ほども言いましたが、一人でもお得意様ができてくだされば、私としては嬉しい限りですから」

 仕事の話をしているかのような言葉使いに、リディスはますます困惑してしまう。城内で必要以上に迫っていたヒルダと同一人物かと疑ってしまうほどだ。

 彼女は一歩踏み出すと、リディスの顔をじっと見つめてくる。そしてふっと笑うと、数歩下がった。

「申し訳ありませんでした、お二人の仲を悪くするようなことばかりしてしまって。もうシグムンド様に手は出しません」

 唐突な申し出に、リディスは目を丸くした。

「先日父から好きな人はいないかと言われまして、以前シグムンド様によくしてもらったのを思い出し、彼の名前を挙げさせて頂きました。シグムンド様はたぶん覚えていらっしゃらないでしょう、髪を二つに結んで俯きがちな私が盗人に物を盗まれた際、その物を取り返してくれたことなど」

 フリートはその内容を聞くなり目を見開いた。リディスもあっと声を漏らす。

 ヒルダは軽く髪に触れてから続けた。

「そのことをきっかけにシグムンド様のことをお調べしましたら、過去に交流があったとわかりました。さらに近づくためには少々事実を誇張すべきだと判断し、あのような言い方をしながら強引に近づかせて頂きました。少しでも顔を覚えて頂ければと思っていたのですが、どうやら悪い方向でシグムンド様には覚えられてしまったようですね」

「もう少し節度ってものを考えて欲しかった……」

「もし節度良く接していたら、私のことを見てくれましたか? ――既にお心を決めている人がいらっしゃる方には、そのような方法では到底無理だと思いますよ」

 丁寧な言葉でヒルダに今までのことを弁明された。だが振り回されたことを思い出すと、リディスはつい苛立った口調になる。

「一度や二度しか会っていない人を縁談話の相手に持ち出すなんて、感心できるものではないと思いますよ」

「そうですね。ですが世の中には、一目惚れという言葉があります。それを元に恋に発展してもいいと思いませんか? シグムンド様を見ているうちに魅力的な方だと知り、気が付いたら惹かれていたのですよ」

 口元に笑みを浮かべるヒルダを見て、リディスは一瞬びくっとする。やがて彼女は翻し、外へ通じる扉に向かって歩き出した。

「父には私からうまく言って、縁談話はなかったことにしてもらいます。今後は一人の商人の娘としてお付き合い頂ければ嬉しいです。――ではお幸せに」

 扉が開かれると、夕陽が射し込んでくる。陽の光を扉の中に入れながら、それと引き替えにヒルダは外に出て行った。


 フリートはしばらく閉じられた扉を眺めていたが、やがてリディスを促して歩き出した。

 リディスは口を一文字にしながらついていく。

「色々とすまなかった。結果としてはこういうことだ。彼女とは今後会ったとしても、仕事上の付き合いになる」

「本当にそう言い切れる? 大人ぶった言い方しているけど若い子じゃない。あれだけ若いと途中で考えを変えるってことも……」

「彼女はしっかりしている人だ。もし考えを変えられて迫られても、はっきり断るか。――なあリディス、まだ時間あるよな。少し外にでないか?」

 ちらりと置き時計に目をやる。晩餐会の開始まで多少時間はあった。

 リディスは頷くと、フリートはその場で待っていろと言い、控え室に走っていった。

 彼が中に入って間もなくすると、メリッグが顔を出してきた。彼女に手で招かれて、リディスも控え室に駆け寄る。慣れないドレスを着ているせいか歩きにくい。

 廊下に出たメリッグは、腰に手を当てながら、リディスを上から下まで見下ろした。

「リディス、手伝うから着替えましょう」

「何を言っているんですか、メリッグさん。これから晩餐会ですよね? この恰好のまま出る予定では――」

「いいから着替えなさい。その格好じゃ歩きにくいでしょう」

「立食形式だと聞いていますけど、別に着替えるほどでは……」

「いいから、着替えるわよ!」

 きっぱりと言われて、リディスは荷物を抱えたメリッグに付き添われながら、隣の部屋に移動した。

 わけがわからぬまま、普段着ている黄色のシャツとスカート、そして袖がない淡い水色の長い上着を羽織られる。そして首から若草色の魔宝珠と、鍵の形がしたペンダントを下げた。

