回想 田助(たすけ)

それから、200年ほど時がたった。千里言っては千里戻り、月千代は疲れ果てていた。どれほど、この国を西に東に・・・、北へ南へ走ったことだろう。





襲い掛かってくるのは人や狐ばかりではない。蛇、獣、鬼、麒麟枚挙にいとまのないほど月千代は様々な外敵に襲われた。





最近では、月千代はある者たちに命を狙われていた。幕府の隠密につきしたがっている、術師どもだ。猫又の毛皮は珍重で、その血肉を食らえば、永遠の命が授かるとうわさされたからである。





いろんな手で、人間は、猫又たちをつかまえ殺していった。月千代は、それを目の当たりにしていたので、もはや、人間など信用しようなどとは微塵も思わなくなっていた。





術師の気配がした。満月の明かりが微かにその影をとらえた。月千代は、にじり寄ってくる複数の足音を注意深く聞き分けていた。





「いまだ」


術師の声を合図に隠密たちも一斉に草むらから飛び出し、月千代に襲い掛かった。





一瞬早く、月千代は近くの木の上に飛び乗った。





鉄砲の乾いた音が響き、次いで、毒矢の雨が月千代に降り注いだ。





月千代は、幹を大きく蹴ると別の木へ飛び移った。





大きな雷が術師たちに落ちた。





月千代の神通力の一つだった。





いつも通りの展開だった。愚かな人間どもめ、月千代





は地面に降り立ちそう思った。





月千代は、確実に仕留めたと思い油断していたのであった。





しかし、今回ばかりは術師の方が上手だった。雷を浴びる前に結界を張っていたのである。一瞬の不覚。月千代は肩に毒を塗った刃を一太刀浴びた。





逃げる月千代。崖へと追い込まれた。





好都合だ、逆に月千代は思った。この崖を下ってしまえば人間は追ってこれない。





月千代は、素早くがけを下り始めた。





その瞬間、術師が何か唱え始めると月千代はみるみる間に力が抜け、がけを転がった。そして、崖の途中の木に引っかかって止まった。





まだ下にはかなりある。





上からは、術師がゆっくりと下ってくる。





呪いをかけたのだ。月千代はこの瞬間から、満月の夜には神通力が使えない体になってしまった。





迫る術師の手が月千代にかかろうとしたとき、月千代は崖下へ飛んだ。





小さく見えた崖下。それでも、月千代が体をうちつけるのにほんの数秒しか暇がなかった。





人の手にかかり、さらし者になるくらいなら・・・。





それが月千代の下した決断だった。





どれくらいの時間がたったであろうか。気が付くと、夜が明けていた。月千代は、目を覚ました。体が痛む。常人なら死んでいるところであった。





しびれる意識、傷だらけの体、苦しい息。体を引きずりながら、岩壁に体を横たえた。





モウツカレタ





月千代はそう思った。





そこへ、一匹のおおきな蟒蛇うわばみが姿を現した。この穴の主らしい。





ゆっくりと確かめるように左右にうねりながら月千代のもとへ近寄ってきた。





月千代は観念して目を閉じた。





蟒蛇がシューとうなりを上げ、首をもたげた。





一瞬、間が空いて、再び蟒蛇が声を上げた。今度は、威嚇するような威勢のいい声ではなかった。





消え入るような悲鳴であった。





月千代は、うすら目をあけた。 





人間の男だった。男は、蟒蛇を仕留めると月千代のもとへ鎌を持ったままゆっくり歩み寄ってきた。





よくもこう、次から次へ災難が降りかかってくるものだ、好きにすればいい。月千代にはもはや抗う意思はなかった。





しばらく、月千代を上から眺めていた男は、月千代を肩に米俵を担ぐように載せると、どこかへ歩いていった。揺られながら、月千代はうつらうつらし始めた。完全に寝たわけではないが、疲れていたのだろう。意識は半分飛んでいた。





