記憶を踏みつけて愛に近づく

いいの すけこ

愛するあなたへ。

 これから、自分のことについて記録を残していこうと思います。

 

 どうやらもうすぐ、私の記憶はあてにならないものになるらしいから。

 

 私にだって、思い出や、忘れたくない人はいるもの。

 もちろん、あなたのことも。

 

 だけど、ただ事務的に記憶や物事を書きつけても面白くないし、うまく書ける気がしないから、こうやってお手紙を書くみたいに、残していこうと思います。

 これをあなたが読むかはわからないけれど、手紙のお相手はあなたということにさせてくださいね。


 大昔の戦争中に、日記帳に名前を付けて、その名前宛に手紙を書くようにして日記をつけていた女の子がいましたね。

 あなたは実在するけれど、手紙風に書くのは、ちょこっと、その子の真似です。

 その日記のお話、読んだことないのだけれど。


 その日記が書かれてから、世界はずいぶんと時代を経たはずだけれど、いまだ人間は戦をやめません。

 戦争のない時代もあったらしいけれど、私が生まれた時代と国は戦火の只中だったから、結局人間は何も変わっていない。


 戦争がなければあなたに出逢ってなかったのかもしれませんね。

 でも、戦争があってよかったなんて絶対に言わない。

 あなたとだって、争いのない世界で出逢いたかったもの。


 私には、愛する家族がいました。

 パパと、ママと、お兄ちゃん。

 優しいパパと、綺麗なママと、いつもにこにこ笑っていたお兄ちゃん。

 これからどんどん顔も忘れていっちゃうのかもしれないけど、みんなの写真は残っているから、何度だって目に焼き付けるの。


 でも、あなたの写真を私は持っていないから、それがちょっと、不安です。


 私が家族を失ってから、あなたは何度か会いに来てくれましたね。

 あなたに助けられて、孤児院に預けられた後。次に会いに来た時に、あなたは言いました。

「俺のこと、覚えてるか?」と。

 私が頷くと、

「忘れるわけないか、こんなおっかない顔」

 と言って、あなたは不器用に笑いました。


 あなたの顔には大きな傷跡がありましたから、そう言ったのでしょう。

 でもね、私があなたを忘れなかったのは、傷跡のせいじゃないんです。


 私はその時から、もうあなたを愛していました。


 私はようやく十二になろうかという歳で、あなたは私くらいの子供がいたっておかしくない歳で。

 だから私が愛を告白したところで、あなたは本気になんてしないんでしょう。

 せいぜい、親子愛だとか家族愛だとか、そういうものだと断じようとするんでしょうね。


 私のあなたへの愛が、男女のそれでも、家族愛でも、正直どちらでも、なんだっていいんです。

 だって愛は愛ですから。


 この愛を一つ身に携えて、あなたの傍に寄り添えたらどんなにいいでしょう。


 そう思って、私はあなたと同じく軍人になることを決めました。


 戦争に家族を奪われて、非力な小娘のままでいたくなかったのもあるし。

 爆撃に燃え上がる町から救い出してくれた、あなたに憧れたのもあります。


 なにより、あなたに近づきたかったから。


 軍人になれば、あなたと行動を共にする機会もあるかもしれないし、そんな機会に恵まれなくても、同じ戦場で戦うことで、あなたの助けになれるかもしれないでしょう?


 私が入隊を志願すると言ったら、あなたは反対しました。

 もちろん私は諦めなかったので、あなたに近づきたいから、傍にいたいから軍人になるのだと正直にお話しました。


 するとあなたは、「じゃあいっそ、俺の嫁さんにでもなるか」と、やけくそのように言いましたね。


 正直に言うと、ものすごく嬉しかったです。

 もういっそ、イエスと答えてしまおうかというくらい。


 だけど。本当はあなたにその気なんてないことはわかりましたし。

 いえ、それで私が軍人になることを諦めるんだったら、あなたはどんなに歳が離れていたとしても、気持ちが嘘だったとしても、本当に私をお嫁さんにしたかもしれませんね。

 

 だけどそれじゃ、あなたの愛を得たことにならないと思ったの。


 ……と、振り返ってみて、やっぱりイエスって答えればよかったかなあ。だって、結婚しちゃえば家族だし。家族愛だって、愛は愛って言ったの、自分だし。


 だけどとにかく、その時はなんだかやりきれなくて、「お嫁さんなんて、憧れないわ!」って啖呵を切ってやりました。

 

