月千代恋をする

「そうか、うむ・・。こいつのことなんじゃが、」





そう言って、田助は、懐から一匹の子猫を取り出した。





「一週間ほど前から野良仕事で使っている小屋の下に居ついてな、親ともはぐれたらしい。よく見るとどうも、目を病んでいるようだし、怖がって、エサもろくに食ってはくれん。このままでは弱って死んでしまう。猫よ、お前がこいつを助けてやってはくれまいか。同じ猫なら、猫の気持ちもよくわかろうというものだ。」





目病み。月千代は清兵衛を思い出した。





「どうした、猫、返事を聞かぬとわしは死んでも死にきれん」





田助は、月千代に促した。





「もし、わらわが拒んだら・・・」





「猫よ、野暮なことを言うなあ、おぬし。猫又ともなると、猫も知っている恩や義理や情も解さなくなるのか。この、わらし猫は、放っておけば死ぬと、わしは申しておる。何もお前に犬や鶏を救ってくれとは頼んでおらん。」





「生あるものはいつか滅びる、死んだとしてもそやつの運命。わらわには関係ないこと」





月千代は、やはりこの男命乞いしているのだなと思った。





「おぬしの言うことも一理であるが、このわらし猫は、生きたいと必死じゃ、それがわからぬならよい。」


田助は、そういうと上半身裸になり、大の字になってその場に寝転んでしまった。





「おぬしに話しをしたわしが、馬鹿だった。さあ、喰え。お前なぞ猫又ではない、ただの畜生ぞ、さあ、煮るなり焼くなり好きにせい。」





田助は、ふて腐るように言った。しかし、これから殺されるというのにまったく悲壮感がない。むしろすがすがしい顔で天井を見つめていた。





そんな人間がいるわけがない。人間とは、とかくうそつきな生き物だ。月千代は思った。命乞いした臆病な人間だ、脅せば本音を吐くに違いない。泣きまわるこいつを殺すのも一興だと思った。





月千代は、わざと男の顔のすぐ横に鋭い爪で一撃を加えた。床板にいとも簡単に爪が突き刺さった。





さぞかし、田助は恐怖に怯えているだろう、そう思い月千代はにやりとしながら田助の顔を見た。


田助は、別にどうということもなく、平然と天井を見上げていた。恐怖しろ 泣け 叫べ





月千代は、田助に馬乗りになって、何度も爪をふり下ろした。自分の中にある怒りや憎しみを全て男に吐き出すように狂ったように何度も爪をふりおろす。





家の中には、空を切る月千代の爪音だけがこだました。





荒々しくもどこか悲しい風が田助の顔を通過していく。





月千代の中にふと空しさが芽生える。自分の怒りとは何なのか、どこへ向かうのか、なぜこの男に向けるのか・・・。





その迷いをさらに打ち消すように男に爪をふりおろす。





それでも田助は、瞬き一つしない。





月千代の心を見透かした目。気に入らない。しかし、この一か月の男の看病が月千代の心の枝葉を激しく揺さぶる。





これならば、月千代の爪が、田助の肩を貫いた。





「どうした、猫よ。喉笛は、ここで、心臓はここじゃ」





激痛でのたうち回るほどの怪我であるにも関わらず、全く何事もないかのようだ。田助は、指を差して月千代に言った。





月千代は、田助の真っ直ぐな瞳にはっと我に返り、田助から離れた。





振り払いたかったのは結局月千代自身の心だったのかもしれない。





この男には私利などない。子猫を助けたいという一心なのだ。それなのに、自分の事は省みることなく、命を投げ出す。こんな人間がいるであろうか。運命にさえ、抗うことがない。それどころか、その運命に真正面から突っ込んでいく気さえする。





気がつくと、月千代は、泣いていた。





なぜだかわからない。自分の愚かさ。つきつめれば、ただこの一点にあった。





命の恩人にさえ、手にかけようとしたこと、この男の度量も見抜けなかったこと・・・。


理由を挙げればきりがない。しかし、そのどれを挙げたとしてもやはり、愚か者の文字しか月千代には浮かばなかった。





「畜生」それは、まさに我が事なり・・・・。





月千代は、声をあげて泣いた。





「猫よ、人を喰うのに泣くやつがあるか。」


呆れたように田助が言った。





「泣いてなどいない。それに、わらわには、月千代という名前がある。猫、猫呼ぶな。お前が言ったであろう、名前で呼ぶのが礼儀じゃと」





さっきまでの雄々しい猫又の姿は、消え失せていた。月千代は、べそをかいて、駄々をこねる子供のようであった。





「そうであったな、これは相すまない。月千代どの。」





田助は、高らかに笑いだした。





「笑い事ではない。早よ、その子猫を診せぬか、それと、田助といったか、そなたの傷も」





「どういう風の吹き回しじゃ、月どのは愉快なおなごじゃ。人を喰おうとしたり、傷を診るというたり」





田助は、ますます愉快そうに笑った。上半身を起こすと、いつの間にか田助の側に寄っていた子猫をひょいとつまんで月千代に差し出した。





「からかうでない」





月千代は、頬を赤らめた。清兵衛以来であろうか、人に名前を呼ばれたのは。それも「おなご」と認知されたのは、初めてだった。それも年頃の男にである。





月千代が、子猫の目の様子を診ているのを田助は、頬杖しながら嬉しそうに眺めていた。





「な、なにをにやにや眺めておるのだ、見世物ではない、よそを向いておれ」





月千代は、自分が見られているようで、何だか恥ずかしい気分になった。





不思議だ。あんなに憎んでいた人間を信じ始めている。あんなに裏切られた人間を信じ始めている。





同時に胸の鼓動が止まらない。苦しくて仕方がない。





なのにこの場を離れたくない。体の中がさらに熱くなっていく。





月千代が知る初めての恋心であった。



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一途に恋した猫又さんはチャンスを伺うちにうっかり千年人間界で過ごしちゃいました かるび @fgsora

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