気付くと、そこは男の自宅だった。





男は、板間に藁を敷いて、月千代を寝かせ、傷の手当てを始めた。





まず肩口の毒抜きをし、止血の薬草を月千代の傷口に塗りはじめた。





全身雷を打たれたように疼いた。月千代は、奥歯をかみしめ状態を反らした。





月千代には、男が何を考えているかさっぱりわからなかった。幕府に渡すつもりか、はたまた見世物にでもするつもりなのか、何のために化け物の傷の手当てをするのか・・・。





なんにせよ、月千代は、傷の具合がよくなるまでは様子を見ようと思った。人間一人殺すのは造作もないことだったからである。それに何より、今は体が言うことを聞かない。


それから、三日三晩、月千代は、眠った。





気づくと相変わらず、月千代は、男の家の中にいた。





月千代は、居間の板間に敷かれた、わらの上にいた。囲炉裏から程よく離れていて熱すぎず寒すぎずちょうどよい。かといって隅というわけでもなかった。





月千代は、部屋を見渡した。自分の寝ている反対に障子がある。向こうにもどうやら一つ部屋がありそうだ。殺風景なのは間違いない。





月千代は、ぼうっとする頭でそんなことを感じていた。


熱は下がっていたが、傷はまだ、かなり痛む。神通力で、治癒力を高めたが、一ケ月はうごけそうにない。





月千代は、また、眠ることにした。





家の戸が開いて、男が帰ってきた。





月千代は寝たふりをした。





男は、月千代の様子を診ると、傷の手当てをしてまたどこかへ出掛けていった。





次の日、月千代が目を覚ますと目の前には綺麗な水と捕ってきたばかりであろう魚が置いてあった。





魚が勢いよくびたびたと板の間を暴れまわる。





男は、目を覚ました月千代を見て食べるよう促した。


毒の一つも仕込んであるまいか、月千代は勘ぐった。





男は魚に一つも手を付けていない。自分は、稗ひえの粥のみうまそうにすすっている。





月千代は、首を横に向け嫌悪を露にした。





男は困った顔をしていたが、自分の食いかけの粥を月千代に差し出し、月千代の前に置かれた魚を一匹無作為に掴むと、がぶりと一口食ってみせた。





それでも月千代は、横を向いて一切食事を摂らなかった。





それでも男は黙って十日間、食事を運んできた。





月千代もとうとう堪えきれなくなった。男が畑仕事に外へ出掛けた隙に食事を摂るようになっていった。





男は、食事がなくなっている様子をただ嬉しそうに眺めていた。





そうこうしているうちに一ヶ月が経過した。





そろそろ傷も完治した。男を殺して、ここを出よう、そう月千代は、考えていた。





男が家に帰ってきた。





男は、囲炉裏に火をくべた。





月千代に背を向ける格好になった。





月千代は音も立てず、たちあがった。





月千代が男に近寄ろうとした瞬間だった。





「猫よ、お前にも事情があろう。わしを襲って我が身の糧にするもお前の勝手。この田助、恨みごとをいうつもりもない。ただ一つ頼まれて欲しいことがある。」


男、いや田助は月千代の動きを察してこう言った。





「愚かな人間よ、命ごいか」





月千代は、自分の動きを感知されたことに驚いた。今まで、無口で言葉らしい言葉などこの男から聞いたことがなかったが、すべて見通されていたようで、月千代は虚勢を張る意味でも大きな態度に出てみた。





「いや、命ごいではない。食いたければ食えばいいと申しておる。慌てるな。逃げもせぬ。わしの話をまず、聞け。それにわしにも名前というものがある。モノには、全て名前というものがある。名前で呼ぶのが礼儀じゃ。猫よ、名を何と申す、わしは、田助じゃ」





「名前など不要。死んでいくものに名乗る筋合いなどない。傷の手当てをしてもらったよしみじゃ、少しだけ猶予をやる。手短に用件だけ話せ。」





月千代は、田助の言葉を遮るように荒々しく言った。












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