 そうしたら、あなたは次に会ったときに私に贈り物を持ってきてくれました。


 綺麗な箱に入った、白い靴。


 鏡みたいに、自分の顔が映るんじゃないかしらってくらいにぴかぴかしていて、飾りのリボンも真っ白で。


 あなたはお嫁さんとか、綺麗な靴とか、『女の子』を引き留めるものがあれば私が思いとどまると思ったのでしょうけど。


 誤解しないでくださいね。あなたの贈り物を浅はかだと言っているわけではないの。

 あの贈り物の白い靴、とってもとっても嬉しかったの。

 いまでも大切に大切に、しまってあります。


 あなたにもらった、かたちのあるものだから。

 私の記憶がどんどんとなくなっていっても、ずっと残るものだから。


 結局、軍人になった私は、文字通り吐きながら厳しい訓練に耐え、それこそ死に物狂いで軍隊生活に食い下がり、戦火を潜りました。

 あなたの傍で戦うことはなかったけれど、いつかは道が交わると信じて。


 ある時、私を含む数名の者が、ある実験の被験者として選定されました。

 どんな基準で選ばれたのかは知りません。身内がいないからか、さしたる功績がないからか、無作為だったのか。


 軍による人体実験と言うのは、そう珍しいものでもないようですね。

 あの、日記を書いていた少女の時代でも、行われていたようですし。


 その実験とは、『兵士の身体能力・戦闘能力を飛躍的に向上させる』ことを目的としたものでした。


 どんな処置を施すかは、一応、守秘義務があるということなので、ここには書きませんね。あなたの立場なら、調べることは可能でしょう。

 

 私たちには拒否権がある、と言われました。

 本当に拒否が可能だったのかはわかりませんが、私はその実験を受けることにしました。

 もしも能力が上がるのならば、あなたにもっと近づけると思ったから。


 実験を受けた私は、確かに今までにない戦果をあげられるようになりました。


 体も軽いし、戦闘時の判断も一瞬。体中の感覚が恐ろしく研ぎ澄まされるようになりました。


 これできっと、あなたと一緒に戦える。

 あなたの背中を守れる。

 もっとずっと傍にいられる。


 けれど、その一方で、私はたくさんのことを忘れるようになっていったのです。


 パパの好きな歌。

 ママの得意料理。

 お兄ちゃんの口癖。


 特に古い記憶から順に。少しづつ。


 おとなりに住む、可愛がっていた犬の毛色。庭の一番大きな木になる実の種類。家族で住んだ家の屋根の色。


 パパの声。

 ママの名前。

 お兄ちゃんの顔。


 大好きな、家族みんなの……。


 みんなの、なにもかもが。消えてゆく。


 それは実験の副作用でした。

 自身の本来の能力を超える力を発揮することは、脳にも多大な負担がかかるのだそうです。

 脳の記憶をため込んでおく部分が、働かなくなってしまうんだそうです。


 副作用のあることが、実験の過程で分かったのか、それとも、分かっていて隠していたのかはわかりません。

 

 あなたに近づきたくて選んだ道です。私は、何を犠牲にしてもあなたへの愛を貫こうと思っているから。その犠牲が、記憶だったのでしょう。


 記憶を対価に力を得た私は、様々な任務に就きました。

 このポンコツの頭でも覚えているのが、首相出席の叙勲式での警護任務の時のことです。


 武装組織による襲撃予告がありました。現場に犯人が潜入している可能性があったので、私は身分を隠すため、軍服でなくパーティードレスで任務に就いていました。

 ドレスの裾を捌いて戦う自信は、ありましたよ。刃物で物理的に掻っ捌いて、裾を短くしてから一仕事しても良かったですし。


 そして実際、式は狼藉者の乱入を許してしまいました(そもそもの危機管理や警備はどうなっているんだ、というお話は、もっと上の方や責任者にお尋ねくださいね)。

 私は真っ白いドレスを翻して、不届き者を叩き潰し、死体の山を築き上げました。

 

 山というのは大袈裟ですね。戦場に比べれば、倒した相手は格段に少なかったです。さすがに数十人もの侵入者を許してはいませんでしたし。


 ただ、それまでに、もう何人も何人も、私は戦場で人を殺してきていたので。


 その場で殺した者たちは、今まで築き上げた死体の山の上に、さらに積み上げられたのです。


 履いていた真っ白なパーティーシューズは、血に染まっていました。


 私の記憶の奥底にある、愛する家族。思い出のあなた。


 その尊い記憶は、積み上がった死体の一番下に埋もれて、もうすぐ完全に埋まって、取り出せなくなってしまうでしょう。

 

 あなたにもらった、大事な大事な白い靴は真っ白なままだけど、私の足はとっくに血に塗れていて。


 私は汚れたその足で、記憶の埋もれた死体の山を踏みにじるのです。


 こんな私が、それでもあなたの傍に近づけるのでしょうか。


 


 今日、久々にあなたに会えました。

 戦場ではなく、たまたま逗留したある街中で。

 戦火の遠い、穏やかな日常の中で。


 あなたが不器用に笑いかけた時に。


 私はあなたが誰だか、分かりませんでした。


 パーティーのことを書いてからしばらく、私はずいぶんとこの記録のことを忘れていました。あなたの笑顔が引っ掛かって、久々にこうして記録を読み返して、そして落胆しています。


 だから、この記録も、少しずつ書き足してきたけれど、もう終わりにしようと思います。


 もしもあなたがこの記録を読むことがあるのなら。

 

 これからあなたに会う私が、何もかもを失っていても。

 この愛だけでも、あなたの傍に寄り添っていられますように。


 

 愛するあなたへ。

 

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