「やっぱりこっちの方が貴女らしいわ」

 メリッグはリディスの髪をとかしながら呟く。鏡の前に立っていたリディスは、微笑みながら鏡を見つめた。金色の髪の女性と紺色の髪の女性の仲睦まじい様子が映っている。

「私もそう思います。多少綺麗な格好はしますが、ここまで豪華なドレスは着ませんから……」

 とかし終えると、メリッグはリディスの背中を軽く叩く。目を瞬かせて振り返ると、彼女は微笑んでいた。

「素直になりなさいよ」

 背中を押されて部屋から出た。腕を組んで待っていたフリートは、早く来いと言わんばかりに鋭い視線を向けてくる。

 控え室の入り口から顔を出している笑顔のトルやルーズニル、さらに部屋の奥にはにやついているカルロットや騎士たちの姿が見えた。

 彼らの表情はどういう意味なのだろうかと疑問に思いつつ、フリートの後を追って、扉を押して外に出た。



 夕陽は徐々に沈んでいき、東の空からうっすらと丸い月が顔を出し始めている。今日は満月のようだ。

 非常に思い出深い出来事を思い出す、満月。

 銀髪の青年と離れ、そして再び相見あいまみえた時――。

 あれから三年も経過した。だがまるで昨日の出来事のように思い出してしまうくらい、記憶の中では鮮明に残っていた。

 フリートはリディスに行き先を告げずに、屋敷の近くにある森の中を進んでいった。暗くなり始めたため、光を求めて光宝珠に手を伸ばそうとしたが、フリートに止められた。

 足下が見えない状態で進むのは気が進まないと思っていると、厳つい手が伸ばされてきた。驚きつつもリディスはその手を取る。そしてその手に引っ張られながら、森の中を再び進みだした。

「どこに行くの? あまり遅くなると晩餐会が……」

「メリッグや隊長から、事情を話しておくから、じっくり時間を費やしてきてもいいって言われた。だから少し奥地まで来ている。そっちの方が絶対にいいから」

「何に時間を費やすの? この先に何かあるの?」

 純粋な疑問を口にすると、フリートは素っ気なく言い返す。

「ついてからのお楽しみだ」

 小さく華奢な手がごつごつとした手に握りしめられながら、さらに森の奥へ進んでいく。

 たくさんの人たちを護るために剣を握り続けている手。いつもより少しだけ優しく握っているのは、手に包帯を巻いているリディスへの配慮だろう。

 しばらくして水が流れる音が耳に入ってきた。川のせせらぎが聞こえてくる。近くに川でもあるようだ。

 開けた場所に出ると、目の前には川に足を踏み入れなければ越えられない幅の川があった。その波面には満月がひょっこり映し出されている。満面に広がる星の姿も同時に映っていた。

 リディスは視線を頭上に向け、広がる星の絨毯を見て表情を緩ました。

「なんて綺麗なのかしら……! 久々ね、こういう空を見るのは!」

 かつて旅をしていた時はよく見ていた光景だった。だが魔宝樹が戻り、各々がそれぞれの道を歩み始めてからは、旅をすることもなくなった。さらに日々の忙しさと喧噪に巻き込まれて、こうしてゆっくり空を見上げることも極端に減っていたのだ。

 リディスは一人で感嘆の声を上げながら、空を見上げてその場を一回りする。

 東の空には大樹の後ろから満月が顔を出していた。魔宝樹を優しく照らし出し、ひときわ美しい姿を見せてくれている。

「樹にもこういう見方があるのね。時間帯を変えたり、遠くから見たりすることで、また違った印象を受けるわ」

「そうだな。俺たちはあまりにも一つの側面にこだわって見過ぎていたみたいだ。だから擦れ違いが起こったり、衝突したりするんだろう。――リディス、話がある」

「何?」

 手を後ろに組みながらリディスは振り返る。フリートは顔を下に向けていたが、やがてゆっくり上げた。思わずどきりとしてしまう、精悍な顔つきだ。彼の視線はリディスの胸元で止まる。

「……その鍵、いつも首から下げてくれて本当にありがとう。もう三年もたつのに……」

「結界を張れるからだと思うけど、このペンダントが傍にあるとほっとするの。傍にいなくても、まるで私のことを見守ってくれているような気がするの。だから私は貴方と離れていても、強く生きられるのよ」

 フリートは近づき、そっと鍵のペンダントに触れた。

「この鍵を大切にしてくれるのは有難いが、俺としてはこれから自分の手でお前のことを護っていきたい」

「フリートの手で?」

 問い返すと、フリートははっきり口を開いた。


「リディス、俺はお前の隣で永遠に護る騎士でありたい。――だから俺と一緒に未来を歩まないか?」


 暗さでフリートの表情はわからないが、おそらく赤らんでいるのは明白だろう。

 自分の気持ちを周囲に伝えるのが下手な人間だが、宣言したことは護る、非常に頼りがいのある青年。

 常に前を見据えている光の騎士は、リディスとの未来も明確に提示してくれた。

 先ほどのメリッグの言葉が脳内に反芻される。彼がようやく素直に言葉を出してくれたのだ。ここで断る理由などどこにもない。

 リディスは頬を緩ませて一歩詰め寄り、黒色の瞳を見つめ返した。


「ええ。私の背中、隣を永遠に護って。私もフリートのことを護り続けるから――」


 フリートはリディスを抱き寄せ、そっと上から唇を乗せた。

 月明かりに照らされながら、時間をかけて口づけをし合う。リディスもフリートのことを求めるかのようにそっと伝え合った。

 やがて離すと、リディスのすぐ目の前で口を開いた。


「一生護り続ける、俺のお姫様」



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